nagajisの日不定記。
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出典:某公文書.西日裏土工森林組合は旧宗桧村にあった森林組合で,比較的早い時期から補助制度を活用して林道を開設していた.例えは昭和2年には工事費の約1/3を国庫・県費補助に仰ぎ,鉱山線と称する牛馬道666mを開削.同時に724平米の土場も整えた.この補助は関東大震災後の木材不足を解消するため大正15年に定められた農林省令第12号林業共同施設奨励(とそれを受けて奈良県が制定した林業共同施設補助規定)に則ったものであった.であるからして昭和2年というのは林共区分の最初期の例に相当する.それ以前の林道はいずれも施業者の自力開削だった.十津川村の葛川谷線(明治41)とか川上村の高原木馬道(大正6)とか.
それはともかく,キューピーちゃん.罫紙にガリ版刷の議案書か,もしくは毛筆写しがせいぜいな中,わざわざ表紙をつけ剰え絵まで添えているのはここだけだった.四角四面な公文書の束の中でひときわ異彩を放っていた.他の年度もそのような絵入表紙だった気がする.しかし「そんなもの撮って何に使うんだ」という意識が働いてしまい,撮影したのはこれだけだった.今さらながら惜しいことをしたと思う.
キューピー(Kewpie)とは、1909年に米国のイラストレーター、ローズ・オニール(Rose O'Neill、1874年6月25日 - 1944年4月6日)がキューピッドをモチーフとしたイラストで発表したキャラクターである。(via Wikipedia
1913年(大正2)3月4日にはアメリカで意匠特許が取得され,同年にはもう日本の工場で作られ始めた.第一次大戦期には化学工業大国ドイツがそれどころでなくなったせいで我が国のセルロイド製造業が勃興しセルロイド製キューピー人形が誕生する.そしてキューピーもぽっぽもらったったな「おもちゃのマーチ」が1923年(大正12)発表,その後もキューピーを題材にした歌が雨後筍に発表されているところからしても当時のブームっぷりが伺えるが,そんな熱狂の雫がこんなところに滴っていたことを,知っている人はまずいないはずだ.
以上の経緯を踏まえてもなお,なんで森林組合がキューピーちゃんだったんだろうと思う.そう思う一方,すでにあるものを利用しただけという素直さに安心したりもする.関連を求める意識のほうが誤っているのかも知れないと思い直したりする.キッコロとかモリゾーとかだって決して森の化身だったわけでも森の象徴だったわけでもない.あの何とかというイベントのために都合よく作られたキャラクターに過ぎない.私達はそこに森の幻影を見ていただけじゃないのか.昨今のゆるキャラなんかはその志向を煎じ詰めたものなんじゃないか.メタファーを作るために無理やり作られたキャラクターであって,いわばメタ・メタファー.それが気に入ったからほめそやしてるんじゃなく,その即物的短絡的発想に催している苦笑いが人気と勘違いされているだけに過ぎないのではないか.別に彼らに恨みを持っているわけではないがそんなことを思った.
Disclaimer:情けない極みに陥っている今,黙っているのは簡単なことで,むしろこういう時こそ何かして気を紛らわしたいし,紛らわしていることを主張することによって自分の退路を断つ効果もある.いつだってそうしてきたせいで今この状態だ.ここの日記全部がそんな出自を持っているといって過言じゃない.
昭和十年の議案書に、ぶっさいくな(失礼)キューピーもどきが挿絵で使われてることに水割りが気管に逆流した。<br><br>たまに此処を除きにくると、こういう不意打ちあるから堪らんww癖になる(ぁ
2月号のファイルネームがORJ_1501.pdfになってます。最初、更新まだかと思いました。
と思ったら、更新まだだったw<br>失礼しました。orz