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旧道倶樂部録"

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2008-12-30 [長年日記]

[ORJ] キーボード掃除

画像の説明弘法は筆を選ばずというが、nagajisは弘法ではないので道具を大事にしたい(貧乏性なのではない。そして工房でもない多分)。今年もっともお世話になった道具・キーボードを掃除した。

キートップを外して磨いてシリコンスプレーを吹き付けて戻してをキーの数だけ。思えば廃道本を書き始める直前に買ってきた1480えんジャンクさんのPro Keyboard。買ってきた直後に同じことをして(何しろジュースのような有機溶媒のようなべたべたした液体がねっちょりついてたからな)それ以来の分解掃除である。文句も言わずよく頑張ってくれたと思う。

要はふつうのメンブレンキーボードである。このキーボードが特に優れているとは思わない。しかし体がこのキーボードに慣れ切っている。ストレスなく打てるというのは何をもってしても換え難い利点。そういうキーボードが比較的たやすく手に入れられるというのもMacならではの利点かも知れない。

ついでにと思ってWindows/BeOS用のHHKも分解掃除したが、組み立てる最中でシリコングリスが切れてしまった・・・。阿呆なり今度買って来よう。

[ORJ][橋梁] 銀橋的廢毒

で、数少ないnagajis原稿の一つが廢毒っていうのはひどい話だと思う。ようやく昭和5年度を打ち終えた。また2年分しか進まないだろうな・・・。しかし今回の入力で長いこと出典不明だった情報が一つ身元判明した。これだけでも収穫。78トン載せて4.5ミリの撓みってどういうことよ>銀橋。

もう一つ、天神橋に関するちょっと面白い情報を入手。そういわれてみればあそこだけ鋼アーチというのは不釣り合いなのだよね。天満橋もPGだけど。

こう並べてみると(全然並んでいないがnagajisの頭中では整列してる)、大阪府土木部橋梁課がいかに隅田川橋梁群を意識していたかかがわかる。あまり脳内話ばかりになるのも恐縮なので書いてみると

単一拱
永代橋(スパン100.5m)<桜宮橋(スパン109m) 
ゲルバー鋼PG
言問橋>天満橋(橋長・中央径間長とも)
多連アーチ
蔵前橋・駒形橋<天神橋(3連+側径間PG×2)

といった感じで必ず対抗する橋を作っている。工事タイムスが正しければ天神橋は最初RCアーチになるはずで、そうではなく鋼アーチにしたのはやはり対抗意識からではなかったかと思ったりしないでもない(すでに難波橋大江橋淀屋橋のRCアーチがあるから。隅田川には主径間RC橋はない)。実現しなかったが淀川大橋も工費200万円で吊り橋に架け換える予定だった。これが清洲橋の対抗馬になるものだったのだろう。

もっと穿った見方をすれば、東京に対する対抗意識なんてのはちっちゃなもので、技術的困難への挑戦がまずあって、既存の優れたものを上回る橋を架けたくて仕方なかった結果、東京の後を追うような形になったのだろうと思う>大阪市橋梁課。でないと銀橋とか長柄可動堰橋とか安治川隧道とか説明がつかない。

あ、言っておきますが大阪をひいきするつもりはないですよ。単に近くにあって興味津々というだけで。西の人だから東にコンプレックスを持ってるんだろうという思い込みはい☆け☆ま☆せ☆ん。


ちなみにWikipediaの桜宮橋の項目には「設計者・武田五一」とあるがちょっと眉唾してみたい(国交省大阪土木事務所が出典みたいだが)。確かに武田五一は大江橋・淀屋橋・難波橋などに関わっているが銀橋は大阪市土木部橋梁課謹製ではなかったか。工事タイムスにおける銀橋初出記事には設計者・大村技師とある。しかし淀屋橋ほかのように武田が意匠修正したのかも知れない。この辺りはまた来年、都計を見てから。

[Web] 正月らしくする

ちっとも年の瀬気分でないので正月くらいは何かしようと思いサイトに細工をした。見にくくなるだけかも知れない。2日で終わるので堪忍よ&慣れないcron sh なので発動しないかもよ。

[独言] しっぱい

Gパン2着とも洗ってしまった午後3時。今年中に乾くかなあ。乾かなければ初詣でに着ていく服がありません。

[独言] 秩序

自分がやりたいことって何だろう、自分が求めているものって何だろうと考えた時、「秩序」が一つの落とし所としてあった。目の前にある遺構の謎を謎でなくするために、小さな小さなミッシングリンクたる史実を掘り起こし、それらを繋ぐことに深い興味を感じて、しかし旧概念を打破するためだけに新しい何かを求めているつもりはなく、要するに事実の追求とその矛盾なき整理整頓に深い興味があるばかりで、そんな行為なりあらまほしき状態なりを言い表わすのに「秩序」という言葉が使えるのではないかと、これまでは考えていた。しかしよくよく考えてみればnagajis欲しているところの秩序とは自身が納得したこと・理解の及んだ範囲内の出来事がいかに矛盾しないかというだけであって、言い換えればnagajisを中心とする半径数mの秩序でしかない。世界には膨大な量の埋もれた事実があり、そうでなくても自身納得のいかないことやあえて等閑視しておきたい暗黒面などももちろんあるわけで、そういうものも引っくるめて「秩序」を作り出すことができるかと問われれば、否だろう。要はおいしいとこのつまみ食いである。


と、グリスアップしたキーボードの慣らし打をしてみる。Bのキーがやや渋い。あと→とkが少々。この辺はグリスを買ってきてから要調整だな。内容? 深い意味はないよう。

↑最近この手の「いもしない読者へのボケ」が増えてきたような気がする。いや、はっきり言おう。増えた。自重しよう。

[独言] なんとなく

画像の説明釜トンネルの写真を探すときに初夏の日本海の写真が出てきたのでこっちに載せてみる。太古の昔、とある取材の待ち時間に撮った一枚。s602は発色がいいというマニアが多かったがnagajisには違いがよくわからなかった。しかし(自称)600万画素になりホールド感が抜群に良くなりコンパクトフラッシュと単三電池が使えるようになった嬉しさは今でもよく覚えている。

この一つ前の取材で長旅を共に戦った6900zを壊してしまい、汲々しながら買い直したのがs602だった。まともに使ったのはこの時が最初だったと思う。最近はその出番も少なくなったが今でも一応使えるようにしてある。


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