nagajisの日不定記。
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寄ってたかって書く!と息巻いてはみたけれど、ひとまず自分が書かないことには。しかし余計なことを書きすぎてしまうな>Wiki。だからWiki作るのが目的じゃないんだってばよ。
アップローダ作成に手間取って、帰宅直後にいただいていたメールに返信できないまま昨日は寝てしまった(参加者への同報メールはお送りしたのだけれど)。よって今頃になってRe:が届きます>皆様。申し訳ありません。また今日までにメールいただいた方々へはアップローダをご案内しています(はずです)。届かなかったら...いやそんなことは無いはずッ!自身を持てッ!
そうして「昨日撮った写真だけど・・・」という題名のspamに引っかかるnagajis。そのタイムリーさが余りに悔しい。
5年前のOFFの日はまたもや雨の茨川。テントに籠って昨日のゴミを見ながら過ごす。ゆえにKIRINの秋味は未だに印象が良くない。というより一度も買った事が無い。坊主憎けりゃ裟袈まで憎いでキリン社員には申し訳ないが、そもそも自分が最初に嫌われる坊主なのだから堪忍してほしい(自分で書いておいてよくわからない)。
この旅の間は、暇ができるとシュラフを縫っていた。これも入部時に自分で見繕って買ったもの。あちこち破れて穴だらけだったのが、日を追うごとに修復されていって、ついには縫う所がなくなってしまった。
そうしてまた腹痛に襲われ、喉の圧迫感に悩まされ、痒みにやられ。だんだんと自分が自分でなくなるのがーーーしかも旅の途中でーーー何とも悲しく。そして悲しんでも腹痛は治らない。
一睡もできないまま、久しぶりの晴れ間が覗く朝。この日を逃せば後は無い。そう思って茶屋川を溯上した日。浅広の川原が続く茶屋川。これが自分の最後の姿になるかもな、と思って珍しく自分撮りしたやつが、「俺流」のトビラに使った写真だったと思う。ひどく煤けた背中だぜ、とつぶやけるような写真になれば良かったのだが、見直してみると何だかとても楽しそうだった。どうせそんな奴だ。
三筋の滝まではサンダルで。滝からブーツに履き変えて。いきなりの斜面登り。斜面よりも登ってからの水平移動が応えた。何しろ足場がない。幅3cmくらいの石のエッジくらしか足をかける場所がない。しかも一枚岩ではなく亀裂の入った岩だ。全体重を書けている瞬間にバガッと剥がれても不思議ではないような、そんなエッジ。もちろん手もとも手掛かりがない。縦方向に稜線状になった岩を必死で握ってまたぎ越えた。そういうごくごく微細な地形を覚えている。必死だったのだろう。
三筋の滝の上部は白い岩がゴロゴロしている。川原の石のサイズも三回りほど大きくなったような感じ。すぐに右手から大崩落が入ってくる。石灰岩質の白くて硬い石がほぼ山頂付近から谷底にまで渡って崩れていて、白い帯を成している。
それを過ぎた辺りで川が荒れだしたのだっけか。河原と呼べるような平地がなくなって、淵と崖と大岩の集合体となり下がる茶屋川。多分さざれ石であろうと思う、多数の小石を抱え込んで石灰化した大岩が3つ、平面的に並んで谷を塞いでいた。ちょうど∴のような感じで。自転車を担いだ自分はどこを行けばいい? しこたま悩んで左岸の岩に上がり、クリアした。その凸凹加減。懐かしい記憶。
その次は、さざれ岩が二つに裂けたような滝。滝それ自体は低くてむしろ沢なのだが、滝壷に相当する淵が物凄く深く見える。滝の両側は垂直で、滝口に近付くことすらできず、かといってこれを迂回するのにも相当な苦労をする。自分は右岸を通ったが、果してこれが正解だったのか(そもそも自転車を持ってきている時点で不正解間違い無しなのだが)。三筋の滝以上に足場のない高巻き。
その先で、力尽きた。川はどんどん狭くなっていき、もうすぐで尽きるか、というようなか細さになってしまった。両側から覆ってくる痩せた森の木々。こいつらまで相手にしなければならなくなった時のことを思ってぞっとした。そのくせ白瀬峠へ登るための分岐が見付からない。下手をすればこのまま御池岳標高1247mに登ってしまう。
引き返すタイミングはいつも難しい。志半ばで帰って悔しい思いを残すのか?それとも突っ込んで果てるか?はたまた脱出口を運良く見つけるか? いつも選択肢にはやばめなものを紛れ込ませている自分だが、それを意図して選ぶこともなく、死ぬこと自体を目的にして山に入ったりもしない。自分はただ限りなく死ぬ目に遭いたいだけ。KUWAHARAが共にある時は殊にそう思うし、死んだこともない。
引き返す途中で登山客に出会った。三筋の滝の上だったと思う。その先でも釣り客2人に遭った。ひょっとしてこの日は日曜日だったか?と思ったが2002年7月2日は火曜日だ(RV族がゴミを巻き散らして帰って行ったのが日曜日)。泊地に帰って荷を畳んでいる瞬間に大豪雨。茶屋川大惨事。そうだ、あの雨のカーテンも印象深いな。茨川入口の狭い谷間を雨の壁が迫ってきて、一瞬にして豪雨に転じた。山の天気は本当に変わりやすいんだと貴重な体験をした。3人の安否が気になったが荷が完全に水漬けになったのに追われていて何もできず。やがて小康状態になってからポツリポツリと帰ってくる。無事で良かった。自分が川にいた時だったらどうなっていたことか。
住み慣れた茨川を後にして下界へ。担ぎ続きで自転車がぼろぼろだ。こいつをなおさなければ。自転車もそうだが自分もボロボロ。永源寺ダムを下った辺りでもう何度目かの腹痛。鈍痛。ハリカ永源寺店裏でひっくり返って悶えた。買ったコーラ500mlが末期の水に思えた。それでも脳内を巡るのは「贈ーり物はハリカですー」のフレーズばかり。死んでも死に切れない。
考えてみれば、旅に出てからまともに風呂に入ったことがない。あちこちで水浴びしたり冷水浴したりしてはいたものの、やはり風呂というものは人間性活、もとい人間生理に欠かせないものなのかも知れない。そう思ってこの日は銭湯に行った。裸の自分を見て絶句。何だこの全身蚊に刺されまくり野郎は。みたいな。それほど蕁麻疹がひどかった。
コインランドリーで洗った服に着替えても、結局はまた晩に発症して。寝るための酒を求めて夜の八日市市を彷徨った。
記念すべき10回目である。「車輪の再発明」という言葉がある。Wikipediaによれば「広く受け入れられ確立した技術や解決法を無視して、同様のものを再び一から作ってしまう事」の慣用句だという。
いくらでもアプロダがあるというのに一から作ってしまいながら「ああこれは車輪の再発明だな」と思いつつその手を止められない。道路遺構の探索だってすでに誰かが作り廃止した道を好き好んで行くのだからある意味車輪の再発明と言えるかも知れない(この場合は「再発見」のほうが相応しいか)。nagajisはそんな車輪の再発明が好きだしそこから得られることは多々あると思っている。要は自分のためなのだ。事実Wikipediaでも「教育の現場では、ある技術の意味を理解させるために、意図的に車輪の再発明を行わせる場合がある」と言っている。
そんな独り善がりな車輪の再発明だが、その結果、まかり間違って人類共通普遍的価値を有する物凄い発見をしたりしたとしたら。誰もが気づいていないエレガントな/エクセレントな解法を見つけたりしたら。それは決して可能性ゼロの事象ではない。そんな場合に備えて、それを何と呼んだらいいのだろうと思って
車輪の大発明
という言葉を考えて、そこに奇妙なポテンシャルを見出した。
単に「再」と「大」を置き換えただけだというのに、そこから湧き上がって来るこの奇妙なイメージは何だ。驚嘆すべき、世界を揺るがす、人類の未来を左右するような発明が大車輪の勢いで次々と生み出されていく。号外。号外。駆け回る新聞売り。そんなイメージが湧いて来ないだろうか。エジソンもかくや、アインシュタイン も及ばない、あまつさえ全ての自然数を友としたラマヌジャンなど。や、ラマヌジャンは別格かも知れん。
とどのつまり、目的語的な扱いだった車輪が形容詞的に作用してこのような錯覚を感じるのだろうと思う。それに気づくと今度は「車輪の再発明」がいかにも不毛なデスマーチっぽい何かを連想させてさらに忌避すべきもののように思えてくる。みなさんにおかれましてはくれぐれも車輪の大発明などなさらぬよう、予め諌言させていただく。