nagajisの日不定記。
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書いても仕方ないことや反感を買うであろうということを書いたところで何の益にもならないことは重々承知している。愚痴とか諦めとか疲れとか絶望とか。では黙っていればそれでいいのか、というより黙っていられるかと言わればそうでもないだろう。話してすっきりするという効能はあるのだし「ものいわぬは腹ふくるるわざなり」と兼好法師も言っている。人生を振り返ってみて、失敗談、辛い話、そういったものを誰かに話して共有したら肩の荷が軽くなったという経験をもつ人もいるんじゃないか。
とは言っておくが、そういうのを期待して書いているのではないことをご承知置き願いたい。仕方のないことをだだ漏らしに書き、反感を買うために書いている。腹にたっぷり愚痴とか諦めとか疲れとか絶望とかを仕舞い込んでいるから近寄るなという警告のために書いている。理由はそれだけだ。
波瀬選出の佃議員が自ら否に回ったのには2つの理由がある。一つは態勢を立て直して再建議するため。もう一つは高見峠を犠牲にすることで四角工事の三角を生き延びさせようという骨肉の策であったこと。そこを見逃してはいけない。政争の具にされたという点では変わらないが単なる哀話ではない。頭に浮かせて載せていた卵をたたきつぶして「これで満足か?え?坊ちゃんたちよ」と言っている、その卵であったということだ(ちょっと違うか)。
再三再四の延会とその内容を把握すべし。しかし松阪の人の反対理由が然としない。なぜそこまで反対する理由があったのか。おそらくただ一つだろうけど。
近現代史に関する論(創刊号と第3号)を思わずコピーしてしまう。常々感じていたことがそのまま書かれているから。近現代史観が確立していないところへ心棒としての新三重県史という位置付けになると思うのだがその結果が資料編だけというのはひどく試されている気がする。それだけ仔細に研究されていず、まとめるのが難しいということだろうか。
要するに「耳に心地いい音楽」だけ選り好んで聴いているようなもの。本人は至って真面目な学徒のつもりでいるが基礎のキの字もないド素人である。一番迷惑なタイプ。まあ誰も相手にしてないし、そのうち誰かが片付けてくれるだろ。
よう考えたらこれ三重図で読んでるんだな。昭和9年○月×日!(日付失念)で思い出した。創刊号に昭和の矢ノ子峠改修に関わった人の回顧録がある。
T2の廃案後も波瀬以西の改修は続けられたんだな。案だけでポシャったわけではなくそのきっかけとなる工事と続きの工事があったということか。ちょっとこの頃の流れが不透明になってきた。
考えてみれば野又でやったような統計っぽい手法が使えるのだよな。改修・修繕費の項目は明治初期からあったっけ? あとで要確認ただし「3」には間に合わない。あと上市街道ってどっかで見た気がするんだが・・・
あれを…するしかないのか。完全にストーカーだ。