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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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2012-04-07 [長年日記]

[独言] 勤行了

Ref.を見ようと思って休んでたらずるずる休んでしまった(日記更新すると消えるねん>本日のリンク元)。まあその分いろいろ捗ったのでよしとしよう。結局何も起こらなかったし。

この間あったこと・とても順不同

画像の説明

  • 長殿発電所の謎に迫り、謎が増え、後日奈良図籠りをしてその大半を解き明かすことに成功。最後に足を踏み入れたあの謎の平場with関電標柱が軌道跡であったはずだ。長殿へ資材を運ぶためではなく、小原川沿いの隧道を作るためにそれが必要だったので、あの低さで良かったのだ。
  • 行きがけに天辻隧道と旧道を訪問。現段階では月報原稿に入れ込んでみているが、これってTRDBにしたほうがいいんじゃね? と思い直している。月報はそういう使い方する原稿じゃねえよな。
  • 原稿3本かく。内訳:月報(9割)、アレ(pdfまで;残り1P)、そうして寄稿用の。『トンネルと地下』誌に『偉人伝』を進呈したところ、寄稿ページを2ページいただけることになり、滋賀県の旧隧道と村田鶴をダイジェストで書かせていただいた。近々校正。
    2ページで行けるんだろか?と思っていたが、やればできるもので、それなりに過不足無く盛り込むことができた。本当の意味での専門家の方々に村田鶴なる人がいたことを伝えられたらと思うその一心で書けば何とかなるのだよnagajis。
    アレのほうは思ったよりいろいろ見つかったので贅沢に突っ込んだ。こんだけやれば価値引き出せただろうと思う。
    月報は例によってぐだぐだである。というかこの企画、どこにも収まらない余計情報を突っ込む目的で始めたのだから、TRDBとか旧橋紀行にできそうなやつは別立てにしたほうがいいんじゃね? 次号はTUKA氏のが旧橋になりそうなので、畝傍が浮いちゃうけど。そか、そういう場合は月報に収めときゃいいのか。
  • 大阪橋巡りは例によって取りかかれていない。まだどうするか悩んでいる。
  • 寄稿の再校。あまり手を入れるとnagajis臭くなるのでほどほどに…
  • 上市へ梅を観に連れて行っていただいた。今年の梅は遅い。梅まつりの翌週になってようやく満開、その丁度いいタイミングに訪れることができた。思えば昨年の今頃もこうやって観に連れてってもらったよなと思う。足をひきずりながら。良くなったことにも連れてってもらえたことにも感謝しているが、それを表す術がない。不甲斐ない。
  • 奈良図籠りの際に駒田普明氏ほかのことを調べようとしたのだが、豈図らんや奈良図は個人情報に五月蝿いらしく、職員録すら公開していない(公開できていない)と言われた。係の人は「時代錯誤な話で申し訳ないんだけどね…」と仰っていたが。それ以前の話として奈良県には県職員の履歴書がほとんど残ってないらしい。また村田氏のような偶然に頼らなければならないのか。そもそもそっち方面は得るものが少ないんだから諦めたほうがいいのか。
  • ゾンビになるんだったか追われるんだったか、ともかく死ぬ思いをする夢を見て大量に発汗、鼻風邪気味で現在に至る。
  • 神戸市立図書館で大正水力電気の企業目論見書をコピる。社章はなし。係の人に尋ねてみたが出てこなかった。仮にあれが大正水力のだとしても間違いじゃない。あの区間は大正水力時代に着手されている。索道ができるよりも前に。しかしその後どこまで進んだか…。
  • 画像の説明それよりも、その調べの過程で『日本登録商標大全』なる本があり、第14類に煉瓦その他があることを知り、そこで謎が二つほど解決した。
    岡町の煉瓦溝で見られたという旭日刻印はこれではないか。分類がちょっと怪しいが年代は合う。松林松之助という人は朝日窯という窯の窯主であるらしい。

    画像の説明太ましい井桁刻印も大阪の灘萬が出願したこの商標がある。貝塚煉瓦も井桁だったがもっと細い。なにより明治40年に岸和田煉瓦に合併されたというから、岡町住宅地が分譲され始めた明治45年には存在しなかった。
    同書には岸和田煉瓦や大阪窯業の商標もある。そのほか耐火煉瓦の商標多し(特殊なものなので製造元が主張したがったのだろう)。『刻印煉瓦集成』にないものもある。ただしこの商標が煉瓦に押されたという確証はない。あくまでも商標だからな。
    (2013.4.19さくじょ)

  • そうして2、3日で一気に桜が咲いた。びっくりするようなスピードだ。桜ってこんなに一気に咲くもんだっけか。そうして今日明日と激寒に冷え込むらしく、雨も降るらしく、散っていくのもまた早そうな塩梅だ。
  • いろいろ神経にさわったのか右瞼が間欠的に痙攣している。原因第一はたぶんNHKラジオ第一の番組改編。天然ボケのない謎掛け問答なんてあり得ない。大輪香菊でない地球ラジオなんてあり得ない。
  • 腕時計がカタカタ言っていた理由がわかった。抑えの輪バネが折れていたのではなく伸び切って平らになっていただけだった(ネジ巻く時に変なひねり方をしたのが良くなかったらしい)。取り出して曲げて厚みを増やしてやったら静かになった。
  • 画像の説明奈良籠で大和白煉瓦索道なるものがあったことを発見。白土って耐火煉瓦の材料にもなったのだな。採掘地および索道のラインは略把握できたがモノは残ってなさそうな感じがする…。掘削跡くらいはあるだろうか。川上村のは坑道が残っているそうだし。
  • 画像の説明五條市大塔町辻堂の八郎橋。このカッコいいトラス橋はS30製。惜しい。ボーストリング+補剛鋼というべきか、それとも曲弦ワーレンの亜種というべきか? 
    辻堂はこの橋の南側で土砂崩れし、それが未だに復旧していない。さっと直せそうな雰囲気なのに後回しされているところから被害の大きさを推して知るべし>nagajis。国道168号もあちこち仮橋運用のままだった。
  • S先生~まだ旅行中ですか~(泣)
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_ ocoze@三重 (2012-04-08 02:21)

R168が作年末に取り敢えず通れるようになったので,昨年の秋には途中までしか行けませんでしたが,先月1年振りに橋本まで縦断しました。<br><br>長殿発電所っていうと,昨年の雨で消滅してしまったところですよね。コンクリ土台の上に発電機3機だけがブルーシートに包まれていました。元あったままくっついているようです。<br><br>十津川沿いの中でも,あの辺り被害は想像を超えていますね。1年近く経った今でも酷い有様のままです。車や家屋が埋もれたままのところもありました。2~3年前に開通していた新道がなければ,R168は向こう数年間不通のままだったでしょうね。

_ nagajis (2012-04-08 22:27)

私が足を踏み入れたのは辻堂の先までで、それであれだけの状況なのですから、それ以降の惨状が想像に余りあります。そりゃ調査も延期になりますわ、という感じです。<br>長殿発電所は水害前から興味があったところなのですが、全容解明する前に本体が吹っ飛んでしまったという。残念なことです。


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