nagajisの日不定記。
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奈良図籠りをしたお陰で「復命書」簿冊の重要性に気づいた.知事の命令や他工区の仕事ぶりを学ぶ目的で他所へ視察に行った官吏の報告書の綴りだ.工事帳簿や鉄道免許申請に復命書が添えられていることは知っていたけれども,カテゴリーに収まらない復命書をまとめた帳簿が奈良図には存在していて,それが当時の道路状況等を知る手がかりになることを発見したのだった.
「復命書」帳簿に綴じられているのは他工区視察の報告書(おそらく若手技術者が勉強するために行かされたもの)が主で,天辻隧道に関する重要情報もこの中に発見した.他には道路行政に関して他県のやりかたを視察に行った報告が多く,栃木だとか広島だとか茨城だとかの工事仕様書(仕方書)も綴じられていた.これはむしろ他県の人にとって貴重な参考資料になるんじゃないかしらん.
視察制度は他県にもあったのだろうか.おそらくあったのだろうと思う.そうしてそれが,鈴鹿隧道に似たピラスターの高研・俵津・土屋隧道が遠く離れた高知県愛媛県に生まれた原因なのではないか.上記のような視察を通して情報が伝播したのではないか.
府県間で情報交換があったのだろうということは前々から言われていたけれども,それがどのようにして行なわれていたのかははっきりしていない.内務省技師(部長課長クラスの技術者)はよく移動したので,そういう人が設計図やアイデアを携えて移って行った可能性が当初は考えらていたのだけれども,村田の例で考えると,上級官吏は(隧道のような雑工事の)設計に関わらなかったように思われる.設計は技手もしくは奏任官待遇技師の仕事であったらしい.となると設計はどうやって伝播したのか.道路改良会が開催した全国道路大会,もしくは「道路の改良」誌や「道路」誌のような情報媒体はあるにはあったが.それが全てとも思えなかった.
「復命書」綴に残されているような行き来が全国的普遍的に行なわれていたとすれば万事解決する.視察に行かされたのは主に若手技手で,まさにそういう技術者が設計をしていた.視察を通じて設計例を伝え,あるいは設計例を学んで真似をしたことは想像していいだろう.復命書に当たれば,その想像を記録で裏付けることができるかも知れない.そういう発見をした.
もちろん道路以外の視察もあった.かつそんな視察に関して面白い史実を発見.駒田普明は大正9年頃に玖珠町戸畑と日田市女子畑の発電所を視察している.道路法令関係は道路書記もしくは道路主事が行ったらしく,そんな場面では滋井の名前を多く見た.