nagajisの日不定記。
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環状線外回り天満駅付近の車窓から見える煉瓦造りの工場=FM大阪土曜午前のCMで耳にしていたNKC中西金属工業だと知ったのはつい最近のことだ。確かこの建屋は大阪府の近代化遺産総合調査で二次調査対象になってた筈。詳しく見ていないのであらゆることがうろ覚えのまま訪問した。
車窓から見える建物の工場敷地側の側面が面白い。以前はこの壁に三角屋根の三棟が接していたようだ。それを取り壊して蓋をしたようにも見えるが、煉瓦の積み方から察するに現存棟のほうを後から付け足したらしい。壁に欠円アーチが埋まっていて、その周辺と柱壁?、妻壁の三角の煉瓦の色が一緒だ。アーチ下は別の煉瓦で蓋をしている。んでその上の現存棟の二階の煉瓦の色もちがう。ハナから一建立ならアーチ下の以外は全部一緒なんじゃなかろうか。埋め込まれた御影石や通気口らしき円形穴も作り付けた順序があるらしい。写真を見ながら考えているといい暇つぶしになる。
環状線側の壁の帯石の裏側に堺煉瓦の刻印を見つけた。複数個あったのでどれも堺煉瓦製のようだ。ズーム不足で写せなかったが中にカナが入っている模様で、となると先の壁の焼き色の甘いやつはそれより古い煉瓦らしいってなことになる。
東側に工場敷地に沿う小路があって、入っていけばその面の壁を見ることができる。が、結構大変なことになってる。レンズの歪みではなく実際にこの程度歪んでいるのだ。鉄骨でつっかえをしたくなるのも道理だし、埋め込まれたモルタルに苦心の跡が垣間見えて興味深かった。
あれ、ホームページには大正13年創業ってあるな。堺煉瓦の存在と矛盾する。
なるほど、明治19年創業の天満紡績の建物を流用と。下半はどこの煉瓦だろう。
真の均斉の美は、橋梁の何れの部分もが、力学上の理論に従って無駄に遊んでいるところがなく、よく各部分が緊張して働いているように設計せられていることから生ずる。
橋梁の真の美は、単なる装飾のみによって得られないと同時に、美学上の法則を無視しては得られない。その重心の位置による美、曲線と直線との調和及び比例の美、量の美、面の美、容積の美、内容表現の美、意匠様式手法の美、即ち審美的要素の完全を意味するものである。
(p.52)
一つの橋梁が単独に美を体現することは、美の全部を示すものではない。それは、その橋梁の美の半面を示すに過ぎないもので、重要なる他の半面、即ち環境との調和の美を忘れてはならない。(p.52)
3径間の吊橋のスパン比が1:2のものが美しいようだとして
橋を真横から見る機会はほとんどない。橋の用途から直角方向だし。船から見るのは橋の用途と重ならない。
「 これを要するに、ゴールド・セクションにあれ、フィブナロッチ級数にあれ、ダイナミック・シンメトリーにあれ、人工の線の美しさに就ては簡単にこれを言い切ることは出来ぬが、併しまた審美的な趣味の修養を積んだ人々にあっては、特定の物体に対してその修養と練習とによって或る長さの比例というものが、誤りなき美しさを与える。」(p.61)
ここはちょっと意味が汲みにくい。審美眼のある人ならゴールドセクションとかフィボナッチ数例とかダイナミックシンメトリーとかの特定の数値比の美しさがわかるということ?そうじゃないよな。
審美的要素の中ではシンメトリーとバランスが大きな役割を果たす。厳粛さ荘重さはシンメトリーの美から生まれ、ゆとりのある美しさはシンメトリーを破った=バランスのとれた美しさから得られるようだ、と鷹部屋はいう。シンメトリーの美=寺社仏閣。バランスの美=茶室造り。
「 自然に生えた竹は、竹のとるべき自然のバランスの形を常にとって、雪が積もれば雪の積もるがままに枝を垂れてバランスを保ち、精細に眺むれば陽光があたって溶けて行く雪の変化に従って自分がとるべきバランスの総ての姿勢を忠実に守って行くのである。
風に動く竹の姿も雨に濡れた竹の姿も一つとしてバランスでないものはない。
バランスの美は自然法則の自然的な表現であって、人工の美はよろしくこの法則に違反せざるよう、自然を正直に克明に模倣すべきである。」
(以上p.61-62)自然の理にかなった構造だから美しく感じるのか。奇抜なものはあくまでも奇抜で美しくはないかも知れぬ。
(「変化のみ多くしてそこに統一がなければ乱雑に流れ易い。故にバラエチー〔Variety〕の中には、ユニチー〔Unity〕あって初めて美しさが出てくる。」(p.62)
Unity:〔意見や利害などの〕調和・一致、〔目的や行動の〕一貫性、不変性
「即ち、同じもののみを単に数多く並べることによっては単調を生ずるに過ぎないが、曲線の大きさを変化せしめ、曲線の方向を相互相反せしめ、或は、その位置を適当に変ずることによって美を生ずる。」
同一形状のアーチの連続ではなく、例えば駒形橋のような。あるいは天満橋のような。かな。
陰陽・明暗・濃淡・大小長短・高低、といった正反対のもの(二元性)に美がある。またその二元の中間に位置して両者の連絡をとる第三元がある。天道・地道・人道の三才。「橋梁トラスにおける上下弦材の間には、垂直材があり、斜材がある。(p.63)
直線と曲線。
混合線は、強き感じを与える直線と、弱き感じを与える曲線とを併用したものであって、美を与えるものも実にこの混合線に多い。
直線は無限の延長に於てもその方向不変なるものであって、そこに直線の力づよさと神秘的な何かがある。
平行線は無限にこれを延長しても相交らざるところに美しさと力をもっている。
地球引力に並行するところの垂直線の感じは強いが、水平線はこれに比較して弱いものである。円はそれ程美しい線ではないが、便利な曲線である。真に美しい曲線は円以外のカーブにある。安定の美、軽快の美。
「不安を与える構造物から美を感ずることは出来ない。構造物に備わる安定感は構造物の美の要素である。 この意味に於て、バランスがとれていると云うことと、スタビリチーがよいということとの間には差異があると考えられる。」(p.65)
軽快な橋に美を感じることも数々ある。吊橋に多い。軽快、というものの説明は若干不足気味。
量の美・材料の美。フォースブリッジが男性的な重厚の美を与えるのはそれが巨大であるから。ピラミッドのようなマッシブな迫力。またその素材が鋼構造であるがゆえに構造の美・構造の力を感じさせる。ピラミッドが鉄板張り松板張りであったら構造美を感じないだろう。(p.69)
橋梁の美的要素。
「併し、橋梁美の美的要素として最も影響の多いのは周囲との一致、環境への適合性であろう。」(p.85)
都市の橋梁にアーチ系を選ぶか吊橋にするか、カンチレバー・バランスドアーチにするか。コンクリートかメタリックか。橋単体で見た時にライズが高過ぎるように見えても周囲の地形との調和で美しく見え得る。
各部が緊張して働いている構造の美、2回め。@p.87
結語を読めば済む話だったか…。ま、いーや。
要するに橋の場合は一般的に美と言えるものに加えて力学上の合理的構成の美・環境との調和の美しさが肝要となる。変化と統一の美しさも考慮せねばならぬ(基本的に繰り返し構造だから単に繰り返しただけでば美しくない)。
はしがきに「1本の部材もそれが遊んで居ることは許されないし、1本の鋲も構造力学的な計算から割り出されて居ないものはない。」とある。緻密な計算と力学上の要請に則った=力学という自然現象の体現であるからこそ橋は美しいという主張。