nagajisの日不定記。
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昨日は奥山田で人探し。今日は天理で文書読み。どちらもクリテカルなヒットでなかった。ひのきのぼうではぐれメタル叩くみたいなまどろっこしさ。嗚呼。明治大正の辺りだけでいいので全知全能の視点がほしい。
奥山田公民館で集い中の方々にお話を伺えた。興味深いことをいくつか知れた。例えば第二隧道。奥山田資料集(仮)では隧道の中で行き違いが生じたように読めるが、実はそうではなく、隧道全体について「天井と道床の高さを取り違えた」らしい。つまり天井にすべき所に道路を持ってきてしまったため、第二隧道自体が矢鱈高い所に作られてしまったのだという。第三隧道(奥山田側)>直角カーブ>*登り*>第二隧道>*下り*>第一隧道、ということ。第三>第二は自転車で越えるのがエラかった(経験者談)。
第二隧道は常滑土。水気を吸って崩れる。事実南口内部はひどく崩落している。ここで想像されるのは第二隧道の地質が悪い>頂設導坑による逆巻きを予定>しかし施工者との間の疎通が上手く行かず底設導坑掘鑿にしてしまう>天井と道床の入れ違い。すなわち何が云いたいかというと、地質悪=頂設という見通しを立てられるような隧道工事に精通した人物=青木市太郎氏、という仮説。
煉瓦は「日露戦争の捕虜を連れてきて焼いた」説が伝わっている。が、M38に終結しているのだからあり得ない。何か意味があるかも知れないということで保留しておく。
第三>第二の直角カーブ、一度で切れるかどうかでバス運転手の技量が問われた。
第一隧道のみ早い改修の理由は、昭和28年に南山城水害を被って崩落したため。復旧・拡幅工事はしたが交通的には焼け石に水なので、改めて大福隧道、奥山田隧道を掘鑿。
第三−第二付近に新トンネル計画中。第二隧道南口周辺が資材置き場になる。そのせいで現在すっかり刈り払われている。
扁額書者。関防印は恐らく「開運招福」、朱文印は「僧正」、白文印は「鳳(鵬)雲」(第一・第三共)。当時の京都府知事ではなさげ。遍照院かどこかの住職?偉過ぎるか。
刻露清秀。秋の言葉。隧道は45年3月竣工なので実はそぐわない。
通称。大福隧道、大杉第二、大杉第一。奥山田の人は第三=カカリ(掛)の隧道ともいう。
天ヶ瀬ダム右岸廃道。
わひゃー、追いつかねえ!!
ちょっと離れている間に<br>大変なことがあったようで<br><br>顔の見えない世界は<br>丸く収まるものも<br>角カク刺トゲして<br>何ですね。<br><br>私は<br>意見交換<br>喧嘩×<br>閲覧者が他人の出禁を求めるのは越権行為<br>だと個人的に思うのですが<br><br>ジスオ先生の大人な対応にも感涙しました。<br>忙しくても腹が立っても感情的にならないのが大人ってもんですよね。<br><br>つくづく器のデカさを<br>感じました。<br>字は可愛らしくて意外でしたが…。
あれ?意見交換 丸<br>と書いたのが消えてる。<br>もしや記号駄目ですか?
○ 全角記号だったら大丈夫です−。<br>#背伸びしたいお年頃のnagajis