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2011-11-20 ”道“を拓いた偉人伝 [長年日記]

[原稿][廃道本] 第3章:禅海和尚(真如庵禅了海)

よく考えてみたら「廃道がない」という割に[廃道本]タグを打ってしまってた.まあいい.よくあることだ.

画像の説明第3章は禅海和尚.青の洞門を作った有名人である.できるだけ無名に近く,道づくりの現場に近い人をと思って「土木県令」のような人物は入れなかったが,この人だけは敢えて取り上げさせてもらった.理由は読んでいただけばわかる(といいな).名前はよく知られているけれども,実のところはよくわかっていなくて,事実と創作とがごっちゃになっているという典型のような人だから,である.

だからといって「禅海和尚の真実はこうだ!」みたいなことが書けたとは口が裂けても言えない.創作である『恩讐の彼方に』ではこうなっている,資料が伝える禅海像はこうである,と並べてみただけだ.むしろ言いたかったことは,生半可に知ったつもりでいた私がこんな記事を書いている姿を通して「知っているつもりのことをもう一度見直してみること」「それが道路趣味をのポイントである(とnagajisが思っている)こと」を伝えたかった.要するに伝記と見せかけて道探索の面白さを訴えようという回りくどい記事である.nagajisがふつうのぶんしょー書けるかってんだ.

前半は『恩讐の彼方に』を長々と引用している.我慢して読んでいただきたい(読んだことのある人はすっ飛ばしていただいてよい).最後になってその意味がわかってもらえると思う.「道,その後」では,禅海和尚の作ったとされる初代隧道がどのような改修を経て今日の姿になったのかを追究しようとした.初代青の洞門は明治20年代に最初の大改修があり,同40年頃にも改修があったという.特に後者の改修は大規模なもので,それによって今日見られるような車道トンネルになった.初代隧道はごく一部が残っているだけだ.といったことは町史その他にも書かれてあるのだけれども,実際にどの程度の改修だったのか,どのへんを改修したのかといった具体的な話がなかなか見えてこない.近世の話は詳しく書かれていても,より身近なはずの近代以降の話がおざなりになっているというのも,ある種の典型だ.

それを解決するために「絵葉書を利用する」という無茶をやっている.当初はそこまでするつもりはなく,古写真がわりに使おうという程度の気持ちだったのだが,何枚か集まったところで「二種類ある」ことに気づいてしまった.以降注意して見ていると,出てくる出てくる,よくもまあこんなに沢山撮ったものだと思うくらいに(しかも同じ構図で).それでその集まった絵葉書を使って大改修の前後を見ていくことにした.ちなみに絵葉書はどれも古物市や古本屋を回って100えん程度で購入した.数あるせいで滅法安いのである.

絵葉書の比較で改修ストーリーに目星がつき,あとは現地に赴いてその裏付けをするだけ,と思っていたら,現地で謎の旧道を発見してしまい,若干こんがらがりながら書くはめになった.ちょっとすっきりしないところがあるかも知れないが,そのへんも「道探索にはよくあること」ということでお茶を濁しておく.校了後にもっといい絵葉書を発見したりもしてしまった.補足訂正記事を書いて例の資料ページに上げておかなければならないだろう(出る前からコレかよ!).

画像の説明

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]
_ ocoze@三重 (2011-11-21 00:09)

水俣の海岸線が好きで何度か訪れている。歴史に残る悲惨な公害を連想する風景はチッソ工場以外にはなく,それでも町とは友好的な関係を保っているらしい。<br><br>熊本・大分には魅力を感じる。廃道というよりはやはり石橋が目につく。もぐりの廃道好きなので,まだ青の洞門には行ったことがない。近くまでは何度も行っているのに。四国の中西部の山の中で,こんなロケーションの完全廃隧道群(短いものが2〜3本のようだが)を見たことがある。ここのような観光化は全くなされていない。<br><br>ますますこの本が楽しみだ。書籍と称することが出来るものが,今後も書けるかどうかは,文章力よりも書きたいものがあるか否かにかかっていると思う。次作の構想を伺いたものだ。

_ nagajis (2011-11-22 05:26)

石橋のある風景はいいですよね.ふつうの方にも石橋はおすすめできます.<br><br>やってみたいことはいろいろありますよ.売れるような内容とは思えませんし,ツテがありませんが(ばく


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