nagajisの日不定記。
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※タイトルはパクリです。
前職で2度目の取材に行った時のこと。兵庫県北部の高原の宿だったと思う。取材といっても経験が浅かったから先輩の見習いという名目で金魚のフンのごとくについていっただけだ。で、お約束の通りカメラマンの構図に入って邪魔したりとか子供のご機嫌取りにあたふたしたり(というのはウソで元々ガキンチョなんだから意気投合したり)だとか、そんな感じで一日目が過ぎた。泊まりは紹介する宿に。広告取材という名目なのでタダで泊ることができた。食事も無料だった。それが「そういうもの」だろうと思っていた。
その日の晩、夜中に起きてトイレにいったわけだが、階下に降りると、宿の家族が総出で家族会議をやっていた。それを立ち聞きしてしまったのだ。
大半は翌日の取材についてなのだが、だんだんと雲行きが怪しくなる。まるで立ち聞きしている自分を暗に咎めるかのような展開。
「いくら宣伝ゆうても、ツクリゴトせんでもええやろう・・・」
というのはあれだ。「家族で山菜狩りへ行こう」という企画で、翌月号の記事だから、無い山菜をさぞ生えているかのように撮らねばならなかった。百貨店で買ってきた他所の山菜を持ってきて「植えた」のだ。そのへんは向こうさんも了解済であったはずなのだけれど、100%納得できる人などいないだろう。こういう場で不満が噴出しても仕方ないし普通だと思う。
「仕方ありませんわ、雑誌が出るんは1カ月後やそうですし」
「にしても、タダで泊めてやらんでも。ひいふうみい・・・6人やで。食事の用意やて馬鹿にならん」
「そりゃあ、まあ、そうですけど・・・」
宿の窮状は痛いほどわかる。旅行ブームが下火になって、かつては名の売れた観光地であった取材先も地域まるごと疲弊している。ただでさえカツカツなのだから、いくら宣伝目的であっても余計な経費をかけるわけにいかないのだろう。それくらい疲弊している地域はとても多い。というより都会以外はみなそうだ。
だからこそいい記事を書いて、お客さんに来てもらえれば、という思いが一つの拠り所になっていた。雑誌に取り上げることで幾許かの恩返しになると思っていた。それが「招かれざる客」であったとは。表向きは優しく接して下さった皆さんだし、写真撮影にもいやな顔一つせず協力して下さった皆さんなのだけど、裏でそういう思いを我慢してはったんだなと知って、まあ、愕然としたわけだ。
そもそもこういう記事を読む読者はほとんどいない。必要とされているのは「いかに安い宿か」「いかに便利な宿か」という情報、あるいは直感でわかる「きれいな写真」なのであって、グチャグチャ書かれた文章を隅々まで目を通す人はまずいない。それが辛かった。書いたものが読まれないという悲しさではなく、ツクリまでして用意して、苦労して頭ひねって文章書いて、という労力が何のためなのか、自分自身にうまく説明できない悲しさ。
ここで割り切ることができれば立派な職業ライターになれたのかも知れない。あるいはこの立ち聞きを先輩あるいは編集者に伝えたらそちらの側へ与できたかも知れぬ。しかし経験のない自分は自分のなかに抱え込むことしかできなかった。黙って布団に潜って悶々と考えた。お陰で翌日の取材が辛かった。
せめてもの恩返しにと思って一生懸命記事を書いた記憶がある。しかしそれもどの程度役に立っただろう。出版社内のなんかの賞を貰ったようなおぼろげな記憶があるが、どうでもいい。
今は楽でいい。覚え違いや勘違いはあったとしてもウソをウソだと認識しつつ書く必要がない。取材先のことを呵りながらない頭ひねって美辞麗句を並べたてる必要がない。何より読者を呵って、いかにもわかりやすい、噛んで含めて諭すようなことを書かなくていい。なんでもないことをすごそうなふうに書き立てる必要もない。行って感じたことを素直に書き、自分なりの解釈を書いていられる。それで(曲がりなりにも)生きていけるからORJをやっている。
とはいうものの、読者数が少ないうちはそれで良かったかも知れない。噛んで含めて諭すような文章でなければ読む気もしない方も多いだろう(そういうものでないものを付けてよく売ってるなあという非難は甘んじて受けるが。無理なものをいくら頑張ったって無理なのだ)。前述のエピソードだって、結局は自分が傷ついたヤな思い出を愚痴って気晴らししているに過ぎないのだろうし。
12、13日辺りに取材もどき(前述の記憶があって取材という言葉がうまく取り扱えないnagajis)に行かねばならなくなった。また滞る。すまぬ皆々様方、特に編集部の皆様〜方〜よ〜。
宇宙人から侵略を受け地球を明け渡せさもないとゼットンだかプルトンだかの最終怪獣を送り込むぞみたいな脅しをかけられガクブルした夢を見てうなされた。何がしたいのか>nagajis
それがあるから今がある。<br><br>愚痴をこぼすのも気を使う“今の世の中”なんてのは、ろくでもない世の中ですわ。ほんま。<br><br>人間、愚痴愚痴ゆうてなんぼじゃと思う、現在酔っ払い。
わたしもよっぱらい!<br><br>そういやMSXにヨッパライちう名作ゲームがありましたな。
MSX…。<br>親の教育的指導でファミコンすらも買ってもらえなかった昔。MSXは“神”の存在でした。<br>これがあれば何でも、否、世界を変える事も出来るパンドラの箱…。ヒックぅ…。寝ますわ。