nagajisの日不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad
四時半に起床し室園まで交換駈足を行い六時に至る。あまりきつくあらざるなり。然し甚しき汗出でたり。外出せず止まる。然し愉快ならざる日なり。
たむし出で残念なり、必ずやなおさん。入浴はぶっそうなり。
四時半起床なし運動班の交換駈足をなし、一年は室園までとす。復りは松崎より校門に至る間マラソンなりき。徐中は疾れ大なれども、著校後は疲れ忽ち良くなりき。此に於て、マラソンに於ては最後の五分間即ちあと千米の所からが大切なりと思う。外出せず。前週の日曜に同じ。運動をせざりしは遺憾なり。酒保はまずく、何時か偕行社にて食もうと思いいる。
〔nagajis:二日に分けて書かれてあり、はじめ18日の日記として書いたものを訂正して17日としている。内容は確かに前17日に同じ。「徐中は疾れ大」→「途中は疲れ大」か〕
誕生日なので誕生日のことを書く。何かを催促するようなものでは決してない。
最近とみに自分の年がわからなくなってきた。自信満々に「もう34か…」と感慨に耽って、よく考えたら間違っていて、ちょっと凹んだ。以前からその傾向はあったのだが特に酷くなってきている。一種の老化現象だろうか、それとも実年齢を忘れたいという深層心理の為せる技か。
どっちも嫌だのう…と思いつつ、思い返して見れば、そもそも今まで自分の年をずばりを言えたことが今まであっただろうかと気づいた。例えば大学2年生の自分は? 高校3年生の自分は何歳? そうやって考えてみると、いつだって年のことなど考えてはいなかったことに気づく。15、16、17と私の人生暗かったわけでもないし気ままに歩いて来た20歳の頃でもなかったことになる。
それでさらに考えを巡らせてみて、それは昭和50(1975)年生まれというキリのいい数字のせいだということを発見した。いつでも逆算できるのだ。これが昭和48(1973)年だとか昭和42(1967)年とかだったら恐らく年齢を覚えているに違いない。きっとそうに違いないと思う。同55(1980)年生まれのあなた。大正4(1915)年生まれのおじいちゃん。いかがですか。
そもそも、1日を境にして+1の年を取った実感を持て、というのが無理なのだ。人がそう簡単に年を取るものか。肉体の老朽度からいえば、バカ騒ぎしている時は明らかに-8くらいの元気があるし、矢の川を担いで帰ってきた時には+14、5は難い。そもそも+nのようなステップ関数じゃない。いつのまにか膝が伸び切らなくなり、モノにつまづくようになり、平衡感覚が鈍くなって、衰えを感じていく。老化しているのは明らかにわかるがそれを年齢に換算するのは無理なのだ。
というわけで、今日から胸を張って年が分からなくなっておく。諸兄に置かれましては「またサバ読んでら〜」とほくそ笑んでいただければ幸い。ぼく3つでちゅ。
余談だが、西暦←→和歴の暗算変換が苦手だ。特に明治時代は混乱する。何しろ唯一覚えているのが明治6年=1873年というただ一点だからだ。これは高校時代の友人にその責の大部分を負わせることができる。
高校の社会で覚えた年代の語呂合わせのうち、唯一今でも覚えているのが1873だ。1873、明六社。森有礼と西周。1873、地租改正。1873、徴兵令。語呂合わせといっても年号と出来事の組み合わせではない。1873という数字を覚えるためだけの語呂合わせだ。
友人の中学時代のクラスメートに岩崎という人物がいたという。彼がある日突然七三分けにして登校してきたそうだ。それを見てクラスメートが「岩崎七三〜いわさきしちさん〜」と囃したて囃したて、囃したてたらしい。ゆえに1873なのだと友人は言った。それで覚えればいいとも言った。まさかと思ったが実際今でもそれを覚えていて、しかもそれが西暦←→和歴の唯一の接点になっている。
…ああ、この空しさは一体なんだ。説明しても説明しても伝わらないだろうという確証。数字を覚えたところで明六社も地租改正も徴兵令も出てきやしないというのに、なぜかその岩崎君の七三カットが森有礼と西周と(ここで何故か福沢センセイは出て来ない)、時おり森ユーレイとともに思い出されて明治6年だとわかるこの確実性。いちいち七三分けの岩崎君を思い出さねばならない辛さ。おれの神経回路はスピロヘータのごとき捩じれようだ。
何とかせねばと思いつつもう十数年が過ぎた。そしてようやく最近、大正12=1923というのを覚えつつある。12+(10)+(1)+(1900)=1923という無意識の足し算。しかし15=1926を覚えられない。
キーボードが壊れて予備のヘタレProKeyboardを使わざるを得ない状況にある。何でこんなに退化してるかなコレ。受け側の材質が白プラになっただけでこうも違うのか。ゴムの感触も変だし。
9/3のトロステーションで廃道をゆく2が宣伝されるそうだ。見られる人はチェキラ。256発都市伝説はバキュラ。おおきなかすてらはぐりとぐら。
世の中には
ぐりとぐらとぐふ
というパロディが蔓延しているらしい。語呂がいいだけで面白くも何ともない。むしろ
ぐりとぐらとざくれろ
あるいは単に
ぐりとぐらとらりるれろ
のほうが味わい深いではないか。なぜ人はそれに気づかないのか。愚衆め。
もしくは
ぐりとぐらとじすお
のほうがいろいろ遊べてよい。例えばストーリーはこうだ。
ストーリー
いつもの森に遊びにやってきたぐりとぐら。そこで変な棒人間じすおに出会う。
じすお:「やあぼくアンパンマンだよ。僕の頭をお食べ」。ぐり中毒死。敵を打つ決心をするぐら。46人の下僕を従えてじすおの家に押し寄せる・・・!
それは忠臣ぐら、などという綺麗なオチをつけてしまったのでポテンシャルとしては低ランクである。下品(ルビ:げほん)である。
ストーリー
いつもの森に遊びにやってきたぐりとぐら。そこで変な棒人間じすおに出会う。
じすお:「二進法で蕎麦を食べる真似をしてごらん」。ぐり悶死。命からがら逃げ出すぐら。それを見て瓦解するじすお。
ほら。何とでもなる。
ぐりとぐらとほうりゅうじ
これはパロールに重きを置いた例。何度も呟きたくなる魅力がある。
ストーリー
法隆寺見物にやってきたぐりとぐら。境内の柿を取って食うなり鐘が鳴る。
鐘:「ゴーン」
それだけで既に一編の詩である。教養もつく。素晴らしいではないか。ビバ法隆寺。
引き続いて考えるに「・・・!」という書き方はいやらしい。文字に表しづらい「尋常ならざる状態」を暗黙裏に悟らせ文字数を節約しようという姑息な手法である。小手先の技術である。控えなければならない・・・ッ!
ごめんよ、おじさんは旅に出なきゃいけないんだ。
バカjisめ。
関東の番組に関西人は洋梨なのだ。いやそのまえにnagajisだから用無しなのか。
NHKラジオ第一の6時台のニュース。よくわからない感情的な怒りを一方的にぶつけられて視聴者が困惑しただけではないのか。これまで経験してきた苦労はわかる。これで万事解決という策がないのも理解する。だからといってその苦労だったり文句だったり行き詰まり感ばかりを投げられても「じゃあどうしたらいいの」に繋がらないだろう。一方的に腹を立てている姿が全国放送されて悪い印象を与えただけだ。自分としてはほげふががぴげなみょーん問題を語る姿を彷彿とさせ、ひどく反感を感じた。
ああいう態度に反感を感じるのはなぜだろう。自分が正しいと思うことを主張するのは憲法でも保障された権利なのだけれども、それを「ふりかざして」いるように見えたり、主張を他人に押し付けようとしているように思え、腹を立ててしまうのはなぜだろう。
権利は義務を果たしてこそ得られるもの、何の義務を果たしてその権利を主張しているのか、それがわからないから(こちらがよく理解していないから)違和感を感じるのかも知れない。要するに「どこの馬の骨が」的な直感的嫌悪感。それはちょうど廃道のなんたるかを知らないnagajisがグダグダ言っているのと似ている。はたから見ればああなんだなあと思うことしきり。かといって権利を笠に着て何かをするつもりはない。
「節操のなさ」に反感を感じるのか。しかし節操のあるなしなんてそれこそ個人的感情による判断しかしようがないじゃないか。節操ばかり気にしていたら、それこそJAPの具現じゃないか。
主張と主張がぶつかり合い、軋轢を生じるのが、社会のあるべき姿だと考えるべきかも知れない。すべてが自分の思い通りに運ぶなんてあり得ない。個の集まりであるがゆえに集団内部では価値観の衝突が起こる。当然の帰結。それに一喜一憂する必要などなく、一喜一憂するほうが可笑しいのかも知れぬ。
権利<>義務の関係は適当。多分違う。「生きる権利」には義務が必要ないはずだから(納税の義務とか国民としてのキンジはあるだろうけど)。
7/31~8/1の篠原籠り、2日の十津川訪問の調査物件を一次調査票に落とす。篠原索道・沼田原軌道は記事のおかげで圧縮が効いた。逆に長殿発電所の調票が手薄な感じさえする。栗平土工森林組合・山五林業関連は未着手(あ、吊り橋だけ先にあげたんだっけ)。そういや蔭地橋どうしような。東吉野村のあの橋とよく似た作りの下路ガーダーなので戦後のものである可能性が高いが。
16日の最大の成果はI先生にお任せするのである。
西河橋と小倉橋の追加訂正も忘れずに・・・。3ページとかいう中途半端なものになりそうな気がするが、どうせファイルはA4なんだから構うものかと思ったり。
時間をかけて回った割に成果が出てないなあ。仕方ないよなあ。
蔭地橋は十津川村に問い合わせてから処理。ついでに聞いておくべきことはないか?
軌道の写真が行くかも知れない件、野迫川村役場に伝えておかんでよかったかのう。しかし小辺路が軌道だったなんて。大丈夫なんかな>世界遺産指定。
そして明日明後日は留守にしなければならない。私用だ。
また一つ、嬉しくはない歳を取る
「嬉しくもない」のほうが素直だろうけど、実感としっくり来ない。がちゃがちゃした感じを含めこちらのほうが添っている。
歳を取ることはよいことだ。避けられないことだ。歳を重ねてやっとわかることも多い。ようは納得行く歳の取り方をすればよいだけで、しかし決して納得はできない1歳だったこの1年を振り返って「嬉しくはない」と思う。
そういう日に当てつけるようにしてお一人様特集をしやがる。なめんなよ。
スマホの迷惑は考えない非道をする。特に意味は無いカマキリ。山中信号場のスノーシェッドに取り付いていた。
そうか、そこに無理やりつければいいのか。神崎川橋梁の煉瓦を調べられないかとコソコソ活動してみたが結果は芳しくない。みんな乗り気じゃないようだ。第一そうなのよ、近代遺構がいかに認知が進んだってったってお金かけて手間かけて調べてどうするのよっていうところには社会的市民的コンセンサスは得られてない。そもそも煉瓦わかたったって、煉瓦製造業の歴史がわかったって何の得になるかしらん、と自分でも思うのだ。ようはnagajis個人の興味の充足にしかならんのじゃね、て言われればそれまでなんだ。
だから。だからなおさら、何もしないではいられない。蟷螂の斧だとわかっていても振り回さないではいられない。個人の興味とか名誉とか無関係に、それがそのうち社会の役に立つに違いないちう確信犯的信念がある。もしそれを自分自身が無視しようものなら何の信念ぞと思う。何のレゾンデートルぞと思う。そういう迷惑をかけるために生きておりのだと割りきって、いや割り切るんじゃなくて信じ切ってカマキリを演じ切らないとだめなんだ。自分が見捨てたら、誰が救ってくれるというんだ>nagajis。
陸幼日記を2022年の日付で投稿してしまったので削除し昭和16年に移したのだが一度書き込んだ日の日記は空欄のまま残ってしまうのだった。なんか催促しているみたいなのが嫌なので間違えたことを書いておく。8月17日まで限定の未来日記である。
あー、そういう使い方ができたら面白いのかもな。何か予定がある将来の日に予め書き込んでおくとToDoみたいな使い方ができそうだ。しかしそうすると最も大きなタイムスタンプの日記がトップに表示される仕様上一つまでしか予定に気づけない。
陸幼日記は10月に突入。あと2ヶ月で太平洋戦争に突入する。その危機感はこの時期の日記には現れていなくて、鉄棒大振りを会得したことに喜んだり同級生の話の上手さに感心したり急に寒くなった気温に震えたりしている。これから大変になるんだよと声をかけたくなってしまう。無駄なやきもきである。
とりあえず北口まで北。野々脇峠を越えて林道に入って、峠を探ったところあたりで前編了でよかろうと思っている。直後に旅メモを書いているお陰で細部を思い出せてありがたい(旅以降何度も場面を反芻したというのもあるけれど、メモを書くこと自体が最初の反芻であっただろうしな)。毎回此れくらい書いておかないと、自分の脳みそはもう細部を覚えられなくなっている。
という結果になった。多いのか少ないのかわからん。70kgの16%ということは脂肪として10kg抱えているということになるわけだから、そりゃ体重いわと思う。自転車に乗っていると重くてかなわない。未だに適正体重は60kg弱と思っているが特に根拠はない。昔そうだったからというだけだ。
まあどうせこの夏でまたコッテリ絞られることになるんだろうしな…ちょっと動いただけで滝汗をかくのはいただけない。汗も汗臭い汗である。さっさと絞りきってさっぱりしたいところだ。
_ yokkiren [おたんじようびおめでとう。 探索中、年齢を伺っても毎回はぐらかされたのは、じぶんでも分かってなかったからだったんだな。]
_ 建築屋さん [祝 生誕記念日 半世紀過ぎれば、胸を張らなくても自然体で年輪を忘却できるようになるもんだ。焦る必要は全くなし。]
_ てっく [同じ歳のはずなのに!と2行目でびっくりしたではないか… 自分も結局自信がないのだ…]