nagajisの日不定記。
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今日は毛布をほす。そして〔トルツメ〕昼食後寝室に入る〔トルツメ〕る。訓育学科・自習・教練あり。教練のすみたるが十六時五十分なりし為、直に入浴す。夕食後は随意自習なりし為、二十時まで集会所にて少年倶楽部を読む。面白かりき。
斉藤教官殿出張の為三浦教官殿より授業を受く。午後は剣術・教練・剣術と三つ連続にてあり。休日を明日にひかえたる日にとりては平常に比し稍〃決行の気分に乏しく、だらヽとしたり。運動班の剣術にては一年初めて加わり運動班の全員が此処に揃う。試合ありて予は三名に勝越したれど山根に兜をぬぐ。予今日の此の結果即ち攻撃精神がなしたるならん。されど予にありては以外なりき。要するに攻撃精神必要ならざるべからず。上には上あり。
寝台学友の脇が感冒にて入室す。
今日の夕食後の利用不可なり。
靖国神社臨時大祭にて十時十五分 天皇陛下の御親拝に合せ日本国民一同遥拝をなす。犠牲につき訓示あり。十一時より山田乙三閣下御視察にて欠けたる水溶第一時限授業あり。午後愛校作業にて、台上の服装検査場の地ならし及び土俵作りありたり。約三時間克く仕事に熱中し得て愉快なりき。夕食後運動班会を実施す。一年は誠に溌溂〔刺〕たり。そして元気あり。以て我等の範となすべきものなり。終日が実に愉快なりき。思えば一昨年の今日父も靖国の神としてまつられたる日なりき。豈意義深き日ならずや。未だ右胸痛くして右手十分に上らず。良好。
描き切ったぜ・・・。他の原稿は一切進んでないけどな。
正しい意味で掲示板になっている。なおOFFには野宿参加される方がすでにある。
若桜町へは問い合わせを。今週末あるいは来週頭に資料が届くかも知れない。
戸倉の地図を取りに行くつもりでまだ行けていない。ぐずぐずしているうちに金曜日になってしまった。明日は別ルートの資料探し&原稿進めをしよう。
サイト関係やOFFの件などでほとんど進められていない。湊川隧道の件はどうしようか。先生に会ってお話を伺ってきて、事情をつぶさにお教えいただいたのだけれど、あまりにつぶさ過ぎてオフレコっぽくなってしまった。個人的にはとても興味深い話で、もし同様の、例えば近代土木遺産の保存・活用を考えている自治体さん、NPOさんには参考にしていただきたい内容なのだけれども、それでは余りにターゲットが限定過ぎる。書くとすれば廢毒みたいな記事でやらないといけない。
旧橋、実はどこで行くか決めてない。少なくともパンチがあって掘り下げられるネタは少なくなってきた。漠然と、平野橋で行こうか、でも最古の逆ランガーなんて地味だよな、この間の馬場大橋に至ってはnagajisが喜んだだけで大したものにはならないしな、などと悩みつつ居る。企画継続の危機よ嗚呼。
なんて思いながら2800選を読んで、そういえば玉手橋とか大和川橋梁とか行ってたことを思い出した。季節的には前者のほうが合ってそうだし、調査報告書のコピーもあるし、一応、絵にもなる写真を撮ってある。このへんで行こうか。
ところでプチ濃の以降はどうなったでせう。
それで慌ててs97を更新する。本当はcore-Aにしてtdbpdbを移行したいという目論見があり、どうするか迷っていたので1カ月だけの更新。すると5/25という象徴的な日付まで有効ということに相成った。それを狙ったわけではないがちょっとうれしい。
今日は(今日も)早く寝て明日に備える。
麻生来て,もとい朝起きて最後の練習をしようと思ったら時計が12時ジャストを指して止まっていた.何事かと思ってリューズを回してみたが渋くて動かない.まるで内部で糸屑が絡み付いたかのようなシブさだ.Swatchなので分解掃除もできぬ.無理にごりごり回していたらついに動かなくなった.困った.いま時間を測れるものはこの腕時計以外にないのだ.
何かの天罰だろうと思って諦めかけたが何故かクロノは動いてくれた.お陰で練習はできた.30分を切る目処もついた.何なのかこの展開は.
遥か昔に購入したSwatch Chrono.昨年夏だったかに懐中時計を壊してしまい,引き出しの奥から引っぱりだして使っていた.寿命なのだろうな.新しいのはどうしよう.こればっかりは,ないと困る.
肩の荷が降りた。。。しどろもどろになる場面があったのは、まあ、仕方ない。nagajisだもの。とりあえず廃道の価値を訴えてきた&廃道をゆく2の宣伝をしてきた。あ、テの宣伝忘れた(汗
見学会には絹路さんが来て下さった。有り難いことです。中央電気倶楽部の内部見学、結構緊張したが屋上に上がったりなどして貴重な体験をした。思っていた以上に近代建築が残っているものなんですな>市街。
スクラッチタイルの建物を見ると琅カン洞を思い浮かべてしまうのは業に違いないが、建設時期としては似通っているのだよな。神戸の生糸検査所もほぼ同時期だ。当時の流行であったのかも知れない。あと、今更ながら生糸検査所の柱のてっぺんが鈴鹿の三ツ鉾と似た意匠だということに気づかされる。なるほど確かにゴシック様式である。けれどもそれに下見板張りを採用したというところは垂直への指向と直行するものではないかと思ったり思わなかったり。という発見のあった一日であったまる。
t/o。
見わたすと、その廃道をゆく3は退屈な色の並びを徹底的にかき乱してしまって、カーンと冴えかえっていた。私は埃一つない紀伊国屋の中の空気が、その廃道をゆく3の周囲だけ変に緊張しているような気がした。私はしばらくそれを眺めていた。
不意に第二のアイディアが起こった。その奇妙なたくらみはむしろ私をぎょっとさせた。
――未だ販売されていないそれをそのままにしておいて私は、なに喰わぬ顔をして外へ出る。――
私は変にくすぐったい気持がした。「出て行こうかなあ。そうだ出て行こうそうしよう」「うははははは」そして私はすたすた出て行った。
変にくすぐったい気持が繁華街の私を微笑ませた。紀伊国屋梅田店の中学入試問題週集の棚へ黄色と赤と黒に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの紀伊国屋が問題集の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう。
私はこの想像を熱心に追求した。「そうしたらこの気詰まりな紀伊国屋も,それどころか退屈な日本からして粉葉みじんだろう」
そして私は松山行きの夜行バスの案内が喧しい茶屋町口の階段を上って行った。
(※その後スタッフが美味しく略)
事実誤認を発見→確認の為に県義議会史を読む→さらに複雑な背景があることを知る→確認の為に県議会史議事録に当たる→説明のために図を書き直し新規作成する必要に迫られる→その確認の為に資料をひっくり返す→纏めるのに四苦八苦する、という泥沼。やっとできた・・・
頭が吠えぶろの時に書くとこうなる.
いろいろへこむわーしんどいわーと生のままを提示しておく.だから慰めてほしいというわけではない.やっても無駄なことを敢えてやってnagajisを貶めようという魂胆である.無駄だわーマジ無駄だわーと書けているうちはそうでもないのである.
忘れずに岡町図書館へ行くこと.今週まで.明延.Tシャツ.葉書.やらんといかんことは幾つでもあるぜ>nagajis
旧カナ漢字を新かな漢字に改めた.〈〉は割注.出処および意味は聞くなよ.
大阪府下煉瓦製造業組合規約
緒言
一当組合は大阪府下に於ける煉瓦製造業者を以て組織し其規約を定むること左の如し
第一章 組合の業務及名称
- 第一条
- 我組合は煉瓦を製造し之を販売するを業務とす
- 第二条
- 組合の名称を大阪府下煉瓦製造業組合と称す
第二章 組合の地域及事務所位置
- 第三条
- 組合の地域は大阪府下一般を以て区域と定む
- 第四条
- 組合の事務所は府下堺市柳ノ町西三丁二十一番屋敷と定む若し変更を要するときは組合会議の決議を以て移転することを得
- 第五条
- 組合の地域内必要の箇所に出張所を置く其位置及所員の区分は組合会議の議決に依り之を定め府庁に届出づるものとす
第三章 目的及方法
- 第六条
- 組合規約を製するの要旨は各自経営上の利害得失を研究し漸次同業者の発達を企画するを以て目的とし其方法を定むる左の如し
- 一
- 組合員は原料を精撰し製品を改良し同業者各自の信用を博取する事
- 二
- 製品を大別して焼過上等中等根敷下等の五等とし各等級に応じ相当代償を附する事
- 三
- 製品又は原料売買約束に違背し損害を与えたる等の場合は被害者より事務所に申告する事
- 四
- 製品上に関し研究を要することあるときは詳細其事項を記載したる書面を以て事務所に推問する事
- 第七条
- 組合員の製品に関し不信用を来すべき所為之れなき為め事務所に於て臨時に監査員を撰み組合各工場へ派遣し製品の実験其他製造販売買上に付き質問をなすことあり此場合に於て組合員は製品の実験を拒み又は質問に対して粗畧隠蔽等なきことを務むべきものとす
第四章 職工及徒弟に関する規程
- 第八条
- 組合に於て職工と称するは素地職窯焚き職の二種とし徒弟は通称子方と称するものとす
- 第九条
- 職工を雇入れんと欲する時は組合に於て定むる所の書式に因り紹介人連署の契約書を領置し其本人の住所氏名年齢及職業を詳記したる届出を組合事務所に差出すべし
- 但雇人を解雇したるときは本条雇入れのときの例に拠り組合事務所に其旨届出づるものとす
- 第十条
- 解雇又は自退の理由にして雇主に害を被らしめたるものは組合一般之を雇使するを0得ず
- 但悔悟謝罪し旧雇主の承諾を得たるものは此限にあらず
- 第十一条
- 職工雇入に就ては左の文例に拠り契約書を領置すべきものとす
被雇契約書
一自分儀今般煉瓦製造業務上素地職(窯焚職)として貴会社(貴殿)方へ被雇候に付ては左の事項を確守す
- 第一項
- 被雇期間は当明治何年何月より来る明治何年何月まで満何ヶ年とす
- 第二項
- 事業請負賃金は千個に付金何十何銭と定め毎月計算を以て申受くべき事
- 第三項
- 徒弟(通称子方)の事業去就に付ては其都度貴会社(貴殿)の認諾を受くべき事
- 第四項
- 徒弟同盟罷工致させ間敷は勿論自分に於ても精勤致すべき事
- 第五項
- 被雇契約年限中は如何なる事情生ずるとも貴会社(貴殿)の許諾を得ずして自儘休業及他出等決して致す間敷く事
右記載の事項確守履行可致仍て紹介人連署差入申契約書如件
何〈府県〉何国何郡何〈町村〉何番屋敷
被雇人 何ノ誰
明治何年何月何日 何年何月生
何〈府県〉何国何郡何〈町村〉何番屋敷
紹介人 何ノ誰
何会社(何某)殿
- 第十二条
- 第十一条の契約書を差入れざるものは何等事故あるも之を雇使するを得ず
- 第十三条
- 甲者の職工たるものを乙者に於て雇使せんと欲するときは甲者に照会をなし其承諾を得たる上にあらざれば雇入るることを得ず
- 但甲者に於て乙者の雇入れを拒むと雖も其意私怨或は偏頗に出づるものと見認むるときは組長は甲者に説諭を加え乙者をして雇使せしむることあるべし
- 第十四条
- 職工に於て若し同盟罷工を企つるものあるときは直ちに其ものの住所氏名を記し事務所に申告すべし事務所は之を組合一般に通知し組合員は将来該人を一切雇使せざるものとす
- 但本人に於て悔悟謝罪の道を立つるときは其旨更に事務所に申告して雇使拒絶を解くの手続をなすべし
- 第十五条
- 職工人一致同盟して各其雇主に係り金銭物件の前借を強請する場合は毫も之に応ぜざるものとす
- 第十六条
- 職工賃金は製造の盛衰及物価の高低に準じ組合会議の議決により其の標準を定む
- 第十七条
- 一人にして被雇契約を重複に為したるものは第一以外の契約は無効とす
第五章 役員選挙及権限
- 第十八条
- 組合は左の役員を組合員中より撰挙す
- 組長 一名
- 幹事 若干名
- 第十九条
- 役員の任期は満二年とす最も満期改撰に際し前任者を再撰することを得
- 第二十条
- 役員撰挙は得点多数のものを取り同数なる時は抽籤を以て其当撰者を定む
- 第二十一条
- 役員の就職退職は其都度府庁に届出づるものとす
- 第二十二条
- 左の項目に触るるものは役員たることを得ず
- 一
- 同業を営み満一ヶ年を経ざるもの
- 但本項満一ヶ年を経ざるものと雖も同業に熟練したるものは此限りにあらず
- 二
- 組合規約に違背し違約処分を受け一ヶ年を経ざるもの
- 第二十三条
- 役員の職務権限を定むる左の如し
- 一
- 組長は組合規約に定むる所に依り組合一般に係る事務を統轄し組合会議並に役員会の議決を執行す
- 二
- 組長は組合会議の議決を不当と見認むるときは之を再議に付するを得
- 但再議に付する場合に於ては其不当と認むる事由を明示すべし
- 三
- 組長は第七条の臨時監査員を撰定することを得
- 四
- 組長は役員又は書記をして組合員の工場を臨検せしむることを得
- 五
- 幹事は常に組長の事務を補翼し組長不在又は事故あるときは其代理をなす
- 六
- 幹事は組合に係る都ての会計を掌る
- 七
- 幹事は受持部内に係る同業者の奨励を掌る
- 第二十四条
- 役員は組合一般の協和を維持し規約の目的を達せしめんことを務む
- 第二十五条
- 役員は組合中に違約又は不正の所業をなすものあるを認むる歟又は其旨組合会員中より申告するものあるときは之を事実調査の上第八章第四十六条に定むる範囲内に依り予め其処分の見込を付し役員会議の議決を経て処置するものとす
- 但違約者又は不正の所業を為したるものより答弁書を差出さしむべし
- 第二十六条
- 前条違犯者に答弁書を出すべき旨を通知し其通知の翌日より一週間を過ぐるも答弁書を出さざるときは意見を附し役員会の議決を経るものとす
- 第二十七条
- 役員は本業に関する研究を要する事項調査の義組合員中より請求ありたるときは調査の上詳細報告すべし
- 第二十八条
- 組長は書記小使等の傭員を任免す
- 但其給額は役員会の議決に依るものとす
- 第二十九条
- 役員は組合に係る諸帳簿を整頓し組合事務所に備え置くものとす
- 第三十条
- 役員は無給なりと雖ども官衙其他の場所に出張したるときは旅費を支給す
- 但旅費支給規定は組合会議の議決を経て之を定む
- 第三十一条
- 役員の報酬金は組合会議の議決に因り之を定む
- 第三十二条
- 役員交替の節は組合共有の物品及び経費出納の生産を遂げ諸帳簿と共に目録を付し後任者に引続ぐものとす
第六章 会議に関する規程
- 第三十三条
- 組合会議は組合一般に係る利害得失を審究議定するものとす
- 第三十四条
- 役員会は組長幹事を以て組織す毎月一回之を開く
- 第三十五条
- 組合会議は定期臨時の二種に分ち定期会は毎年二回之を開き臨時会は役員の考案又は組合員全数の三分一以上の請求に因り之を開く
- 第三十六条
- 会議開会五日前各事項を記し事務所より之を通知し其通知を受けたる組合員は時限を違えず必ず出席すべし若し差支ある場合は最寄同業者に委任すべし
- 第三十七条
- 会議は定期臨時の別なく組合員半数以上の出席にあらざれば開会せざるものとす
- 但同事件に付再応招集するも尚お半数に満ざるときは其出席員に於て之を決す
- 第三十八条
- 会議の長は組長之を勤む若し組長欠席する場合は幹事之を勤むるものとす
- 第三十九条
- 可否を決するは出席員過半数の同意に依り之を決す可否同数なるときは議長之を定む
- 第四十条
- 会議に於て評決せし事件は特に決議録を作り出席員署名捺印するものとす
- 第四十一条
- 会議に於て評決せし事件は直ちに事務所より組合一般に報告し組合員は必其決議に従うものとす
第七章 組合経費に関する規程
- 第四十二条
- 組合経費は其年〈自一月至六月〉を第一期とし〈自七月至十二月〉を第二期と定め役員会に於て収支予算を設け毎期組合会議の評決を経て之を執行するものとす
- 第四十三条
- 組合経費徴収方法を定むる左の如し
- 一
- 前期中の製造高に依り組合に等級を定め其期間の経費予算額を等級に割当て組合会議の議決を経て徴収するものとす
- 二
- 組合経費毎期負担額を二回に分ち一回分毎に前徴するものとす
- 第四十四条
- 新たに加入せしものの負担額を定むるは其期間製造すべき予算数に因り役員会に於て組合等級に組込み其期経費予算議決の歩合を以て其加入の月より起算徴集するものとす
- 第四十五条
- 経費決算は前期分を〈一月七月〉定期会に報告し其期間の経費予算議決と共に併せて事務所より組合一般に報告すべきものとす
第八章 違約者処分規程
- 第四十六条
- 組合員にして組合規約に違背するものあるときは役員会議の議決を経て左に列記する諸項に拠り処分するものとす
- 一
- 説諭の上将来を戒め尚謝罪状を組合事務所に出さしむる事
- 二
- 組合内の取引を中止し又は取引止めをなし其旨組合内の各店舗若くは応接所に掲示する事
- 三
- 新聞紙に広告する事
- 第四十七条
- 役員にして違約の処分を受けたるときは現任の職を失うものとす
- 第四十八条
- 違約処分の結了したるときは其顛末を府庁に報告するものとす
第九章 加入者退去者に関する規程
- 第四十九条
- 当府下に於て我が同業を営むものは先づ組合に加入することを得この場合には規約を確守するの証として組合を定むる所の帳簿に記名押印すべきものとす
- 第五十条
- 組合員は相当の手続を経たる歟若くは廃業するの場合にあらざれば組合を退去するを得ず
- 第五十一条
- 開廃業者の氏名は毎月(前月分)事務所より組合一般に通報するものとす
第十章 雑則
- 第五十二条
- 毎期の収支予算及決算並に事蹟は府庁に報告するものとす
- 第五十三条
- 組合事務所より召喚又は通達あるときは速かに之に応諾すべし若し応諾し能わざるときは其旨直ちに事務所に申出づべきものとす
- 第五十四条
- 組合事務所より召喚三ヶ度に及ぶも尚出頭せざるときは組長は直ちに違約者と見做し第八章第四十六条違約処分の規程により其処分をなすものとす
- 第五十五条
- 組合規約の変更又は増削を要する場合は組合会議の議決を経て府庁の認可を得たる上実行するものとす
- 第五十六条
- 組合員は支店又は分工場の設廃を其都度事務所に届出づるものとす
右条項確守すべきを誓約し斯に署名押印するものなり
旧カナ漢字を(畧).【】はnagajis注.
大阪府煉化石同業組合設置に係る発起を左記の者に認可せり
明治三十三年二月一日 大阪府知事 菊池侃二
組合区域 大阪府下
営業種類 煉化石製造業
発起人
堺市柳之町西三丁
喜多羅守三郎 【旭株式会社】
泉南郡貝塚町
田端治平 【貝塚煉瓦株式会社】
泉北郡舳松村
安宅重三 【丹治煉瓦or日本煉瓦 たぶん後者】
堺市南附洲新田
白井唯一 【大阪窯業】
東成郡墨江村大字千体
森本小兵衛 【三栄社→伊藤煉瓦工場】
この時点では岸和田煉瓦と堺煉瓦が入っていなかったらしい.そもそも組合がどの程度機能しどんな役割を果たしたのか不明なところがある.そのへんはこれからの課題.大正初期には供給過多な情勢を矯正するために横並びで生産量調整を試みている.また大正6年頃には煉瓦業従業員がストを計画し一悶着起こった(神戸大学新聞記事文庫参照).
警察の人はやっぱりおっかねえなあ……。余計なことしたんかも知れんという自省しか出て来ん。でもこの心地悪さを放置しておくのもどうかだから。廃2のアレとかもあるもんな。3だったっけ?
Facebook使い慣れてないのでメッセージ2連発になった。こんなやり方でいいんだろうか。
共感を得るということに対して何の価値も見いだせない。喜びを感じない。その一時においてはうれしさとか得意とかを覚えても時間が経つにつれてそう感じたことが馬鹿らしく思えてくる。そんなことのために何時間も呻吟してたんかと思う。むろん疎外感は感じるがそれを取り除こうとは思わない。受け入れられなかったという事実の確認で結了している。結了すべきものと思っている。疎外された位置こそ自分の定位置なのだと思っている。 諦めでも開き直りでもなくそう思っている節がある。そのような認識が自分の底流にあると気づいて以来、ものの書きにくいこと書きにくいこと。何で書いてるんだろうねえ、と他人事のように思う。だから疎外されるために書いてるんだと思う。そうそう、共感を拒否して無為に書いて疎外されるところまでが一セット。これほどな人生の無駄遣いはない。小麦の大収穫である。
なんかよくわからんくなったのでコアダンプに放り込む。便利なカテゴリである。
珍しくネタのストックが溜まっていてどうしようかと思う。書かないと細部を忘れてしまうのは必定なのだがかといって一気に書き上げられるほどの力も精神も時間もない。
帰宅ののちザックを片付けていたら江戸ッ子煮が入っていた。しかも二つだ。
購った覚えのない江戸ッ子煮が存在する、という事象はこれまで何度も体験した。飢えに苦しんでいた時、そうでない時、あれやこれやで忙殺されている時、いつのまにか江戸ッ子煮が身の回りに在る。実に不思議な現象である。
これはきっと、江戸ッ子煮の神様が与え給うた試練福音に違いない。心して頂こうと思う。
江戸ッ子煮、温めるとなかなかイケる味なのである。特に昆布。
動画はやっぱり不便だ。だいいち自分が見れないじゃないか。まともに。
変な感じにはなった。
最近焼きそばを焼くのが上手くなり、調子に乗って焼きそばばかり食べている。
子どもの頃から焼きそばは作っていて、例えばCO-OPの乾麺タイプのやつだとかソースつき3袋128円のだとかをおやつ代わりに食っていた記憶がある。下宿し始めてからも結構な頻度で作っていた。安いからな。でも自分で作ると必ずといっていいほどの頻度で麺がフライパンに張り付いてしまう。それをバリバリ剥がしなら炒めようとするものだから、焦げるわ千切れるわ団子になるわで大変なことになる。世の焼きそばがあんなきれいに仕上がっていることが信じられず、作り方欄に記されてはいない秘伝の製法があって世の素人共を貶めるために口外無用になっているに違いないと思っていたほどだった。
バリバリ張り付くのがあんまりにも嫌になって、学生時代の後半くらいにはほとんど作らなくなった。専らUFOか一平ちゃんで満足していた。それが最近、スーパーでふと3玉98円の麺を買ってしまい、作ってみたところ、全く張り付かせずに炒めることができ、しかも再現性をもって実行できるようになった。コツを会得することができたのだった。
要するにフライパンの予熱が甘かったのだ、昔は。油を入れ、これでもかというくらいに加熱せねばならぬ。煙が出るまで熱しなければならぬ。そうしておいて油を回してよく馴染ませてから麺を放り込めばよい。ただそれだけのことだ。
考えてみれば自炊を始めてこのかたテフロン加工のフライパンばかり使ってきた。あまり熱するとテフロンが溶けてしまうのではないかという恐怖があった。フライパンを加熱することに対して臆病になっていた。実際のところはどうなんだろう。油が気化し始める程度の温度でテフロンが溶けてしまうようならどんな料理にも使えないのではないか。その心配をするよりも麺をこびりつかせガリガリ剥がすような使い方のほうがテフロンの傷みを加速するのではないか。無駄に傷めていたのではないか。
麺を放り込んだらひたすらかき混ぜてほぐす。これは麺を均等に炒めるためであってかき混ぜずに放置しておいても張り付くことはない。水を匙一杯入れる必要もない。そのうち火が通ってほぐれてくるので。ただし3袋パックになったやつは麺が柔らかいせいかほぐしているうちに千切れてしまいがちだ。これは大人しく水を差してやったほうがいいのかも知れぬ。1玉売りの麺は予熱さえしっかりしていればどんなに適当に作っても張り付くことはないーーー焼きそば用のでも中華麺でも、どちらでも。
といったようなことを嬉々として書いているのは、そのコツを誰に教わるでもなく書物で学ぶでもなく体得で会得したことが嬉しいからである。世間では当の然として常識であるだろうことであっても、それと無縁の我空間で、自分の力で到達することのできた真理であるからである。40数年生きてきて体得した数少ない真理の一つだからである。「ソースは俺」と言えることを一つ見つけ得たのである。
たかが焼きそばに、と笑いたければ笑うといい。私は焼きそばが上手く炒められるようになったことに満足している。その事実があるだけでよい。
ソースはオタフクとオリバーを試してみたが後者のほうが口に合うようだ。オタフクのはちょっと辛く感じる。お好み焼きソースはこれしか考えられないという位に口に合うのにな(だからそれで焼きそばを作ることもある)。ついでに高知で買ってきた甘い刺し身じょうゆを隠し味的に入れると効果的であることも発見した。最初に甘しょうゆで焦がしておいてソースを絡めるような塩梅だ。その麺とは別のタイミングで野菜と肉を炒め、味付けして麺と合わせる。麺と野菜が分離しがちだが私は別段困らない。そのほうが野菜と麺とを好みのタイミングで食えるしな。
恐ろしく急なつづら折れなのは、超のつく古い道であるからだろうか。廃止されたあとも杣道として使う人があったのは確かだし、そのお陰で道形が鮮明に保たれていたのだろうと思う。杣使いで線形がああなったのではあるまい。1300年の昔から前鬼の住人+アルファが細々と踏みしだいて繋いできた線形がああなのだ。足腰の強靭な吉野の人々の中でもとびきり強靭な一握りが使い込んだ道。だから水平よりも垂直に志向がある上にやたらと長い。
間に挟まっていた長めのスパンは歩きながら休む用だろうか。前後の線形と地形からすればあそこも直登気味つづら折れで構わない筈だがさすがに体が持たないというか休みたくなるのも自明というか。そうしてあの休み尾根について、そこからさらに300登らねばならない。私にはとうてい無理な話である。
昔の人の体力や脚力もまた道の成因に絡んでいるのだと改めて認識させられたひととき。勉強になった。
上北山村から尾鷲に越えていくあの峠なんかどうなんだろうな。あれも一度歩いてみたいものだ。
明治42年の鉄道統計図表にはこの当時官設鉄道に敷設されていた軌条が重量ごと・規格ごとに分類されて載っている。この中で「大津~馬場」間に双頭軌条が20余鎖残っていることになっている。あれ、なんでこんなところに? と思ったら、ここでいう大津駅は開業当初の大津駅、現在の京阪浜大津駅の辺りにあったやつのことで、馬場駅は現膳所駅なのだった。逢坂山隧道から大津に直接降りることができなかったので馬場駅=膳所駅でスイッチバックして湖畔の大津駅に達していた。そこから長浜まで湖上舟運というやつだ。んで件の資料のはその区間のこと(明治22年に米原まで繋がったあと貨物支線として残っていた。いちど旅客扱いが復活したみたいだけどややこしいのでパス。んで1960年代に完全廃止)。
京都~大津間建設の時は大阪~京都間で採用した平底レールから再び双頭軌条に戻った。この区間は明治11年(1878)着工、明治13年(1880)に開業。日本鉄道史上編なんかを読むと確かに鋼製双頭軌条を使ったとある(重さは61ポンド半。先に採用していた双頭レールは錬鉄製の60ポンド軌条:Darlington Iron製で、断面形状はそれと同じだが、密度の違いからちょっとだけ重かった)。故に1878銘のCAMMELLの双頭レールはここで使われた説が根強くある。
でもDarlingtonだって1872にベッセマー炉作ったっていうしなー。73以降のDrarlingtonの双頭レールだって鋼製である可能性が全くないわけじゃないんじゃね、と軽く考えてみたりしている。77とかあてはまりそうだし。切って密度測ったらなんかわかるんかな。厳密に1cm3切り出して重さ測るだけでわかるやろー。
問題はそこじゃなかった。なぜその頃の古レールが1910年代・20年代の古レールと一緒に柵になってるかってことだ。レールの寿命は大体20年くらいなのだそうだ。傷みやすいところはそれよりもっと短命だった(確か神戸大阪間だったか大阪~京都間だったかでも数ヶ月で数本ダメになったとどっかに書いてなかったか→雇外国人年報M12に)。1920年代のが古レールになっているということはそっからさらに20年以上は経過してのちに該柵が作られたってことなので、双頭レールはさらに20年も30年も古いことになる。例えて云うならじーちゃんととーちゃんが子のために柵になってる。そんなに残されてあるものだったんだろうか>双頭レールも初期の平底レールも。まあ同じレールの区間にしか使えなかったのだからその区間の補修用として残しておけば長い間持ったのかも知れないし、新しいやつだって極端に傷みやすい場所で使われていた新古品だったのかも知れないし。そのへんを考えるのは無駄なことなのかも知れぬ。大半は1880年代のものなんだから新しいものと古いものは特異的なブツとみなすほうが合理的だろう。
そういや野田尾のレール柵は横材に双頭レールを使っていながら途中で平底レールに変わっていた。あの柵を作る頃に双頭古レールの在庫が尽きちゃったので平底で代替した、とかだったら面白い。
以前ぶつくさこいていた資料は未だ見つからないのだけれど、このM42の統計を見ると九州鉄道の複数の線に56ポンドレールが使われていることがわかる。とりあえずこれで満足しとこう。でも考えてみたら56ポンドなんてPS&Coばかりじゃないのか。うーん。
おもに「日本鉄道史 上編」より。*はTさんからいただいた資料(岡崎睦「我が国の鉄道黎明期に敷設された鍛鉄製レール」「鉄の歴史-その技術と文化-」フォーラム 第4回公開研究発表会講演論文集(日本鉄鋼協会 社会鉄鋼工学部会)(2002.7.27))より。
なんでこんな瑣末なことを書いてるかというと、どの時点でレールを発注したことになるのかを確認したかったがため。
神戸~大阪~京都間
M3 | (1870) | 大阪神戸間建築の令 |
M3.7. | (1870) | 大阪・神戸に出張所設置(関西鉄道局) |
M3.7.30 | (1870) | 大阪・神戸間測量開始 |
M3.10.24 | (1870) | 石屋川隧道の開削に着手 |
M3.11. | (1870) | 全線の工を起こす |
M3.12 | (1870) | 〔新橋横浜間:横浜英国東洋銀行に一般用途を委託、諸器械買上げ品の検査を担当させる。これより先、ホレシオ・ネルソン・レーの例の先走りによる公債募集と資材購入の事件あり M2.11.に全権委任、M3.6.に75万ポンド分済、M3.12付で罷免 枕木は狭軌で購入済み〕 |
M4.3. | (1871) | 京都敦賀間測量の令 |
M4.4. | (1871) | 京都大阪間測量開始 |
M4.6.16 | (1871) | 京都大阪間測量開始 |
M5.2. | (1872) | 京都出張所設置(M5.3.15.開設) |
M5.1.23. | (1872) | 京都大阪間線路測量・経費予算の上申by井上勝 |
M5.2.5 | (1872) | 京都大阪間ルート決定 |
M5.3. | (1872) | 東鉄道寮設置 京都大阪間の建築を営せしむ 関西鉄道局は西鉄道寮 |
M5.7 | (1872) | 〔新橋横浜間:合円柱植立および鉄条敷設を完了 9.29新橋横浜間工事完工(p.52)〕 |
M5.9. | (1872) | 建築師(Engineer in chief)ボイル着任 |
M6.3. | (1873) | 建築費増額 +249,669弗(物価上昇&ボイルの再査による) |
M6.5.20. | (1873) | 神戸停車場より芦屋川隧道まで約8マイル間に建築列車の運転を試みる |
M6 | (1873) | 〔新橋横浜間:複線化用資材としてCAMMELL社の同断面の鋼鉄レールを発注・敷設(M14 1881 竣工))* |
M6.12.26. | (1873) | 京都大阪間起工 |
M7.5. | (1874) | 大阪神戸間工事落成、11日より運輸開始 60ポンド両双頭鉄条を敷設し鋳鉄製「ポットスリーパル」を用い神戸三ノ宮間は複線(「日本鉄道史 上巻」p.98) 桂川~大阪間には鍛鉄製の平底レール(60lb/yd)、桂川~京都間には鋼鉄平底レール(61.5lb/yd)を敷設。* |
M8.5. | (1875) | 安治川枝線工事竣工 大阪~安治川北岸 1マイル60チェーン 大阪造幣寮の旧馬車道敷地約2哩、鉄条、機関車1両を受領し該枝線の工を補った |
M9.7. | (1876) | 大阪~向日町22マイル57チェーン竣工 28日より開業 |
M10.2.5 | (1877) | 京都神戸間鉄道開業式、翌6日京都停車場開業
木製枕木、平底60ポンドの鉄条 「桂川~大阪間の鍛鉄の平底レールは、摩耗が早く、同12年の「雇外国人年報」には、 「軌条の摩耗は、依然として早過ぎるきらいがある。この12ヶ月間に、延長26mileの線路で、摩耗のため取外した軌条(3年間使用)は、84本に達した。」 と記録されている。このため鍛鉄レールは、翌13年頃から鋼鉄の61.51b/yd平底レール長さ30 ftと更換を始め、同19(1886)年頃、ほぼ全区問の取替えが終了したという。」* |
M10.11.16 | (1877) | 大阪駅曽根崎川水路竣工 |
M10.12.1. | (1877) | 安治川枝線廃止 翌年敷地売却 |
京都大津間
M2.11. | (1869) | 東京~京都間に鉄道敷設を議決 枝線は東京~横浜、琵琶湖辺から敦賀、京都~神戸 |
M3.秋 | (1870) | 京都府、越前~京都間鉄道建設を建言 |
M4.1. | (1871) | 東海道・中山道の踏査結果復命 中山道を推す&敦賀線の重要性を説く |
M4.3.9 | (1871) | 京都~敦賀間測量の令 |
M5 | (1872) | 京都大津間測量終了 |
M6秋 | (1873) | 京都敦賀間測量着手 |
M7.12 | (1874) | さらに美濃路より名古屋に至る線路ロの測量着手 |
M9.2 | (1876) | 井上勝キレる 着工催促 |
M9.4. | (1876) | ボイル、測量結果とそれに基づく計画をを上申 長浜南方にある粘土を塩津に運び製造する瓦壺土樋は良質 煉化石を製造すれば堅硬なるものを産すべし故に此の近傍に於いて製造し陰渠等を造築する石に代用したらその費用を減少すべき(※他の地域は良質の石が採れるので特段の必要がない限り石を使うべきといっている http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/960214/171 /米原名古屋間は鵜沼駅の東南凡そ25マイルを隔てた久尻村にあるが垂井加納の間に良質の粘土充分存在) |
M9.12.26 | (1876) | 工部卿、京都大津間鉄道建築費889280円を提示、本年度省費中より若干を流用し工事に着手せんことを稟議、 |
M10.2.1 | (1877) | 政府↑を許可 |
M10.2. | (1877) | 西南の役勃発、建設停滞 |
M11.4. | (1878) | 起業公債1250万円の6分利つき内国債発行、うち1333914円を京都大津間鉄道建築費にあてる |
M11.3.8 | (1878) | 工部卿(伊藤博文)京都大津間鉄道建設に関して伺書提出、工費1333914円を目処として着工したい |
M11.4.11. | (1878) | 聞き届け |
M11.5.21 | (1878) | 工部卿→鉄道局長 工費再査を命じる |
M11.6. | (1878) | ↑答申 ボイル計算は88万9284円だったが、そこからM8地租改正に伴う土地買い上げ代の増加、隧道穿通器械費廉増、外国注文品輸入税廉増、外国工師属員費用の減などで結局852410円になる(京都大津間建設) |
M11.8.21 | (1878) | 京都大津間建築着工 |
M11.9. | (1878) | 鴨川橋梁着工 |
M11.10.5. | (1878) | 逢坂山隧道東口着工 |
M11.12.5. | (1878) | 西口着工 |
M12.3.19 | (1879) | 大津湖濱に沿う枝線(大津~馬場間)の土工着工 |
M12.5.14 | (1879) | 鴨川以東東勧修寺村間4マイルに土砂運搬の機関車を往復 |
M12.9.12 | (1879) | 逢坂山隧道導坑貫通 |
M12.8.18 | (1879) | 京都~大谷間8マイル11チェーン竣工 仮運転開始 |
M12.8.27 | (1879) | 鉄道局長の意見により大津枝線建築方法変換を指令 もとは1/4マイルだったが3/4マイル延伸して湖辺に築出し停車場内船入場を拡張 |
M13.6.28 | (1879) | 逢坂山隧道竣工 これをもって京都大津間落成 軌条は61ポンド半の双頭鋼製 鋳鉄「ポット・スリーパル」を敷設 全線に用いた煉瓦は堺煉瓦工場(M6民有=原口煉瓦工場)の供給 |
「鉄道黎明期の~」の大阪京都間のレールの使い分けは何を出典にしたものだろう? 「日本鉄道史」には記述がない。もっと一次に近い資料かな。
セブンイレブンの壁に貼られた煉瓦テクスチャがなかなか本格的で見入ってしまった。長手の弓状の皺を見て「モルタルを剥がすなら上だな」とか思ってしまったところで我に返った。末期の患者である。
原稿を書く段階になって>屋ノ棟川トンネル跡を見誤っていたことに気づき訪れたのはいいのだが、隅立て井筒に“レ”だとか抱き沢瀉だとかが出てきてまことに混乱する。西尾士族生産所漢数字“廿七”、刈谷就産所の井桁“廿五”と三引き隅立て井筒“は廿九”はオリジナルで間違いないと思うがとてもごちゃごちゃしている。堺煉瓦の普通もあったので作りは草津川トンネルと同じであったのかも知れない。確かに線路脇の肉厚煉瓦(無刻印)は目地がめっぽう薄いくさび型であった。複線化時もそれに合わせて肉厚煉瓦で巻いていたのかも知れぬ。
荷物の嵩を減らすためにアルコールストーブの使用を試みたのだが燃料をガンガン消費してしまってあまりよくない。3回の採刻で半分くらい入れていたのが尽きてしまう。アルコールのボトルを持ち歩かなければならないのなら、おとなしくガスボンベ+コンロを持ち歩いたほうがよいかも知れぬ。蹴飛ばしてしまった時に偉いことになるしな・・・
_ TUKA [SEIKO 5なんてどうでしょうかね。 生活防水で自動巻き。諭吉で釣りがくる価格。]
_ JINKO [SEIKO5使ってますが、電池替えなくていいのって気楽ですよ。]
_ nagajis [御提案ありがとうございます・・・が、頂く前に解決してしまいました。申し訳なすです。 SEIKOのスポーツマチック5はウチにありました。今どうなってるだろう。]