nagajisの日不定記。
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を書いて以来新規登録が増えた気がするのは気のせいか。総読者数調べちゃいやーんheart;
各方面からご心配のメールをいただいたり突っ込みいただいたりして実は吃驚していたりする。皆さんもいろいろモヤモヤしたものを抱えてはったんだよなーと。読み取れないnagajisは編集長失格ッ!次号から受付が編集長をします!(ぉ
という自虐はさておき、自分がやりたいと思うことを突き詰めていくと今のようになるのだなあということがはっきりしたわけで、これはnagajis不要論方向転換の必要性を今以上に感じる。いちばんの難物はnagajis。コイツの理想と願望をねじ曲げてやればコトは早く済む。なあに、曲げるッたって180°だ、まるごとくるっとひっくり返せば済むだけだ。そのためにここで忌憚無く書いて忌憚だから。
浜寺公園へ行ってきます。鉄道駅舎や古レールに興味のある方、12時半に南海浜寺公園駅へ。会員外でも何とかもぐり込めるはず。スキンヘッド+青いバンダナ+丸メガネのひとに「ここはひどいインターネットですね」の合い言葉をいうと参加できます(できるかも知れません/できないかも知れません/合い言葉は何でもええです)。
加古川山友会 稲葉 矢部優 奥平玲子 (トマトの中に)仲井 ○柿 キタ参上 松下 ------ 槙英昭 正明 大和紘 大阪市 宮園(?) 御国野 深志野 金井巳 ------ 多加政広 阪根映(?)子 内海憲司 阪根友紀恵 阪根みさえ 米田京子 さくら ささゆりクラブ 佐々木正志 2007.11.19. 佐々木正志 土志義明 松本静代 広岡弘子 三木乙人 原田三重子 新町 角南 上田 宮田光枝 宮田千恵子 佐々木雪江 佐々木昭子 稔彦 計17名
特に加古川山遊会とささゆりクラブとやらは重罪だ。山もこの碑もあなたがたのものではない。該当者は直ちに消しにゆくこと。
9/21、吉野へ連れていっていただいた時に。とある河川敷の公園の片隅。朝方着いた時はサンルーフつきのでっかいワゴン集団が駐車場の一角を分捕ってテーブルやらタープやらを拡げて飯食っておったが、夕方戻ってくるとこれが置かれていた。この公園にはゴミ箱はなく「ゴミはお持ち帰り下さい」と大書された看板が立っている。
あれだけの荷物を運べる大きな車でやって来ておいてゴミは残していく人々。都会からやってきて場所と空気と水とトイレをさも当然のごとくに利用してゴミを残していく人々。なかには新品のバーベキューセットを一回使ったきり、その場に放置していく輩もいるらしい。注意をすると逆ギレされるらしい。2002年6月、茨川で同様の光景を見た。
さらに切なくなったのは、この写真を撮った直後に村が回収していったことだ。わざわざ「○○村環境パトロール隊」と描いた軽トラックで。そういうものを用意して回らねばならないほどそういう輩がいるということだ。
ダム建設に翻弄され、過疎に翻弄され、それでも外から人を呼ばねばならない村に、やってくるのはこういう人々だという切なさ。礼をした私たちに対して冷たい目しか帰って来なかったのも仕方ないと思う。
その晩はその晩で、トイレ脇に泊っていたライダーが水道の水を流しっぱなしにして寝ていた。フライパンがわりに使われたチタンコッヘルの蓋に、ポツリポツリという雫であったのはせめてもの良心かも知れないが、目の高さに張られてある「節水にご協力下さい」を見なかったはずはあるまい。それは旅人の、バイク乗りのすることではなかろう。
もし、これがアウトドアライフというものならば、私はまっ先にアウトドアライフとやらと決別する。同じことをする者とは思われたくないからだ。何ならニンゲン辞めたっていい。
夕方、河川敷に降りる階段に腰掛けてぼうっとしていたら、おばあさんに出会った。「今日は泊りかえ?」。「ええ」、という返事が少し恥ずかしく思えた。継ぐ言葉に悩んでその日の探索の話をした。
「今日は上の古トンネルへ行ってきたんです・・・明治に作られたっていう、古い小さなトンネルがありますよね」「あー、あれ行ってきたんか」「そうですそうです。それから、その上を越えてたっていう昔の道も」「あそこはデンパツが年2回草取りしよるけえのー」「へぇ、そうなんですか、どうりできれいな道だった」「トンネルは潰れとらんかったか」「少し崩れてましたけど通り抜けられましたよ」「今ん道路ができるまではあれ通っとったけど、コウモリがおってコワかったわ・・・」「いましたいました(笑」
なんでも、トンネルを掘った時の石屑を東口の斜面に捨てたのだという。そのせいで一帯の杉植樹に苦労したと。「他所から土持ってきてな、それ撒いてから植えたんよ」「へぇー」。見上げれば、そんな過去を語ることもない杉の森が拡がっている。
それから、よう来たねえというような話があったように記憶する。それが一番嬉しかった。そういえば前回、ここへ来て人に尋ねた時も「(この土地に)興味をもってくれてありがとう」と言われたっけ。感謝されたことが嬉しいのではなく、その人が喜んでくれたことが無上に嬉しかった。
それが本当の旅だ、とは言わない。そういう旅のほうが好きなだけで、それを広めたいと思うばかりだ。
そうしてふいんき(なぜか変換できない)をぶち壊すのがnagajisだ。空気を読まないことに関しては一日の長があるという自負がある。
古い写真。2002年8月、福島県の南の端のほうで。一瞥で「?」となり、読んで「!」となる良いタイプの看板。ただ単位系が統一されていないためじっくり読み過ぎると奇妙なポテンシャルが首をもたげてくる。
30歳、40歳、50歳のスピードで走るとはいったいどういうことなのか。脂の乗ったバリバリ働き人としてのスピードなのか。酸いも甘いも噛み分けた玄人的な走りなのか。三十路の私だがまだ判らないということは80まで長生きできないのかも知れないと思う。
80km/hで長生きするというシチュエーションも想像しづらい。そういえば昔アラレちゃんにバイクに乗っていないと死ぬというキャラクターがいた。そういうものを指すのかも知れない。あるいは「スピード」のことか。時速50マイルといえば丁度80km/hだ。しかし「まで」というからには80km/hが到達点なのであってすでにバスは爆発している。年を重ねるにつれてスピードが速くなっていくということかも知れない。人間80歳にもなれば80km/hが出せるようになると。
30、40、50歳を生け贄にして80歳を生かすという読み方もできるが何だか生々しい感じもする。年金問題何とかしてください>長妻さん。
そんなこんなで、この写真を目にするたびにキリのない詮索の海に溺れることになるのだ。
こういう数字系看板を見ると無意識に四則演算したくなるのは何故だろう。実際にするわけではないがパッと見て「あ、キリがいいな」とか「惜しいな」とか思う。30+50=80で40が余るとか。60だったら(30+40+50)÷2でぴったりなのにな、とか。そうして60まで長生きしましょうということになる。それでは説得力がない。
逆に数字から何かを連想することも多い。例えば国道29号線のおにぎりを見ては「肉〜」と思う。思うだけならいいが「にく・・・」と呟きさえもする。それ以外のことが考えられなくなる。
nagajis視点ではこう見えているわけである。
山友会の人間がすることとは思えん。<br><br>個人的には、なぜこの看板を金子建設工業(株)が出してるのかというほうが気になったりします。自治体や地公体じゃないのか。
切符に書かれた4桁の券番を四則演算して「10」にしようとしませんか。最近はスイカだのパスモだのを使うので切符買わなくなりました。
「ふいんき」じゃなくて「ふんいき」ですよー
X 加古川山遊会<br>○ 加古川山友会<br><br>サイトによりますと、<br>■入会条件<br>国籍、性別、年齢、経験不問 互いを認め、互いを尊敬しあえる者<br><br>だそうです。
ここに来た記念ね。き・ね・ん。で落書きをするという発想がわかりませんね。落ちている枝でSOS文字だったら“粋”なんですけど(笑)
次の人、他人を思いやれぬ人が山に入るなんて恐ろしいですね。遭難や不法投棄が危惧されます。落書きなんて子どもじみていて、かつ下品だし(汗)。
名前修正しました。<br>切符の数字の四則演算よくやりますね>isoさん。自分は素数かどうかの判定にチャレンジしたことがあります。これは素数!というのを発見して意気揚々だったんですが、帰ってポケコンで検証プログラム書いたら3桁×2桁に素因数分解されて悄気た覚えがあります(だからどうした)
Wow, thatツ痴 a really ceevlr way of thinking about it!