nagajisの日不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad
ORJ編集部の大晦日をリアルタイム更新!!というネタを考えたのだが、何のことはない、テキスト打ってますーで終わりだ。準備もしていないしそもそもここには更新時刻が反映されない。ボツだボツボツと思っているうち時間だけは正直に過ぎていって大晦日と相成った。大人しく寝ようか。「!」も少し渋いかな。
狭い店内に乱雑に本が詰め込まれ「ここは倉庫か」と思うようだった古本屋が近くにあって、nagajisの目が細いうちにここで何かを買い求めることはないだろうとさえ思っていたのだが、先日ふらっと立ち寄ったら見違えるように整理整頓されていて、ちょっと驚いた。うえに文庫版柳田国男全集の未読巻を発見してしまったりして。12巻「婚姻の話」「家閑話」ほか収録、550えん。
柳田国男の著したものは、民俗学という学問の書としてよりも、明治大正昭和初期に文化人であった人物の書いたものという点に重きを置いて読んでいくと面白い。激変の時代を豊かな感性と一貫した視点とで見続けてきた人物のその視座を借りて、直接見ることの能わない過去を透かし見ることができるわけである。ことに翁の書きようはいたわり思いやりにあふれていて、その情がすみずみまで行き渡っているゆえに、読んでいて不快な思いをすることがない。男女の仲、婚姻といった非常に微妙な話題、時として下がかった方向へ逸れそうになる興味をば実にうまく誘導してくられているお陰で、読む私も余計な想像を巡らすことなく、人というものの来し方遥かに静かに思いを馳せることができるのである。これはこの巻に限ったことではない。柳田作品の根底にはつねに学者としての自負自責に裏打ちされたやさしいまなざしがある。
半径数mのどこに秩序があるというのか、と言われることを前提として打ち続けている。昼間ちまちま作業をし続けていたせいか感覚過敏になっていて眠れない。もう少し疲れたらタガが外れてよく眠れるような気がするのだがな。こうやって無駄な時間を過ごしている暇があったら少しはCD#2の続きなり原稿なり書いておけばいいのにと思わないでも無いが、ふぁあ、あくびは出るんだよなぁ。ゆらゆらする睡眠欲のなかを漂う快感。それを楽しんでいたい大晦日のひととき。ある種の贅沢であり逃避である。滑稽かも知れない。
後でこの大量の入力文字群を見直すことはないだろうな。そんなものを見せられるここを訪れる方々には迷惑な話かも知れないが。[独言]タグは不要不急negれフラグなのだから一向に無視していただいていいようにはしているつもりだが機械的に選別する手段は設けていないしなあ。どうしたものかなあ。Mがやや渋くなった。
こんな感じで間に重要なことを紛れ込ませるのがいけないのだとは思っている。けれども今は順序だって考えられない。書く。
ツアーは最終的に自分の手を離れ地元の方々に委ねられるよう(地元の方々が案内するよう)持っていきたいとはTさんの言。これは私も大いに賛成だ。他所者たる私ができるのはオカメ八目(お多福さんには目が8つあるという諺:大嘘)的な役割まで、「これいいものなんですよぉ〜」という役を演じられればそれでいい。そのワタリがつけられれば。nagajisはいつまでたっても貧乏だがなぬはは。
離れて久しい今でも旅行広告のドコカマチガッテル感は失われずにある。ハチ高原の晩の記憶がそれだけ鮮烈だったってことか。それに対する真逆の回答、はぐれスライムに対するどくばりみたようなものが廃道ツアーとなってほしい。王道にはならないだろうこと必至だが時にクリティカルヒットを出すような。しかし本音だけじゃ人は食っていけないぜ?>nagajis
(追記:この間睡眠)
当たったら海外旅行と老後の貯えって、夢があるのかないのかわからんな。
第5巻第6号 昭和4年6月発行
日本銀行では震災後設置した仮建築物を統一収容するため地上4階ないし5階、総延べ坪1万500坪の新館を建築することとなった。様式は本館同様ルネッサンス式で工費約2500万円。7カ年継続事業とし3期に分って6月早々起工予定。設計は長野宇平治博士、地下室は3層に仕切られ、大貯水槽が設けられ、火災の場合は直ちに金庫をその中に没入せしめる仕掛けになる。
第7巻第1号 昭和6年1月発行
日本銀行の金庫について、米国の金庫技師ホルムス氏に設計を委任し(中略)ヨーク金庫会社に落札した。同者はモスラーの三井、デーボルトの大倉、ヘーリングホールの内田商事など本邦代理店を米国貿易に委任されているが、今回の入札はニューヨークにて契約したのでヨーク社が直接納付するはず。基礎工事は完了、近日中に取り付け作業を開始する予定にあり、1月中には全部着荷するはずである。今回取り付けられる最新式扉の金庫は出入り口換気装置等数カ所あり、電気非常信号装置のごときは音響を空気波動で感じ通信することになっている。しかも金庫の壁厚は6尺、鉄筋、水等によって囲まれているなど、破壊工作は不可能と言われるほど完全なものである。
この号は『道改』のアレのような社会3面記事が入ってて、本体は少し少なめ。「月不足の幼児を孵卵器で」なんて省略しちゃっていいよね???
で、シリコングリス買って来ようと思うのだよ。あめゆじゅとてちてけんじゃ。
道行きで
鍋料理を作り置きできるような鍋がほしいな
↓
土なべが便利かな
↓
でも自転車に積むのは大変だな
↓
その前に熱伝導悪そうだな → どうでんひろこ
↓
(佐々木功的な声で)導伝導伝導伝導伝
などという連想をして「ああやっぱりダメな人間だ」と思った。(追記:結局題名を思い出せないまま。「ローレンハイド」じゃなかったのだっけか)
HKKキートップを填めたので続きにかかる。
2ページ。今度こそ楽できる。
「合鴨のスモーク」や。
越賀敏夫「武智式封鎖基礎工事に就て」(武智杭)第7巻第8号(昭和6年8月)
金森誠之「枝のある私の杭」(金森杭)第10巻第3号(昭和9年3月)
田中式基礎杭がわからない。どっかに出て来ないだろうか。にしても金森さんハイテンション。面白い人である。
打撃! 打撃! 打撃!!
第7巻第3号には掲載なし。第7巻第4号にかかる。
大阪源兵衛渡地質調査結果[大阪府]大阪安治川の源兵衛渡連絡問題(nagajis注:のちに安治川隧道が作られる)は、26日協議会を開催するが、初倉組で地質調査中のところようやく北側の分が完了し結果が判明した。それによると地下82尺において耐圧力7.14トン/平方フィートという見事な砂礫層に到達しており連絡工事実現上に好影響を及ぼすものと思われている。なお南側は目下ボーリング注であるが大体同程度の成績を収め得るものと見られている。
結局崩壊しちゃうのねぇ・・・。
大阪地下鉄の崩壊事件
[大阪府]4月8日午後11時45分、大阪市庁前淀屋橋北詰の地下鉄道河底工事中の河岸約○十坪が渾然たる大音響とともに陥落。百数十本の鉄矢板はヘシ折られせっかくの地下鉄のトンネルも泥水が浸入しほとんど駄目になった。またこれがため電車軌道が宙に浮かんで不通となった。この椿事に関しては去る10日午後2時半より平塚電気局長以下関係技術家および田辺、直木、高橋三博士ら出席のうえ緊急対策協議会を開いたが、結局市庁舎前南に鉄矢板をもって締め切りを設け、以北の排水をなして工事を進めることにした。一方崩壊した淀屋橋台北部分はこれを現橋の下方まで矢板を打ち土砂を充填し噴水個所を急結コンクリートをもって止め、排水のあと地硬調査をなしてから方策を樹立する。地下鉄のトンネルは従来通りの設計で工事を続行できるが、これを被覆する橋台部分の工事は結局適当の長さの基礎杭を使用するに至るものと見られている。現在の見込みでは市庁舎前以北は1カ月程度の遅延となるが、橋台付近は少なくとも3カ月以上は遅延を見るだろう。これによって長堀−梅田間の開通期も著しく遅延し、5月の開通予定は到底望まれない。今回の原因については地盤の軟弱さによるもので、鉄矢板工事の過失や設計の違算によるものではないらしい。
そこに差異を見い出すのが旅ではありませぬか>立松氏。(追記:地方に地方があった時代はすでに明治で終わっています。文句を言うならその辺りの方々へどうぞ。)
マシュマロでほっと一息。あまり旨そうには見えない。(追記:電気スタンドが電灯色なのである。ホワイトバランスをあわせることはできるのだがそれもつまんないし)
追記:この後第7巻第6号にかかる
「溶接」「熔接」だけかと思っていたら「鎔接」なんてのもあるんだなあ。(追記:アーク溶接の話で「鎔接」が使われていた。火じゃなく金属の導電性を使うからか。導電導電導電導電)
「東京タワーなんてつい最近のこと、本当に懐かしいのは戦前ですよ」。そうだと思うぼく3つでちゅ。
¥(^o^)/...疲弊しまくりくらくリく。(追記:目の焦点が合っていない。クシャおじさんにアイロンをかけたような顔をして入力中)
古来日本では日没をもってその日の終わりとみなしたという。すなわち日が落ちて以降はもう翌日であると。よって新年の祝い事も31日の夜から始まる地方が昔は多かった(柳田翁談)。いまでも12月31日のうちから初詣でに出かけ、そのために終夜運行の特別ダイヤが組まれたりもするような現状は、あながち西洋式の日割り時間割りに杓子定規に従った結果というわけでもないのだった。
というわけでnagajisはもう年越し蕎麦を食った。決して空腹に負けたわけではない。
昨年の暮れはとってつけたような餅と蕎麦とで年越しした。今年はもう少し年越しらしい年越しをしようと思い、手製の蕎麦を作ることにしたのだ。欲が出て2把ぶち込んでしまい、大変残念な蕎麦となったが、後悔はない。
餅を食み、大根を味わい、拾ってあげたお礼に頂いた一個の小さな蜜柑を見ながら思うことは、今年ほどさまざまな方々のお世話になった年はこれまでなかっただろうということだ。誰かに生かされているということを(こう見えても!)ひしひしと感じつつ、1年、生きることができた。去年の今ごろは来年の自分が生きているかどうか覚束なかった。そうして、happily、同じ机に向かって1年前を振り返る自分がある。残念な蕎麦を食べて満腹し鼻の頭に 汗をかいている。
それに対する感謝の思いをことさら述べることはしないでおこう。不器用だからね。言葉は思いを伝えるのに便利だけれども、使い過ぎるとかえって空虚な響きにしかならないし。こういう時は黙って寝るに限るのだ。
皆様、よいお年を。来年もどうぞよろしくお願いいたします。