nagajisの日不定記。
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少しずつ献本を進めている.昨々々日に叡電へ行った折にはM先生に差し上げた.近代橋梁や増田淳に関して様々な助言を頂き,こと技術者視点の増田淳像について大きな示唆をいただいて,それを柱にして書いたこともあり,執筆協力者の欄に(勝手に)ご登場頂いていた.そのくせ本編の出来は芳しくない.正直なところ差し上げるのがちと怖かった(嘘大袈裟紛らわしいには結構厳しい方なのである.そのへんもまた技術者らしい).
昨日話がその本のことに及び,来たっと思って身構えてしまったが,意外にも「よくまとめてる」とのお褒めの言葉をいただいた.心からほっとした.内容が先生好みな技術の話だったからというのもあるだろうが…….
世に広く出回る論文集でないのだから,例え微力であっても『引用』して世に知らしめることに価値がある.本にすることで,増田淳という人物に興味を持つ人がいること,及びそれが彼の設計橋梁に価値あることをアピールするのに役立つ.そういう主張にこの本を使うことができる.云々.そうなってほしいと願いつつ立てた構成が願いどおりに受け取られたわけで,ひとまずは赤点回避といったところか.
阿仁鉱山の現地事務所の方に阿仁隧道の件を伝えようと思い、手順を踏んで尋ねてみたのだが、そこに至るまでの間の足尾事業所のところで「個人の問い合わせには一切応じない」というスタンスにて追い返された。同じようなマニアが沢山いて迷惑らしい(意訳)。筋金入りに硬い。金属鉱業だけに。どうりで阿仁に何も残ってないわけだ、とたった一人の対応をもって全てなつもりで書き記しておく。
生野や佐渡と並ぶ官営鉱山の一つだが、現地には資料や資産の類いが一切残されてないと聞いた。生野のように活用しようにもモノがないから何ともし難いと。近代最初の官営鉱山、近代化産業遺産に認定されていながらこの有様、と長々話された理由がわかった気がする。
ああいう場面で「マニア」と言われると余計に腹が立ってしまう。マニアと言う言葉がますます使いたくなくなる。とはいえ彼我の間に明確な差があるわけでもなし、自分のほうが正しいというのが根拠のない自信であることも承知している。ただ一括りに括られて面倒臭い人扱いされるのが気に食わない。
もしやと思って電話した島津製作所のほうも不発。大阪市発注のS13.12.21.に完成した橋梁模型に関する資料、といってすぐに出てくるものではないらしい。成果物の集約とかあるかな〜と思ってたのだけど、それもないそうだ。やっぱり迷惑な話だな、うん。わかったところで島津製作所創業記念館に見返りがあるわけでもないのだし。この件に関しては。
ああいう模型はその後どうなってしまうんだろう。やはり2、3年で破棄なんだろうか。勿体無い。
まだモヤモヤが収まらない.追い返されたという個人的な辱はどうでもいい.ならば次にどうするかが思い浮かばなくてモヤモヤする.会社も地域も知りたい人も納得できるような方策はないものか.これは今回に限ったことではない.似たような探究をしようとするならいつかはまた突き当たる壁である.ここでぶつくさ言い続けても仕方がなく,かといって解決の良案があるわけでもなく考えがまとまってるわけでもないのでダラダラ書き殴ることになる.
そういう探究は大学とか機関とかに任せておけということか.それはどうだろうか.大学や機関が手が回らないから放っておかれているのではないか.個人の機動力,いわゆるマニアの狭く深くな掘り下げのほうが役立つ場面だってある.ニジニ=タギルでもそういうこと言ってなかったっけか.
問い合わせが相手のリソースを割くことになることは重々承知している.どんぐらい面倒くさいことかは,図書館の参考室のカウンター近くに2,3時間座ってればよくわかる.そんぐらい自分で調べなよ,という問い合わせが次から次に入ることが(別に聞き耳立ててるわけでもないのに)聞こえてくる.それだけの労力に対する見返りをこちらが用意しなければならない,ということは常日頃意識しているが,果たしてどんだけ役立つものなのかは保証できないのだよなぁ.自己満足で終わらないようにといったところでそうであるかないかの境界線は無いも同じ.ペーパーになったかならないか,本になったか否かで判断されたりしたら,自分を含む一般人はみな足切りに合うぜ.
団体には徒党を組んで対応するしかねえのかなあ.どこの馬の骨かわからぬような人間は,馬の骨らしい活動をしろってことなんかなあ.嫌だなあ.
赤点回避はなかなか難しい至難の業。良かったですね
あとでアラが目につくのです。きっと。