nagajisの日不定記。
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いろいろな点で刺激的な案件である。妙に具体的なものが例示されている点、その行為を幼稚と断定していいものかどうかという点(幼稚には違いないが他の意図が込められている可能性もなきにしもあらず、例えばマリオカートのバナナ砲誤射とか)、ここに取り上げることもやはり幼稚とされてしまうのであろうかという危惧。どう考えてもゴミ箱とは思えない花壇であることも一言添えたくなる。過ちを知りて改めざるは不仁也。
機能が移転したおかげで正面切って写真が撮れるようなった。ホテルになるそうだがそう決定した経緯が不透明でやっぱり好きになれない。監獄として建設されたものが監獄として機能し続けてきたところに最大の価値があったのであって、機能を止めた時点でもう彼は死んだも同然だ。せいぜい慰み物になるといい。
そして門建築にも刻印が使われていることを確認した。上の写真は向かって左の円柱塔の背後にある壁の繰形を写し上げたもので「□リ」らしいものと(ロリじゃねえぞ)もう一つ断片的なのが写っている。トリミングの外には「□ニ」?らしいものもあった。今のところ「□ワ」が最も大きなイロハ?である。
門建築の煉瓦は少々特殊なやつで、円塔に使われているものも胸壁に使われているものも表面を磨いて仕上げてあるようだ(土質や焼き加減からしても違うかも知れない)。そのせいで赤煉瓦色ではなく赤みがかったアイボリーとでもいうべき色をしている。先に刻印を見つけていた境界壁のほうはごくふつうの赤煉瓦であったので門建築のは監獄製のものではないのかも知れないと思っていたのだけれども、そんなことはなかったのだった。
その他刻印は門建築の左右の壁の笠石の裏に見られるのと、左の円柱塔の足元の溝に敷かれているものに見ることができる。そして壁の刻印は門を離れると見られなくなってしまう。一寸不思議である。この周辺を積んでいた頃にだけ刻印が使われたということなのだろうか? そういえば外周壁の付け柱の天辺も平が露出しているのだけれどもここに刻印を見ることはなかった。そこは意図的に下にした可能性が高いけれども。なお左円塔足元には「○イ」と「□イ」が同列している。この使い分けも理由不明である。(稼働中はこのへんの写真さえ撮ることができなかった。物理的には可能だったけれどもすぐに警備員氏がやって来て「やめてください」と言われたものだ)(遠巻きに撮るのはOKで近づいて撮るとNG、なんて妙なことになったのは移転問題が騒がしくなった頃のこと。それ以前はそんなこともなかったのにな)
本来の目的は監獄刻印ではなく、奈良監獄裏の合葬碑(獄死した人々を弔うもの)の前で見つけていた煉瓦を掘り起こすことにあった。監獄がまだ稼働していた頃に訪れて土手に埋没している煉瓦塊を発見し、そこら辺に落ちていた棒で掘り返していたら、監視カメラで見ていた警備員に駆けつけられてしまったという、曰くつきの煉瓦である。因縁の雪辱である。刑務所機能が移転した今なら好き放題掘り返せる、と思って寄り道したわけである。
そうして掘り起こしたら、確かに奈良監獄から出たものであった。が、あまりに予想外の、どの部位に使われていたか断定することさえできるブツであった。残念ながら刻印はなかったけれども(そのないということも含めて)貴重な資料になるだろう。
合葬碑は明治初年代?から32年?まで、32年から大正3年まで、大正6年から昭和31年までの計3碑がある。最も新しいものが広場中央に据えられているところを見るとその頃に広場が作られ置碑されたのだろう。煉瓦はその広場の側面を構成する土手にわずかに頭を覗かせていたものである。
んでもって奈良監獄は今日の遠出の最終目標ではなかった。午後から上狛へ行き煉瓦工場跡を探した。その件についてはまた後日。