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2014-02-07 [長年日記]

[奇妙なポテンシャル] #324

/^o^\フッジサーン

が加藤登紀子の歌にインスパイヤされたものだった説,浮上.

http://www.youtube.com/watch?v=u-dges4isvM

/^o^\フッジサーンダ /^o^\フッジサーンダ /^o^\フッジサーンダ /^o^\フッジサーンダ 
/^o^\フッジサーンダ /^o^\フッジサーンダ /^o^\フッジサーンダ /^o^\フッジサーンダ 
/^o^\フッジサーンダ /^o^\フッジサーンダ /^o^\フッジサーンダ 

それにしても阿久悠,手抜きすぎやしないか.

[] 地図

地図書きだけで終わった...結構めんどうだ.

いまさらになって請取峠と同じ構成だと気づいてしまった。うーん。書き直す時間ないしなあ。どうしよう。

明らかにしていく過程を追って事細かに書くのは自分の時系列を追うのが楽だからというのもあるのだが究明する手法を紹介することが同じことをしたいと考えている人の役に立つかもしれないという思いがあるからであるのだけれども世の大半の人特に[禁則事項です]とかには冗長で余計なものもしくは水増しとしか思ってもらえないに違いなく第一文献引用だってこんだけ探してきたよえらいでしょえっへんと思っもらうためにしているのではなく一次に近いソースを提示してそれを用いた自分の考察が妥当かどうか教えを乞うているからなのだがそんなことどうでもよい人々がどうでもいいと言うばかりでありそれを考えただけで醒める萎える。例えば延喜式の頃からの変遷を資料名を挙げつつ逐次的に記述していくという歴史記述の王道を往けば分かり易いものになるだろうとは思うものの断片的な情報を継ぎ合わせた時の綻びはどう繕っても繕い切れるものではないし個々情報の真偽性判断をしている暇もないし何より読む側はひとまとまりの結論を与えられてあっそう良かったねで終わるだろうという予測がある。ならばビボウ策として現状ママイキとし最後に編年体の纏をつければ時間軸の見通しが不鮮明になってしまうことを避けられるのではと思ったりもしたがそれはそれで余計に冗長になることが火を見るよりも明らかだ。

面倒臭くなった。要するに多少は褒めてもらいたいという欲があるからいかんのだ。「はいはい冗長冗長、校正しました」でおk。いつもどおりの愚鈍を演じようじゃないか。

やっていると何故道の変遷をまとめたものがないのかよくわかる。道の歴史に特化した視点で書かれたものがない理由がわかる。何をするにしても面倒なのだ。一次資料を探してくるのも、突き合わせるのも、それを構成して一つにするのも面倒。そのくせ掘ればほるほど情報は出てくる。それを纏めて出来上がったものが正しいと折り紙をつけてくれる人もいない。とりあえず書きました・まとめましたで終わりがち。それこそ大正記念林碑に語ってもらわないことには「真実」はわからないのだ。だからといってそれを放擲してルポで誤魔化せるほど特徴的な何かがあったわけでもない。机上調査に力点が行ってしまうのは遣る瀬無くも仕方ない。

[奇妙なポテンシャル] #325

冗長

という文字を見たり書いたりするとき、どうしても

だんちょう

と読んでしまう。

冗談(じょうだん)

という言葉を先に覚えて、特徴的な「冗」の字を「じょうだんのじょう」ではなく「じょうだんのだん」と認識してしまったのが抜け切れていないらしい。0.5秒ぐらい考えれば「じょうだんのじょう」だとわかるのだが、咄嗟には正しく答えられない自信がある。「冗子」は「だんこ」である。

なんで改まらないのだろうと思いながら「冗談」の文字を見つめていると、だんだん「だんだん」に見えてくる。

談も違いもわからない男である。


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