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旧道倶樂部録"

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2017-04-24 [長年日記]

[きたく] 江戸ッ子煮

画像の説明

帰宅ののちザックを片付けていたら江戸ッ子煮が入っていた。しかも二つだ。

購った覚えのない江戸ッ子煮が存在する、という事象はこれまで何度も体験した。飢えに苦しんでいた時、そうでない時、あれやこれやで忙殺されている時、いつのまにか江戸ッ子煮が身の回りに在る。実に不思議な現象である。

これはきっと、江戸ッ子煮の神様が与え給うた試練福音に違いない。心して頂こうと思う。

江戸ッ子煮、温めるとなかなかイケる味なのである。特に昆布。

[独言] うーん

動画はやっぱり不便だ。だいいち自分が見れないじゃないか。まともに。

[ph.] いまいち

画像の説明変な感じにはなった。

[独言] 焼きそばを焼くのが上手くなった

最近焼きそばを焼くのが上手くなり、調子に乗って焼きそばばかり食べている。

子どもの頃から焼きそばは作っていて、例えばCO-OPの乾麺タイプのやつだとかソースつき3袋128円のだとかをおやつ代わりに食っていた記憶がある。下宿し始めてからも結構な頻度で作っていた。安いからな。でも自分で作ると必ずといっていいほどの頻度で麺がフライパンに張り付いてしまう。それをバリバリ剥がしなら炒めようとするものだから、焦げるわ千切れるわ団子になるわで大変なことになる。世の焼きそばがあんなきれいに仕上がっていることが信じられず、作り方欄に記されてはいない秘伝の製法があって世の素人共を貶めるために口外無用になっているに違いないと思っていたほどだった。

バリバリ張り付くのがあんまりにも嫌になって、学生時代の後半くらいにはほとんど作らなくなった。専らUFOか一平ちゃんで満足していた。それが最近、スーパーでふと3玉98円の麺を買ってしまい、作ってみたところ、全く張り付かせずに炒めることができ、しかも再現性をもって実行できるようになった。コツを会得することができたのだった。

要するにフライパンの予熱が甘かったのだ、昔は。油を入れ、これでもかというくらいに加熱せねばならぬ。煙が出るまで熱しなければならぬ。そうしておいて油を回してよく馴染ませてから麺を放り込めばよい。ただそれだけのことだ。

考えてみれば自炊を始めてこのかたテフロン加工のフライパンばかり使ってきた。あまり熱するとテフロンが溶けてしまうのではないかという恐怖があった。フライパンを加熱することに対して臆病になっていた。実際のところはどうなんだろう。油が気化し始める程度の温度でテフロンが溶けてしまうようならどんな料理にも使えないのではないか。その心配をするよりも麺をこびりつかせガリガリ剥がすような使い方のほうがテフロンの傷みを加速するのではないか。無駄に傷めていたのではないか。

麺を放り込んだらひたすらかき混ぜてほぐす。これは麺を均等に炒めるためであってかき混ぜずに放置しておいても張り付くことはない。水を匙一杯入れる必要もない。そのうち火が通ってほぐれてくるので。ただし3袋パックになったやつは麺が柔らかいせいかほぐしているうちに千切れてしまいがちだ。これは大人しく水を差してやったほうがいいのかも知れぬ。1玉売りの麺は予熱さえしっかりしていればどんなに適当に作っても張り付くことはないーーー焼きそば用のでも中華麺でも、どちらでも。

といったようなことを嬉々として書いているのは、そのコツを誰に教わるでもなく書物で学ぶでもなく体得で会得したことが嬉しいからである。世間では当の然として常識であるだろうことであっても、それと無縁の我空間で、自分の力で到達することのできた真理であるからである。40数年生きてきて体得した数少ない真理の一つだからである。「ソースは俺」と言えることを一つ見つけ得たのである。

たかが焼きそばに、と笑いたければ笑うといい。私は焼きそばが上手く炒められるようになったことに満足している。その事実があるだけでよい。

ソースはオタフクとオリバーを試してみたが後者のほうが口に合うようだ。オタフクのはちょっと辛く感じる。お好み焼きソースはこれしか考えられないという位に口に合うのにな(だからそれで焼きそばを作ることもある)。ついでに高知で買ってきた甘い刺し身じょうゆを隠し味的に入れると効果的であることも発見した。最初に甘しょうゆで焦がしておいてソースを絡めるような塩梅だ。その麺とは別のタイミングで野菜と肉を炒め、味付けして麺と合わせる。麺と野菜が分離しがちだが私は別段困らない。そのほうが野菜と麺とを好みのタイミングで食えるしな。

[独言] 牛抱坂

恐ろしく急なつづら折れなのは、超のつく古い道であるからだろうか。廃止されたあとも杣道として使う人があったのは確かだし、そのお陰で道形が鮮明に保たれていたのだろうと思う。杣使いで線形がああなったのではあるまい。1300年の昔から前鬼の住人+アルファが細々と踏みしだいて繋いできた線形がああなのだ。足腰の強靭な吉野の人々の中でもとびきり強靭な一握りが使い込んだ道。だから水平よりも垂直に志向がある上にやたらと長い。

間に挟まっていた長めのスパンは歩きながら休む用だろうか。前後の線形と地形からすればあそこも直登気味つづら折れで構わない筈だがさすがに体が持たないというか休みたくなるのも自明というか。そうしてあの休み尾根について、そこからさらに300登らねばならない。私にはとうてい無理な話である。

昔の人の体力や脚力もまた道の成因に絡んでいるのだと改めて認識させられたひととき。勉強になった。

上北山村から尾鷲に越えていくあの峠なんかどうなんだろうな。あれも一度歩いてみたいものだ。


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