nagajisの日不定記。
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大正6年創業、同9年頃に姿を消した朝日窯業株式会社の刻印。と思われる。だって『大日本商工録第二版』に全く同じマークが掲げられてるもん。普通煉瓦を製造したのは大阪府下鳳村大字大鳥の浜寺工場。Made in Osakaな煉瓦である(ちなみに尼崎には耐火物工場があった。ずっと旭硝子と関係があると思ってた。随分な思い込みだ)。
豊中市教育委員会報の岡町分譲地の煉瓦刻印を調べた記事で紹介されているものと多分一緒。七光りだし松林松之助の登録商標は五光だし。住宅地の中に1つだけ存在していたそうだが、実物は再開発で失われてしまった。同書に掲げられている拓本から察するにこれと同じもの・同じくらいの大きさだったろうと思う。
ただし関西地方でここだけが「アサヒ」を名乗っていたわけではない。堺の老舗・旭商社(M20-34)とか洲本の旭煉瓦商会工場(T5-9)とか稲美町の旭煉瓦(株)(T7-13)とか奈良市東九条の朝日煉瓦製造所(S24-38)とか。そういう会社が旭日章を使ってなかったという保証はない。
新しいほうの橋台に使われている日本煉瓦の煉瓦の刻印。深く考えずに廃毒で使ってしまったが、よう考えたら「壹」って何やねん。社章の印のなかにある「3ナ(?)」がすでに識別符牒なはずなんだ。
第一工場、第二工場とかの別だったら面白いのにな。日本煉瓦は創業時から2工場体制だった。鳳村の分工場に登り窯を築いて煉瓦を焼きつつ舳松村の本工場を建設したことが『堺市史類纂』収録調書にある。そちらには輪窯が築かれたそうだ。
この写真を撮るために橋台に登っていた時、通りがかりのおばちゃんsに「酔っぱらいかねえ、春やからねえ」と言われたことを忘れはしない。
新・三匹のこぶた。
あらすじ こぶたの三兄弟。家を作ろうと言い出す。三男は藁で、次男は木で、長男は煉瓦で自分の家を作ってご満悦。なかでも煉瓦マニアな長男はせっせこ集めた刻印煉瓦を使って「刻印煉瓦の殿堂」を創りあげてしまう。次男三男「やーい、お前んち、刻印やーしきー」。糸井重里とかまっくろくろすけとかはいない。
腹を空かせた狼がやってくる。三男の家→「こんな藁の家なんか一息で吹き飛ばしちゃうぞー」。次男の家へ逃げ込む三男こぶた。次男の家「こんな木の家なんか一息で吹き飛ばしちゃうぞー」→長男の家へ逃げ込む。
ナレーション:しかし……実はこの狼、長男を上回る煉瓦マニア、狼少年ケンだったのです!!!
狼:「うわー煉瓦刻印だーH.J.△B.C.だー朝日窯業だーワーオワーオワオー」
鏨とハンマーでばばんぼばんぼんばんぼぼんと割り出す狼少年ケン。こぶたには目もくれずに煉瓦を持って帰ってしまう。こぶたたち「助かったー!」
それ以来、狼に煉瓦を持って行かれないため、煉瓦に刻印を打たなくなったんだそうです。
どっとはらい。
というような話をセミナーの最中に思いついてしまい、笑いと困惑を堪えるのに必死だった。今日そんな変な人がセミナーに来とってん【拡散希望】
いかにもそれらしい、わざとらしい書き方を試してみる。
うん、気持ち悪い。
伊丹煉瓦跡を探しに行った時、瑞ヶ池の西側にある公園をうろついていて、前掲のレールを見かけた。なんの脈絡もなしに歩道を横切っていた。(普通はあり得ない並べ方だが)ちゃんと軽レールを使ってある。
なんぞこれ? と思って周りを見渡せば、公園のこの一角全体が妙な雰囲気…。なんか普通の公園と作りが違う。横断歩道が描かれていたり、ロータリーがあったり。まるで自動車教習所のミニチュアだ。
どうもこれ、子供が交通ルールを学べるようにと作られたものらしい。踏切前では一旦停止とか、横断歩道の渡り方とかをここで実習できるわけだ(以前は交通標識もあったらしい)。なかなかよい配慮だと思う。子供じぶんに近くにこんな公園があったらいろんな遊びができたことだろう。
定形外の煉瓦を見つけると、その場限りの嬉しさに浮かれて写真に撮ってしまう。たいていは使い道のない写真が残るだけで、撮ったことすら忘れていることも多い。何かの拍子に出てきたり、思い出したりした時にここに載っけて消化するしかない。
2つの煉瓦を小口で繋げたサイズの長尺物。こういうのはあらかじめ使う場面を想定して作ったのだろうか?それとも何かに使えるかも?で作ったんだ ろうか。長手積みとか。(確かkousenさんが似たのを載せてはったなぁ…あれは格子戸の格子のような使い方をしてたような気がする)
スケール感がわかるようにと10円玉を並べて撮影してみたのだが……。やっぱりわかんないな(汗。ともかくでかかったのだ。枕にしたらちょうど良さそうだが実際にやると頭痛くて眠れんだろうな、とか、割れたり生焼けになったりせずによく焼けたものだ、とか思った。
左のコンクリートブロックが普通の煉瓦の大きさ、といっても実感が沸かない。自分でも。困った写真だ。そばで交通整理をしていた人に怪しまれながら撮った苦労が水の泡じゃないか。
やはり手を載せて撮るべきだったかも知れない。しかし自分の手は無闇にでかいので比較対象としては相応しくない。缶コーヒーとかのほうがいいかも知れぬ。
A4サイズでかろうじて読めるQ数+姑息な手法で妥協したけれども、表だけで9ページになることが判明した。研究ノートにすると頁数規定に引っかかるかも知れない。かといって論文るほどの新知見が得られたわけじゃないし。調査報告とも若干違うし。うーん。仮にそうしたとしても残り3ページで何を書くのという問題も。表題一枚と9ページ表という鬼畜仕様でいいのか。出典は表の空きスペースに枠載せすればいいものな。
もうちょっとかっこいいわかりやすい名前がほしい。あれ、さっき思いついたのなんだっけ。煉瓦工場消長年表だっけ。単に煉瓦工場年表でもいいか。消長表とか。
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20130723-OYT1T00978.htm?from=ylist
交通公園ですね。<br>私の地元にもありまして、幼少の頃遊んだ記憶があります。<br>今は原発被災者の架設住宅が立ち並んでます。
うちの田舎には公園と名のつくものがありませんでした…。せいぜい川向こうの三島公園くらい。いつも学校の裏山とか河川敷とかで遊んでいました。