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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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2007-06-27 半分以上独言 [長年日記]

[企画] 1日オフ会について

の話を書こうとして間違いに気づく。ぐふっ

絹路さんから参加希望のご連絡。ありがとうございます。参加者がとうとう2ケタになりました。3ケタになったら頂上でおにぎりをぱっくんぱっくんぱっくんと食べることにします。

只今の天気予報

31日 曇 降水確率40%

1日 曇 降水確率40%

2日 曇時々雨 降水確率50% ←

嫌らしい位置につけやがったな・・・

[ORJ] 原稿を書く

昨日は酔わない勢いで恥ずかしいことを書いたような気がする。後で消すからな。くそ。

実は廃道を読む(16)はほぼ完成している。添付原稿が。今回は168kBのテキストがつきます。

そうして旧橋紀行を懲りずに書いている。今回は京都のRC橋について。意外と面白い京都のRC橋。ちゃんと廃橋もあります。と書いた時点でバレバレだけど。

その裏で江浪峠を進めたり。完成するのか、これ。。。

[独言] 熱いの!

秋元橋もそうなんだけど、今PGが(勝手に)アツい。

PGの構造は基本の基本だし物理感覚的に解りやすいのだけれど、ネットにまとまった情報がなくて難儀する。鉄の廃路さんの所やフカダソフトさん、弥生の森の散歩径さんの所などをぐるぐる回って教わる教わる。でも阪堺の大和川橋梁だって英製なくせに明治44年だしなあ、このへんどうなってるんだろうなあと思いつつ、最後に歴鋼集覧を見て・・・うおっ!キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!!

マジで、グラインダーテストお願いします。後生ですから>叡電様。きっと裂けない火花が散りますから。

[懐古] 2002年6月25日

その頃5年前のnagajisは廃村茨川のテントの中でウンウンうなっていた。下腹部に激痛。例えばこれは腹を下したとかゆうレベルの痛みでないことは自明。肝臓が痛い。そんな局所的な痛み。

ふっと99年の夏に北海道で3度ほど生水を飲んだ記憶が甦る。一度目は静狩川の上流で。一度は十石峠の麓で。勝北峠の西側で氏に水として汲んだやつは飲まなかったけれど、あれ、ちゃんと洗ったっけか? 尊敬するFe氏、あなたを患ってしまったのでせうか。それはそれで悔いがないけれども。

身動き取れない状況なだけに、今までの旅が走馬灯のように・・・とまでは行かないものの、そんなことを考えて気を粉わすことしかできず。信州の峠はもっと見ておきたかった。眺めのいい峠、なんてずっと後回しにしていたから、ほとんど手つかずといってよかった。何よりこの旅が1ヶ月も続いていないことが悔しかった。このままでは「今夜が峠です」と言われて永遠に登り続けることになるだろう(というフレーズは確かにこの時思ったはず)。

1時間近く肩で息をして、ようやく動けるようになった午後。初めて茨川の中を散策した。文字通りの夢遊病者の体で。

 集落に渡る直前の橋から、茨川。あらゆるものが緑に飲まれている。自分の自転車がどこにあるか、わかるかい?>nagajis

 自分にとってはこの景色のほうが印象深い。茨川の傍らを流れる茶屋川はかくのごとくの浅い河原でどこまでも続いている。まるで歴とした道路(だったか)のようだ。実際この奥100mほどの左岸、この河原を辿らないことにはとうてい辿り着けないような場所に、民家の残骸が眠っている。

 集落対岸にはこの集落で最も新しいもの・神社の鳥居。苔蒸した石段を登って行けば小さな祠がましまして。振り返った茨川の谷の険しさに、いつもの兼好法師の言葉を思い出す。「人はいかなる所にも住まるもの」。そうしてかつては信仰が、その原動力となりかすがいとなっていた。信じられる人はそれだけで幸せだと思う。

 元公民館の脇から山腹に向けて登って行く道。石垣には可憐な花が群れ咲いていた。それが「ユキノシタ」であることを後に買ったポケット図鑑で知ったほど、自分は植物の名に疎い。だから自分にとってのユキノシタは今でも茨川の象徴である。

 その道が行き着く先は、すでに更地になった民家跡。ここには柱の一つも残されていなかった(他所にはいくぶん残骸があったのだけど。中には屋根が形を保ったままごっそり落ちていて、それがどこかの登山倶楽部の基地になっていた)。

以上で茨川は全て。本当はもう少し民家があったようだが、それを辿ることさえ忍び無くなって、テントに戻った。

 この日最後のイベント。ついに食糧が尽きた。

丸3日も動けないとは思っていなかったからそこまでの食糧は仕込んで来なかった。最後に残された口にできる固形食糧が、この「非常食」だった。

もともとは会社で貰った義理ばれんたいんチョコ。いろいろあってこの状態で会社の机に4ヶ月放置されていた。何かのギャグにと思って持ってきたこいつが本当に非常食になるとは...。「備えよつねに」は真なりと独り納得しつつ、自分の先見の明を褒め称えつつ、開封すると

粉々だった。

包みによれば子豚の形をしたチョコレートだったらしい。一部が溶け、さらにそれが粉々になった姿は猟奇的でもありデュシャンばりの芸術作品でもあった。ピントが合わなかったのはつくづく残念だ。おいしく頂いた。


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