nagajisの日不定記。
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サイクリング部に入って最も衝撃を受けたのが『ひるかん』制度であったことを何気なく思い出している。サイクリング部の合宿では、昼食は必ず『ひるかん』だった。わざとらしく二重括弧で括ってみたが、何のことはない、飯と缶詰のみの食事ということである。昼の缶詰だから『ひるかん』である。日ハムの元監督でもMr.違和感でもない。嵐寛寿郎でもない。
朝飯を作るときに昼に食う分の飯も炊いておき、自転車に積んでいく。昼時になればその飯を食う。当然ながら冷や飯である。そのうえおかずは缶詰だった。それ以外はない。缶詰のみで冷や飯を食った。それだけの昼飯だ。
夏場はまだ良かった。冷や飯が芯まで冷え切る春合宿だとか、雨が降らないわけがない初夏ランだとかの『ひるかん』は、哀しみ以外の何者をも伴わない思い出だ。せめてインスタントの味噌汁だとか温かいお茶だとかも作る習わしだったならば、もっと楽しい記憶であったろうにと思わないでもなく、しかもそんな食事が平成6・7・8年頃まで行われていたのだから、時代錯誤も甚だしい話である(ちなみに合宿中はジュースやお菓子、嗜好品も禁止されていた。今はそうでもないらしいがスポーツドリンクすら不許可だったのだ)。とはいうものの、そんな時代錯誤感が大好きで、そのせいでサイクリング部の虜になったことも事実である。『ひるかん』を食うことは嫌いだが制度そのものにはむしろ迎合していたきらいがある。そういう者ばかりだったような気もする。
我々は『ひるかん』をいかにおいしく・楽しく食べるかについて研鑽した。例えば『ミート缶』の導入は画期的だった。スパゲティのソースを飯にかけて食べるのだ。それはさば味噌煮だとかいわしの蒲焼だとかの魚缶詰になりがちなラインナップに革命を齎したと言っても過言ではなかった。さわやかなトマトの酸味にたまねぎみじん切りとミンチ肉のころころ感が冷や飯によく合った。たっぷりかけて食えるので多量の飯を摂取できることも利点だった。ただし脂分が固まってしまう春合宿でやると地獄を見た。
『あずき缶』も定番だった。ごはんにあずき。一見えっと思ってしまう組み合わせだが「要は『おはぎ』やで」という先輩の言葉に騙されたつもりになって食べてみて瞠目した。疲れた体に甘いものが旨くないわけがなく、また脂分たっぷりな魚缶詰を食べた後の口直しにももってこいだった。ただしこれにも難はあった。あずき缶は大きな缶でしか購えないことが多く、しかも一度開けた缶詰はその場で全て片付けてしまわねばならなかったため、残ったあずきを片付けるのに苦労した記憶がある。特に一回生の頃に。
『えのき茸』もよかった。『ひるかん』とはいうが瓶詰めももちろんOKだった。あの平ぺったい独特形状のえのき茸の瓶。異性の肌の曲線美も『えのき茸』瓶のシェイプには敵うまい。ブキ(スプーン)が奥まで入らず柄の部分で掻きだして食べた記憶はいまだ鮮明にある。今でも無性に食べたくなることがある。今じゃ百円ショップでも手に入るご時世だ。いい世の中になったものだ、と思う。
昼飯の缶詰だから『ひるかん』といった。だからといって青空のもとで食べる缶詰だから、さばの味噌煮だとかいわしの蒲焼だとかいう和風の缶詰だから、みんなで回して食べるから、といったことは脳裏に浮かんでも口にすることはなかった。その程度には文化的な我々であったからだ。ともかく『ひるかん』という言葉には二律背反が伴い、脳裏での扱いに悩む。今だってソロツアーの朝飯や普段食の足しに食うことがあるが、だからといってそれを昼に食う気にはなれないのである。
そうそう、『ひるかん』には悲劇がつきまとった。当時使用していた火器はブス(Phoebus)だった。しかも数十年間酷使されたポンコツだ。ガソリンが漏れて当然というポンコツだ。飯と同じバッグに入れてしまおうものなら、飯にガソリン臭が移ってしまい『ガス飯』になった。そうして食わなければ飢えて氏ぬ合宿中ゆえ、そんな『ガス飯』を食わなければならなかった。ピークワンが導入されてからもシグボトルから漏れ出たガソリンでという悲劇が絶えなかった。E氏がコゲをカリカリして箸を折ってしまい「あああ〜〜〜折〜〜れ〜〜た〜〜」と宣い、それによって彼の将来が決定づけられてしまったのも『ひるかん』での出来事であったはずだ。