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2018-01-05 [長年日記]

[近代デジタルライブラリー] メモ

日本碍子社章 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030869/46

三潴郡史 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1018306/292

[煉瓦工場] 九州編出来

画像の説明

データを寄せ集めて並べ替えてグラフを書くだけの簡単なお仕事です。

http://www.kyudou.org/documents/up.php?t=kyushubricktable.pdf&m=d

最後にチェックした宮崎県統計書でなかなか面白いことを発見。熊本で盛んに煉瓦を製造していた自助株式会社の第4工場が現宮崎県えびの市にあった。えびのといえば肥薩線と吉都線の分岐点。吉松ー鹿児島はM36開通で自助株式会社第4工場はM33-34頃に稼働が確認できる。ちょっと早いかも知らんが多分建設用だろうと思う。その後M40年代初頭にも2つの工場が興って年100万個超を焼いた(ひとつは自助株式会社工場の継承の可能性大)。終いには二社が合併して年間300万個以上を焼いている。これが多分人吉線方面に使われたんだろう(M41開通)。それが終わるとパタッと止んで消滅してしまう。

といっても漁ったデータは統計書と工場通覧だけで、小さな工場を全て拾えたわけではないのはいつもの通り。大正初期頃には工場が消えてしまうが煉瓦生産量はゼロではないin宮崎県。

熊本県に関してはJSCEの土木史研究会報文で取り上げられていたのがあったのでこれで補完している。県下最初の工場はM20宇土の自助株式会社とある。統計書にはその年度の掲載がないが、創業はM14になっているので、多少製造していただけのかも知れぬ。ただ報文記述の出典がないのではっきりせん。と思ったらちゃんと書いとるやんけ適当抜かすなnagajis>http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1017367/336.これはかなり精細だな、継承関係もはっきりわかる。あとで柿な麻生。もとい書きなおそう。そして書き直した。通覧・統計書に出てこない小工場を2つほど拾えた。他工場の継承はばっちり。

佐賀県の三養基郡三川村寄人の工場群はうまいこと整理できんかった。同じ工場名・工場主でも年ごとに番地が変わったりするので困る(野焼きであちこちで作ってたとか??)。最終的に大川窯業のみが生き残っているが、それ以前は妙に末永姓の経営する工場が多く、彼家が中心になっていたものと思われる。ここら辺と福岡の三潴郡(現久留米市)荒木窯業とか瀬高町文広あたりの煉瓦が熊本に流入して熊本の生産を圧迫したのだな。

天草地方は長崎側でも早くから煉瓦製造が行なわれていて、小工場が多数あったことがチラ見できる(本当はそれ以前、明治になる前から作られていたはずだが)。九州ではこのあたり(有明湾沿岸の一帯)に煉瓦工場地帯があって、それとはまた別に、北九州市エリアでの耐火煉瓦製造が目につく。北九州市域では普通煉瓦や硬化煉瓦の製造もあってまさしく工業地帯という風体。全体的に見ればまあ大体まんべんなく、なのかな。年度によって偏りはあるけれども。

九州には硬化煉瓦をはじめとする亜種煉瓦の製造が多い。化石煉瓦とか鋼鉄煉瓦とか常盤れんがとかわかりそうでよくわからん煉瓦がぽこぽこぽこ出てくる。困ったな。白色煉瓦というのもあったけれどもこれは素地煉瓦ではなくて硬化煉瓦のことだろうと思う。もしくは切り出した珪藻土を焼いた軽量断熱煉瓦か。鋼鉄煉瓦は名古屋にも鉄煉瓦工場があったっけ。そしてなにより鉱滓煉瓦。こういうのを赤煉瓦と区別したほうがいいのかも知れぬと思い、この編からマゼンタ色による色分けを採用することにした。他編もじきにバックワードに修正していく予定。


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