nagajisの日不定記。
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これまで25号作ってきて、自分が何を書いたのかを全部覚えているわけではない。漠然と「あれ書いたよな」というのはあっても書いた文章までは覚えてない。
久しぶりに書いたものを見直す機会があって、「隧道ノ崩壊モオドニ関スル考察」を読んでゲラゲラ笑ったりしている。なにこのイカれっぷり。いちばんのお気に入りは猪野隧道だ。
「絶妙な下膨み加減で立ち上がる側壁とそれにつながるアーチが構
成する曲線美。所々を裸蛍光灯に照らされたヴォールトが坑口間際
で発散し垂直崖になる、その連続構造と色彩の濃淡がいたたまれな
い躍動感を生み出す。この一洞に怖れを抱くか、それともムンクを
見い出すかで審美眼が問われることになるだろう。
個人的にはお多福さんか、ちょっとビリケンさん風にも見える。」
有料化の初期に作って没になった某隧道のpdfも久しぶりに開いた。ちょっと懐かしく、こういう書き方もできたんだなあおれ、などと灌漑に耽ったりする。カナールで溺れつつもう一度読んでみたら、今度はアラが目立って仕方ない。ああここはもっとスムーズに流さんと、とか、そこの句読点は要らんだろ、とか。これもしばらくは日の目をみなさそうだ。
正直なことをいうと、自分の書いた文章を忘れた頃に見直すのが好きだ。まるで自分が書いたものではないような、それでいて自分好みの「未知」の文章に感じる。一種の自己愛? いーや、ただのGだ。ハレンチを突き抜けてネクストプレビアス・ステージへ突き進むnagajis。
こんな感じで自己に没頭しなければならない事情の最中にある。pdfの修正は少し待っていただきたい。
というわけで、粗造濫造の歴史を作った。
*印は一部担当。エッセイや広告、雑報ほかは省いた。念のために申し上げておくがリンクは個人的な覚え書きであって「買ってくだちゃい」というものではない。そもそも2008って何だ。s/([0-9]{4})/<a hrefほにゃらら$1">$1<\/a>/gしたのがバレバレではないか。
3年間かけてたったこれだけ、しかも自分の思うようなものは作れていない。文章も進歩がないように見える。100%納得行くものなんて永遠に作れないし書けないのだろう。それがわかっていながら他のことができないnagajis。パトラッシュ、ぼくもう疲れたよ。
そのくせPs(potential of strangeness)を考察したりするnagajisは、地獄の業火に焼かれることなど厭わない。さあ焼け。今すぐ自棄。
GW中に見かけた看板。さまざまなベクトルの味わいを有している。これを見るだけで会社の名前に「発條」という言葉が入っていること、および「『発條』って何ですか?」と尋ねられることしきりで総務が飽き飽きしているに違いないことがわかる。心中お察し申し上げる。そして自社製品の優秀さよりも先に「発條とは!」を述べる辺りや「漢 語 的 表 現です」というツメの取り方に、その気概の程が伺えるというものだ。
それにしても、発條。良い言葉ではないか。
ばね定数 k
などというと、どこかふんにゃらした感じがして、質量mの重りをぶら下げてビヨーンしたら塑性変形してしまいそうだが、これが
発條定数 k
になると、いかにもビシーッとして、しかもよく弾みそうに思えてくる。kの値も自ずから大に違いない。
嘘だと思ったら声に出して読んでみてほしい。
ハツ・ジョウ・テイ・スウ・ケイ
どうだこの固さ。まるで密教の秘呪か何かのようだ。思わず胸の前で無闇矢鱈な印相を結びたくなる。ハッ!ジョウ!テイッ!スウッ!ケイッ! ブォワー!!! 巻き上がる護摩の火の粉。その横で伸びるばねばかり。
……脱線した。惜しむらくはこの会社、肝心の会社名がわからない。隣の小さな「社員募集中」看板にも社名は書かれていない。ばね(スプリング)の漢語的表現を無償奉仕で喧伝するだけの豪気な会社。たまにはそんな存在があっていいと思う。
だがしかし、ことえりよ、いい加減「発情」に変換するのはやめてくれ。
発情定数 k
これじゃあ手印ではなく手…いやよそう、今日はすでに下ネタを使ってしまっている。
猪野隧道:老子の一説を思い出した。
不敢爲天下先、でしょうか(滝汗