nagajisの日不定記。
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誕生日なので誕生日のことを書く。何かを催促するようなものでは決してない。
最近とみに自分の年がわからなくなってきた。自信満々に「もう34か…」と感慨に耽って、よく考えたら間違っていて、ちょっと凹んだ。以前からその傾向はあったのだが特に酷くなってきている。一種の老化現象だろうか、それとも実年齢を忘れたいという深層心理の為せる技か。
どっちも嫌だのう…と思いつつ、思い返して見れば、そもそも今まで自分の年をずばりを言えたことが今まであっただろうかと気づいた。例えば大学2年生の自分は? 高校3年生の自分は何歳? そうやって考えてみると、いつだって年のことなど考えてはいなかったことに気づく。15、16、17と私の人生暗かったわけでもないし気ままに歩いて来た20歳の頃でもなかったことになる。
それでさらに考えを巡らせてみて、それは昭和50(1975)年生まれというキリのいい数字のせいだということを発見した。いつでも逆算できるのだ。これが昭和48(1973)年だとか昭和42(1967)年とかだったら恐らく年齢を覚えているに違いない。きっとそうに違いないと思う。同55(1980)年生まれのあなた。大正4(1915)年生まれのおじいちゃん。いかがですか。
そもそも、1日を境にして+1の年を取った実感を持て、というのが無理なのだ。人がそう簡単に年を取るものか。肉体の老朽度からいえば、バカ騒ぎしている時は明らかに-8くらいの元気があるし、矢の川を担いで帰ってきた時には+14、5は難い。そもそも+nのようなステップ関数じゃない。いつのまにか膝が伸び切らなくなり、モノにつまづくようになり、平衡感覚が鈍くなって、衰えを感じていく。老化しているのは明らかにわかるがそれを年齢に換算するのは無理なのだ。
というわけで、今日から胸を張って年が分からなくなっておく。諸兄に置かれましては「またサバ読んでら〜」とほくそ笑んでいただければ幸い。ぼく3つでちゅ。
余談だが、西暦←→和歴の暗算変換が苦手だ。特に明治時代は混乱する。何しろ唯一覚えているのが明治6年=1873年というただ一点だからだ。これは高校時代の友人にその責の大部分を負わせることができる。
高校の社会で覚えた年代の語呂合わせのうち、唯一今でも覚えているのが1873だ。1873、明六社。森有礼と西周。1873、地租改正。1873、徴兵令。語呂合わせといっても年号と出来事の組み合わせではない。1873という数字を覚えるためだけの語呂合わせだ。
友人の中学時代のクラスメートに岩崎という人物がいたという。彼がある日突然七三分けにして登校してきたそうだ。それを見てクラスメートが「岩崎七三〜いわさきしちさん〜」と囃したて囃したて、囃したてたらしい。ゆえに1873なのだと友人は言った。それで覚えればいいとも言った。まさかと思ったが実際今でもそれを覚えていて、しかもそれが西暦←→和歴の唯一の接点になっている。
…ああ、この空しさは一体なんだ。説明しても説明しても伝わらないだろうという確証。数字を覚えたところで明六社も地租改正も徴兵令も出てきやしないというのに、なぜかその岩崎君の七三カットが森有礼と西周と(ここで何故か福沢センセイは出て来ない)、時おり森ユーレイとともに思い出されて明治6年だとわかるこの確実性。いちいち七三分けの岩崎君を思い出さねばならない辛さ。おれの神経回路はスピロヘータのごとき捩じれようだ。
何とかせねばと思いつつもう十数年が過ぎた。そしてようやく最近、大正12=1923というのを覚えつつある。12+(10)+(1)+(1900)=1923という無意識の足し算。しかし15=1926を覚えられない。
おたんじようびおめでとう。<br><br>探索中、年齢を伺っても毎回はぐらかされたのは、じぶんでも分かってなかったからだったんだな。
祝 生誕記念日<br><br>半世紀過ぎれば、胸を張らなくても自然体で年輪を忘却できるようになるもんだ。焦る必要は全くなし。
同じ歳のはずなのに!と2行目でびっくりしたではないか…<br>自分も結局自信がないのだ…