nagajisの日不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad
八時十分より修身講堂にて訓育部長殿の訓話が〔トルツメ〕ありき。十時より医務室で〔にて〕駐車を行った〔いた〕り。それがすみて〔其後〕洗面所にて洗濯を行いたりしが、あまり良くよごれがおちなかった〔ざりき〕。十三時より体力検査が〔トルツメ〕あった〔り〕。体操がすみて後、十分にて講堂に入り神田中将〔閣下〕の訓示が〔トルツメ〕ありき。夕食後雄建神社前にて軍歌の練習を行う。夜は自習。
今日まで着校延期をなしたる藤本来る
寒益々増夜半に数回眼ざます。朝寝室掃除をなし後裸体になり例日の如くなすも寒の為手のびず。斯く寒き折に鍛錬するも気持よし。
今日より三・四時限間の二十分休憩を利用し二年三学班は軍歌演習を中心に、色々と担任教官殿となす事となれり。
午後五時限科学、六・七時限即ち随意運動をせずして第十四教室に於て作業(字号通信)あり。要領は生徒監殿が送信機を打たれ、我々がそれを聴きて耳の鍛錬と同時に通信技術を習う。夕食後台上に於て一年と共に軍歌演習あり。今日の自習時間にては存分活動すること能わざりき。真剣・真面目なる一日なりき。
今日は朝起床時より相当に緊張し張切りてやりたり。午後は学年会にて雨の為兜山上にてなし得ず柔道場にて角力・座団会・宮國の高千穂丸遭難の話・切磋会を実施したり。角力は六人抜きて優退したり。高千穂丸にては宮国・松尾が一組にて平田・川原・松浦が別になりいたる故他三名は不明なりと。唯ボートに乗る際平田と不思議にめぐり会いたりと。松尾は二発目の命中にて側にかたむける際壁につきいたるも歩かんとせしも軍靴の為すべり手すりにぶつかり、ついで其の傍に浮きしボートに乗らんとして波の為船はなれし故その間にはまり沈みしまゝなりと。横になり右舷より水に入りついで後を先に棒立ちとなりて沈めりと。然して助かりし者は主として左舷にありたる者なりと。
三年としての覚悟を新にしたり。自習時間は全く数学に用いたり。良好。
今日初めてドル夫人の独逸語会話授業ありたり。
一気にキタッ! 明日までに終わらせるッ!
京都日出新聞M45.3.、4.、T2.10.、11.を見てくる。奥山田手掛かり茄子。きゅう。かわりに山家橋と市原橋の当時情報。山家は上中下で多少詳しい。
「日本近代の架空索道」はいい本だ。篠原索道できたのかできんかったのか、どっちやねん!!! 付加的に傾城小屋がわかって多分ウハウハ。
Ref.を見ようと思って休んでたらずるずる休んでしまった(日記更新すると消えるねん>本日のリンク元)。まあその分いろいろ捗ったのでよしとしよう。結局何も起こらなかったし。
太ましい井桁刻印も大阪の灘萬が出願したこの商標がある。貝塚煉瓦も井桁だったがもっと細い。なにより明治40年に岸和田煉瓦に合併されたというから、岡町住宅地が分譲され始めた明治45年には存在しなかった。
同書には岸和田煉瓦や大阪窯業の商標もある。そのほか耐火煉瓦の商標多し(特殊なものなので製造元が主張したがったのだろう)。『刻印煉瓦集成』にないものもある。ただしこの商標が煉瓦に押されたという確証はない。あくまでも商標だからな。(2013.4.19さくじょ)
道路の改良第22巻第5号「全国里程表の作製を望む」に昭和15年頃の道路元標に対する認識がある.田中が言っていたことがずいぶん浸透していたようだ.
記事自体は全国一律の里程表を作成する必要性を訴えた内容.逓信関係には郵便線路図があり,鉄道にも貨物集配の区域表の如きものあり,水路についても水路部測定の水路里程表があって各種用途に利用されているが,道路に関してはそのようなものが存在しなかった.むろん全くなかったわけではなく,明治六年十二月太政官達第四一三号,同八年十一月太政官達第一九九号によって里程調査が行なわれ,各府県が把握しているものがあるけれども,全国一律のフォーマットで誰もが手軽に利用できるようなものではなかった.しかも上記法が大正8年道路法によって廃止されたことにより「里程を測る」ということの根拠?法的強制力?が失われてしまっていた.
道路元標がその代わりをなすものでもなかった.道路元標は国府県道の起終点を定める目的で設置されたものであり,府県道の通過しない市町村には置く必要がないという認識*が通説になっていたため,道路元標間距離を里程に代えることも望めなかった.
然るに道路法施行令第七条に依れば府県庁,師団司令部,鎮守府又は市役所の所在地を国道又は府県道の路線の起点終点とするときは市町村に於ける道路元標の位置に依るべしと規定され,更に同第九条に依れば道路元標は各市町村に一箇を置くと規定されているに拘らず,解釈上は右に該当する国府県道の存しない市町村に於ては道路元標を建設するを要しないと謂うのが一般の定説になっている.道路管理上の基点たる道路元標が斯くの如き事情にあるのみならず,里程標の建設も亦道路管理者の任意に委ねられ斯くて陸路里程の算定は全く法規上も事実上も拠り所を失っていると謂うのが今日の実情である.
里程を把握しなければならない理由として著者があげているものは,以前徳島県の例として引っ張ってきたのと同じだ.旅費を算定するためには里程に依らなければならないが,明治時代に測量された---といっても実測されたかどうかも怪しい---里程を使いまわしているか,あるいは逓信省の郵便線路図等を参考にしているのが現状で,実地と合わないことが多かったうえ,戦時体制になって旅費請求が増えてきた.事務作業が煩雑を極めている中,不明な里程をいちいち問い合わせたり何したりやってられないと.
この投稿記事から,道路元標が里程計測に使われた例はごくわずかであり,そういう用途にも使えないものになっていたこと(そういう使い方をしようという機運もなかったこと)がわかる.国府県道の初めと終わりを示すことだけが存在意義になっていて,その状態で新道路法を迎えたことだろう.
じゃあそうすると,なぜ起終点を厳密に定め,石碑まで設置する必要があったのかということになるのだが,ここんところが解るようで解らない.田中好もそこまで教えてくれてない.府県道起終点を示すだけなら,文章で「起終点はここ」と示すだけでも良かっただろう.石標を置くことで得することといえば,その指示が「大字●●字■■ △番地先」とか何とか書かねばならないのを「××町道路元標」の一言で済ませられるという位しか思いつかない.逆に石を設置することで起終点を動かしにくくなっただろうと思う.改修のたび,新道ができるたびに動かしていたら面倒でかなわないだろうし,往来の邪魔にもなる.そういう邪魔さと天秤にかけた結果か.
もっと単純に,いまの青看板のような役割を期待したものだと考えたほうがいいのかも知れぬ.告示で「県道○○線はここからここまで」と定めてあったとしても,実地をゆく人が皆それを知っているとは限らない.元標があればそこから県道が始まっていることがわかる.あるいは通過していることがわかる.現代の道標的なもの.だったら素直に看板立てろよということになりかねないが.
*「各市町村に一つ」とされていたのは主に郡道の起終点になることを想定したもので,T11に郡道が廃止された結果,国府県道に預からない市町村には今更置く必要がないと考えられるようになった.田中好「道路法」.
奈良県の場合は旅費算定を「里程表」に依ることが告示されていた(あれどこだっけ…).しかしその里程表とやらを見たことがない.おそらく内部的に保持していたものがあったのだろう.「一件」にも里程標調査の記録が綴じられていたし、明治20年代から30年代にかけて里程表を設置した記録もある.しかしその成果をまとめた表は見たことがなく,道路法後に修正されたかどうかもわからない.せいぜい明治の全図や郡統計書なんかに市町村間の里程が載っていることがあるくらい.統計書の個々路線の延長ですらT12以降掲載されなくなる.
三重県は比較的後まで府県道路線の延長を載せていた.統計書に.郡道路線の延長も載せていたことがあるから,かなり網羅的なものを持っていただろうと思う.
近デジに郵便路線図が収録されているが画像が荒くて細部を読むことができない。非常にもったいない。
理論的に考えれば白川発電所の建設用。しかしここまで立派に作る必要はなかったんじゃないか。脇に水路が顔を出しているようなこともなし。いやいやあれか、堰堤の見回りとかにも使えたのか。
思いつきで始めたものに時間を取られている。土木起債の入力は余計すぎたかも知れない。これがどストライクで役立つ人はこの世にいない。自分でも持て余すだろうデータである。国道の告示だけ拾っていくほうがなんぼかマシ。
果たして15号は戦前に繋がるか。戸倉峠の指令は出るのか。S10から遡る時間があるか。
Distillerにかけたところで力尽きる。やはり地図が大変だ。ないよりはマシな程度のものだが入れなかったらますますしょっぱくなるので我慢して作成している。調査に出れば出るほど首を締めることになるのは何ともMな仕様だ。
峠を越えるときに篭だったか馬車だったかがひっくり返って、怒って改修を命じた知事がいたと思うんだけど。むー
思い出した。矢の子川峠だ。
かの発電所も仁淀川発電所も高知県営でアールデコチックな垂直志向てふ共通点まであるうえにぶー。安喜水力電気やんけ。旭浄水場とか(旧)西町配水池とかいう混合様式博覧会場があって(この二つは高知市ライン)しかも全部大正末から昭和戦前期にかけての建築物とかゆうことになるとこれはもう踏んだり蹴ったり距ったり蹲ったりである。なんということだ。nagajisの目は例によって節穴だ。設計者は誰ぞな。
エントランスのエンタシス柱に違和感を感じたのは正しい。杉の垂直性に重ねたものかどうかは知らん。朝日山とかどかいなっちゅーか。
竣工は昭和10年9月から11年9月までの間ぶー。S8版で△つき、S10で△取れる。最大出力440kW。安喜水電では最大、県営では3番目にでかい。落差とか鉄管長とかの記録はどこいった。あれは初期の便覧にしか載ってなかったのだっけか、別の欄だったか、どないやねん。なお大阪逓信局管下なので幾ら捜しても見つかるわけがない。ダボが>nagajis
4/7よる追記。やぱスマホの小さな画面だと探す気力が殺がれてだめだ。いろいろ反証もでてくるし。どっとつかれた。
へー。高知電気局庁舎もアールデコってんですか。あのポーチもエンタシスな丸柱なんよね。すごいね。土佐の名建築はよ支払わな。
公務員の世界に首を突っ込んだのは久しぶりだけど相変わらずというか何というか、表からは見えないいろんな気苦労があるみたいで、それはまあ一般企業にもあることだけれども、責任の及ぶ範囲対処せねばならぬ雑務の多さは明らかに違い、その分大変なのだろうと思う。そして一人二人の働きで何とかなるものでもなく、加速的な疲弊を押し留め形勢逆転する妙策もなし。あがいてもどうにもならないとわかっているなかで精一杯働くのはその意気や良しを認識しながらのうちは保つことができたとしてもふとした瞬間に浮かび上がってくる虚無感と断縁することは不可能で気が弱くなっている瞬間に付け込まれ取り込まれてしまう危険性を孕んでいる。足元にいて常に隙を窺っている虚しさと戦っておられるからなのかも知れないと今になって気づく私であった。
立ち位置がビミョーなところにあるので自分がどう動けばよいか測りかねている。応援する物好きの一個人、で納まっときゃいいんだろうがそれで礼節を尽くせるとも思えず。とはいえ礼節は衣食が足りてからのお話だからな。あれ、意味が違うっけ。
_ ocoze@三重 [R168が作年末に取り敢えず通れるようになったので,昨年の秋には途中までしか行けませんでしたが,先月1年振りに橋本まで縦断しました。 長殿発電所っていうと,昨年の雨で消滅してしまったところですよ..]
_ nagajis [私が足を踏み入れたのは辻堂の先までで、それであれだけの状況なのですから、それ以降の惨状が想像に余りあります。そりゃ調査も延期になりますわ、という感じです。 長殿発電所は水害前から興味があったところ..]