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旧道倶樂部録"

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2011-11-21 ”道“を拓いた偉人伝 [長年日記]

[宣伝][廃道本] 第四章:増田淳

画像の説明橋梁界では知らぬ者のない人物.大正末の日本に綺羅星のごとくに登場し,鬼神もかくやというペースで橋を設計した人である.その設計橋梁の多くが近代土木遺産に指定され国重要文化財級と評価されている.曰く白鬚橋,曰く千住大橋,曰く長浜大橋,etc, etc, etc, etc. 何より驚くべきことは物凄く沢山の種類の橋梁を設計していることだ.木桁RC桁SRC桁RCアーチ(開腹充腹)鋼鈑桁鋼トラス(プラットワーレン分格ペチットの上下路ゲルバー)フィーレンディールトレッスル鋼アーチ(スパンドレルブレースドバランスドブレースドリブブレースドリブタイドバランスドブレースドリブタイド)可動橋(バスキュールスウィングロール)とゲシュタルト崩壊を起こしそうなほどに多岐に渡っている.その当時世界に存在した橋梁形式の99%を設計したんじゃないか,と部録”の気安さでもって書いておく.実際増田淳が日本で初めてその形式を採用したというのが多い.そういう天才の話である.

ふつうの人は「誰がこの橋を作ったのだろう」と考えることなどない.そもそも橋がそこにあることにさえ関心を持たないかも知れない.しかし橋はとても人臭い構築物で,子細を知れば知るほど面白い.橋が面白くなると「面白いもの」が身近に沢山あることに気づくことができ,退屈な日常が少しだけ楽しくなる.そうなってもらいたくて増田淳を取り上げさせてもらった.その方面に興味のない人に興味を持ってもらうには「人」を媒介にするのがいちばんだ.こんな人がこの橋を作った.同じ人が作った橋がこんなにある.橋には設計者の思いが込められている.そういうことをとりあえずは伝えたかった.

出来としては...やはり役足らずであったことは否めない.5人の原稿のうちで最後に書いたものだから,文字数を減らさなきゃという意識ばかりあって,親切丁寧な解説ができなかった.日本の橋梁史概観とか,廃読10のような橋梁形式の説明とか,なぜ橋梁形式が違うと話が変わってくるのか(その形式にどんな利点があるか)とか,構造力学的な話だとか入れたかったのだが,そこまですることができなかった(そもそもそういうのが書けるほど見識があるわけでもなし).人となりの話も少ししか入れられていない.増田の伝記は存在しないからね.この人のすごさを伝えるためには徹底的に調べ上げたうえで本一冊まるごと使わないと無理だろう.もっと適格な人にそれをやってもらいたい.

この編の存在価値は「作品リスト」に集約されていると思う.土木史研究の2論文を参考に増田淳設計橋梁の一覧を作った.元論文で漏れてる橋も入れてある.校正段階でずいぶん追加したり訂正入れたりしたから,デザイナーさんに迷惑をかけたはずだ.「道,その後」はそういう橋の見方もあるという一例になればと思ってわざと臭くした.さて,どっちに転ぶか.

補足情報には神通川橋梁の件と増田淳設計橋梁の絵葉書を入れてある.設計資料集の中にある神通川橋梁が神岡鉱山軌道のそれであるか否かを確認するため,わざわざ市立図書館へ行って『工事画報』をコピってきたうえに設計資料集を精査してスケルトンを図にしたりしたが,ページ数の関係(&あまりに瑣末な話ゆえ)から入れられなかった.結論だけ言えば「違う」.


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