nagajisの日不定記。
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地元団体によって再生が進んでいる丹治煉瓦の事務所棟。先日近くを通りかかった時にもトンカントンカン賑やかしかった。やがて立派なものができるだろうと期待している。
改めて建物を眺めていて発見があった。隣の建物に向いていて目につきにくい西側の勝手口?に件の丹マークが掲げられている。遠目なので断言できないがステンドグラスであるようだ。丹マーク=丹治煉瓦株式会社の社章ということでFAなんだろう。
そのついでに事務所南にある透かし積みの壁を見に行った。おそらくは丹治煉瓦と関係があった家と思われるのだが私も定かには知らない。社宅であったという話をどこかで読んだ気もする。確かにこの壁に使われている煉瓦は事務所の透かし積み壁と全く同じものであった。
その壁に□+英数字の刻印煉瓦が共使いされているのを発見した。民家を囲む壁の西面の足元で、写真の□英数字煉瓦は理由不明な割られ方をしているが、同じ並びのもう一つは全形で、後から追加されたようでもなかった。 数は多くないし目立つところでもないので(壁を作る時に)数合わせに使われたものと推測される。
事務所向かいの民家の腰壁にも丹治と□英数字の共使いがある。民家東側の細い細い路地に面して露出していて、観察がしやすく、以前来た時にも見ているはず。しかし共使いのことはすっかり忘れていた。丹治煉瓦が丹マークを使っていた頃、□英数字の刻印を使った会社が併存していたことを物語る重要な物的証拠なのに。
確かに□英数字は永代町周辺でよく見かける。ここから賑町に入ってすぐの路地裏にも□1を使った溝があった。阪堺が大通りに入っていく斜走区間に隣る三角空き地もさほど離れていない。単に同時代の工場というだけじゃなく、立地とか提携とか、密な関係があったのかも知れない。堺市街以外では西九条なんかでも見た。確かKousenさんが加太トンネルでも見てはらんかったけか。
錦之町では大正丹治との共使いを見た気がするな。あれは瓦礫のひとかたまりだった。小口長手がモルタられて繋がった平板状の瓦礫だ。となるとますます□英数字が謎。明治30〜大正初めのある時期に丹治と関係のあった会社……。候補はそう多くないのだけど
(2/10追記)「鋭すぎる絞り込みになり戸惑いを覚える」とかなんとか書くつもりで寝落ちした.