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旧道倶樂部録"

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2011-11-19 ”道“を拓いた偉人伝 [長年日記]

[廃道本][宣伝] 第一章・土倉庄三郎

画像の説明本の話をいただいたきっかけであることもあり,土倉庄三郎と東熊野街道の話が第一章を飾ることになった.「人,その生涯」はORJの記事そのままだが,Oさんに不要不急なエピソードを削っていただいている.道そのものの話が始まるまでが長いので,ということだった.自分では勿体無がって削れなかっただろうが,ざっくり削って頂いたおかげでとてもすっきりした.自分はぼんやりと,この話を3章4章辺りに持ってくることを考えていたが(より直裁的に道と関わった人の話を前半に,脇道でエピソード豊富な人を後半にして,読んで慣れて来た頃の変化にしようと思っていた.思っていただけで相談したことはないのだが),巻頭にするのであれば確かに冗長で,さくっと道に繋がったほうがよいと思う.後にして思えば街道建設の辺りもっとシンプルにするか,「道,その後」のほうへ持っていったほうがよかったかも知れない.道路趣味に縁のない人や,ただの伝記だと思って手に取った人にとっては,工費が幾らかかっただとか文書の道筋云々は不要な情報だ.そういうわけで「道,その後」も土倉街道から始まるようにした.

「道,その後」は書いた順でも最初になるのでずいぶん苦労した.結局は無人称(気味)で道をなぞって紹介していくことにした.要するに「廃道をゆく」と同じパターンだ.今回は書き手=私であることが明らかなので右顧左眄せず書けるのが楽だった.旧廃道を歩く面白さについて,取ってつけたようでなく入れ込めたのもよい(今回の本では旧廃道の話はあまり出てこない.現在も使われている道,ただし古い出自と関わったユニークな人がある道を紹介している).

「人」と「道」とを分けたのもよかったと思う.世の中の人は「土倉庄三郎の作った道」みたいなわかりやすい構図を求めるだろうけれども,そんな道はまずあり得ない.申請して路線選定して石を運んで土を削ってということを大勢でやった.そのなかで主役を演じたのが土倉庄三郎というだけで,そういう主役級の人ですら表沙汰にならないから特段取り上げて紹介しようという意図の本である.だから「人」「道」で分けて章で括るくらいでちょうどいい.

この原稿では「東熊野街道Odyssey」でおざなりになっていた事を二つ解決した.一つは土倉家文書の中身の紹介.それから,土倉庄三郎の紹介で始めた割に後で出てくることがなかったこと.それなりにちゃんと〆られたと思う.

[廃道本][宣伝] 第二章:天爵大神・水谷忠厚

画像の説明個人的には一番のお気に入りである.愛知や福井の方には馴染みがあるかも知れない.神を名乗って道を改修しまくった人である.

事跡に関しては『天爵大神・水谷忠厚の足跡』という労書があるので苦労しなかった.そこで不足している「その道がいまどうなっているか」や,天爵大神が関わったとされる道(阪東ホウ崎だとか梅浦道だとか)が今のどの道に当たるのかを紹介するのが役目だと思って書いた.現地の様子を紹介できたのは『足跡』で触れられている道ばかりになってしまったが,そこはまあ,押さえるべき所は押さえたということにしておこう.どのみち全部辿っていたらページが幾らあっても足りない.

あえて旧版地形図を多用したのは,これを見て愛知や福井の人が道を訪ねてくれることを期待してのことだ.遠方なので微に入り細に入る探索をすることができない.むしろ地元の人がそういうことをやったほうが価値がある.他所者はそのきっかけになるくらいが丁度いい.

書いていく中で,『足跡』が教えてくれなかったことに気づけたのも良かった.なぜ彼が福井に行ったかは書いてあっても,福井で受け入れられた理由までは書かれていない.道は自分たちで直すべきものという全国普遍的な気分?があって,そのせいで道路改修が成功したような感じの書き方だったが,それだけでなかったことを発見した.福井が特別だったのだ.

愛知と福井という2県が全く別の文化圏だと思っていたが,そういうわけでもなかったことにも気付かされた.美濃街道を通して繋がっていたのだ.天爵大神が活躍した頃,ちょうど東海道線が長浜から名古屋まで達していて,長浜から北へは北陸線(敦賀線)が通じていた.敦賀より先は春日野新道を通っていける.そのルートだろうと当初は思っていたが,そうではなく,美濃街道をてくてく歩いて行ったんじゃないか.

取材が大変だった.大阪始発のJR+美濃太田から名電,尾張瀬戸駅で降り,瀬戸と赤津を見て,雨の降る中を瀬戸街道→天爵大神墓→一宮街道→天爵大神碑とハシゴした.そこから電車で福井へ直行,細呂木で夜を明かして福井を回った.大阪から福井へ行くには始発に乗っても10時11時着になるから,愛知から直行するしかなかったのだ.取材だからといって旅費が出るわけでもないし.それに,特急でだっひゅーんと目的地へ行くような旅はしたくない.過程をすっぽかして結論だけ得ても何が面白かろう.

どちらの土地も初めて旅をするところだったのでずいぶん心細い思いをした.愛知では馴染みのない都会の市街地を走る心細さを,福井では田舎道の寂しさを味わった.無茶な夕立にもやられた.そういう旅のほうがいい.

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]
_ 佑有子 (2011-11-20 11:26)

「明日が楽になることを信じて、今やろう」<br>学校で何か困ったことや大変なことがあった時、前に進める私の大好きな言葉です。<br><br>これからはnagajisさんの「過程をすっぽかして結論だけ得ても何が面白かろう」も加えていいですか?<br>”一歩一歩進めば、たとえ同じ物を手にしても何かが違うんじゃないのかな”っていう感性が好きです。<br><br>これ1冊で終わりじゃないから、これからも無理しないでがんばってください。<br>未来の2冊目でnagajisさんの感性が退化しないことを祈りつつ、1冊目を読むのが楽しみです。

_ nagajis (2011-11-20 21:27)

私が言い始めたのじゃないと思いますので,どうか気にせず使ってください.柳田国男の「峠越えのない旅は餡の入ってない饅頭みたようなものだ」と同じ趣旨ですし.


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