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2010-11-26 郡費支弁里道考 [長年日記]

[独言] 郡道.京都府

郡費支弁里道のことをしつこく考えている。考えているだけで答えは出てない。

明治11年に自治三新法(郡区町村編制法)が公布され、自治区として郡が成立。県と町村の間にあって、両者の調整役というか、上からの通達を町村に遵守させるための管理者といった感じ。課税権はなく、県会・町村会に相当する議決機関もなかった。郡の予算は手数料や郡財産からの収入で賄うことが基本(という建前)で、不足分は町村が負担した(賦課金。実質的には賦課金が歳入の大半を占めていた。http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/789633/173)。

明治23年の郡制法で、郡会・郡参事会の設置が認められ、また府県町村と同様に法人格を有する団体とされた。郡会議員は75%が町村会で選挙され(複選制)、25%がいわゆる大地主から互選で選出された。

明治32年に改正。郡会議員が直接選挙制になったものの、被選挙権は高額納税者に限られていたから、ますます地方有力者の占める割合が増えた。組合制度(複数の郡にまたがるもの)もこのとき? 予算については従前と変わらず。

郡事業としては、学校の建設など教育事業に関するものが圧倒的に多い。地域の数町村に関係する事業を郡の主導で実施するという形。ただしその経費(予算)は寄付金に頼るか賦課金として町村の負担となるか。郡費支弁里道のような土木事業に対して「補助せよ」という条文はないから、補助するしないは郡によってまちまちだったと思われる。

ただ・・・郡費支弁里道というもの、どうも特定年以降に現われるような感じがする。明治後半、30年代後半以降という印象。近畿圏だけを見た場合なので、「流行」し始めたのがその頃というだけかも知れないし、その頃になってようやく郡事業を盛んに行えるほど地方経済が豊かになってきたということかも知れないが、何かきっかけがあったのではないかと思ったりもする。で、明治32年の郡制改正が関係するのかと思ってみたが、そうでもないらしい。予算収入についてはそれ以前と変わりがないし。地方債で道を作るというのもあまり聞かない(T元地方債統計にも、道路目的の地方債という項目はないようだ。http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/975562/6)

kindai.daにある京都府下の郡治一班や郡誌を見てみると、地方によって郡費支弁里道があるところとないところがまちまちなのがわかる。

明治37年:京都府北桑田郡誌

福知山街道(小浜街道中平屋村より分れ宮嶋大野両村を経て福知山に達する)、花背街道(園部より宇津、周山、山国、黒田を経て山城花背村に至る)を「郡の施工道路」としている。

大正3年:京都府竹野郡勢一斑

仮定県道・主要里道。郡道(郡費支弁里道)なし

明治44年:京都府与謝郡現勢一班

県道・郡道・里道。

大正5年:京都府天田郡治一班

道路分類は国道・仮定県道・郡費支弁里道の3つで、郡費支弁里道17路線あり。

明治45年:京都府宇治郡治概覧

道路分類は国・県・里道。

三重県一志郡の場合は、明治24年の郡治一覧概表にはなく、大正4年の郡治要覧に郡費支弁里道(県費補助)が現われる。対象になっているのは旧二等里道全般で、要するに県道以外の里道はすべて郡費支弁里道ということにしてある。これが三重県標準というわけではない。


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