nagajisの日不定記。
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バタバタしていたので諦めようかとも思ったが何とか履行した。昨晩作った里芋の煮物がなかなか旨い。コクが出る根菜と煮るといいという説明を受けてごぼうと煮てみた。思いつきではちみつを加え、とんでもない味になってしまった煮汁がごぼうのお陰で復活したカンジ。
小鉢はヨーグルト。久しぶりに安売りのヨーグルトに遭遇したので思わず購ってしまった。これに、たまたま家にあった黒蜜をかけている。なかなかの美味。
八宝菜。半分残して明日の弁当に回す。作りおきおかずがあるとすごく幸せな気分になれる。
里芋煮物の煮汁で高野豆腐+切り干し大根を煮てみる。これもまた美味である。高野豆腐だけでご飯一膳行ける(ノリに使うつもりだった醤油、結局使わなかった)。
なかなか進まない。という感想を述べておくに留める。
挟まっていた新聞切り抜きの『2500年前、すでに「女装」趣味があった』という見出しに目を奪われ、元の持ち主の趣味嗜好についてしばし意識を持っていかれた。何でわざわざそんな記事を切り抜いて保存していたのか。いま流行のオネエ系の人なのか。普段は男を演じている隠れ女装男子がいざという時に自分の行為を正当化するための理論武装もしくは隠し武器として保存してみたものか。それにしても考古遺物からわざわざジェンダー見出すなんて空虚な話じゃないか。貫頭衣に男性用女性用があったようには思われないしどれがどっち用かとかどんなのが異性に受けるかなんて今基準で判断するしかないだろうから恣意的断定以外の何者にもならないんじゃ。仮に性差があったとしても過去からあるということが今の自分にとって何の援護になるだろう。古ければ勝ちなら自分はもっと大手を振って廃道を歩いているぞ。いやそもこの記事。読んで何かが得られる気がしない。「実は○○は○○だった」的な既知事実を殊更新発見のように書き立て書き捨てるコンビニ500えん本の如きセンセーションマンセーなゴシップ記事かも知れぬ。時間を浪費するだけで後に何も残らない消費記事いや浪費記事無駄無駄無駄記事のような雰囲気をこの見出しから感じる。
と、いったような空想を巡らせた後で、それが本目的の記事の裏面であることを知った時の、敗北感混じりの自己嫌悪をいま持て余している。
本題は「今週の本棚」。その切り抜きが挟まっていた本が紹介されていた。元の持ち主はその記事を参考にして購入したか、あるいは購入後に記事を見つけ、自分の読感と照合するために切り抜いて挟んでおいたのだろう。偉い人である。とフォローするのが精一杯だ。