nagajisの日不定記。
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9日晩から12日晩迄外出していたせいでその後を突っ走らなければならなかった。しかも8日は福知山線へ行ってまる一日。その前の日曜日も福知山線。ついでに雨中捜索もしたはず。頑張ったほうだと思うのだ。うん。
今回の旅行後は珍しく[きたく]を書かなかった。余りに充実した旅だったものだからその必要を感じなかったのだ。撮ってきた写真を見直すこともほとんどしていない。書いたり写真を見返したりすることが却って旅の思い出を薄めてしまうような気がしてならなかったのだ。見返すものがなかったんじゃない。見返す必要を感じないほど濃密な時間を過ごし充実の経験をしたと感じている。珍しいことだと思う。
一連のシーケンスから数枚を取り出して掲げることは可能だろうが状況説明が追いつかないようにも思った。無理に掲げれば廃道ポルノにしかならぬ。なので止めておく。そうして忘れて後で困るのは自分なのである。
片付けなければならないことがいっぱいだ。言いたいこともいっぱいだ。しかし書く時間がない。まとめ方もむずかしい。いやそんなこともないか、すべての行動のままに起承転結と成果があっただろ。書く手間惜しむな。流れを忘れるな。だからずっと反芻し続けている。
とか何とかいいながら今日はOさんに頂いたレール断面図を使ってゲージを作成してみたりなどした。福知山線で使うことになるのはおそらく半分もないと思われるのだけれども&同じポンド数の番号違いがドウ違うのかよくわからないまま作ってみたのだけれども、自らの手で型抜きしてゲージを作って実際にフィットさせてみていくうちにわかってくるだろうとも思う。そういや銘を調べるばかりでレールの規格については一切考えてなかったな。断面番号が書いてあればいいのだけれどない場合はどうすんのっちゅう話。だから断面ゲージが必要なのだな。きっと。まあ最初っから完全は望まないほうが身のためだ。こんなんありました、で掲げてツッコミ待ちでいいのではないか。
煉瓦刻印もレールのブランディングも同じ刻印なんだなあと今更のように気づいてみたり、同じ刻印でも厳格性?重み?刻印の一意性?にずいぶんな違いがあるなあと思ってみたりしている。煉瓦刻印を探して歩き回り、珍しいのに遭遇すると妙に嬉しくなってしまったり来歴に思いを馳せたくなったりする。モノから何かを読み取ること、が共根的に好きなのだろう。そしてちゃらんぽらんな私はやはり煉瓦のほうが性に合っている。
8日に福知山線へ行った時、倒れていた電信柱の足掛け出っ張りに太腿をしたたか打ち付けて悶絶した。
電信柱が倒れてそこに在ることは意識のうちにあったのだけれども、それと垂直に突起が伸びていることには露も思い至らず、その倒れた電信柱に沿って歩けば楽だろうという認識の元で全体重をかけて移動した刹那に太腿を強打したのだった。激痛を覚えた瞬間は何が起こったのかさっぱりわからなかったが、臓腑が底から迫り上がってくるような嘔吐感と「血の気の引いた顔」と云うレトリックを当事者視点で確認るよの顔面のさむさ、続いて流れる脂汗。右足をダメにしたあの瞬間の状況とそっくりで、それで「まずいことをした」と気づき、しかしそうやって気づいた時には既に時お寿司、しかも翌日の晩には夜行バスに乗って安芸へ行かねばならないと云う現状把握がさらに血潮を引かせるのであった。
現場から歩いて道場駅へ向かう分には全く差し支えなかったのだが、膝を180度曲げで座るとか、なるほど合点と膝を打ったりしようものなら悶絶してひっくり返ってしまうような状況。裸になって見てみればそこだけうっすら青くなっていたりもした(思っていたほど酷くはなかったが)。なるほど内出血して血液流通量が減少下から血の気が引いたのだな脂汗も出たのだなと納得してみたりもした。
偶々持ち合わせていた強力湿布薬を貼り続け、翌日昼間も何度か張替え、さらに塗り薬タイプのものを塗りたくったりもして無理やり収めて出発した。ザックにも湿布薬を入れていった。そんな準備が功を奏したのか現地に着いて安芸市街を散策している頃には立ったり座ったりに違和を感じることもなくなり、剰え旧県道の金網潜りデスマッチまでこなしたのだ。翌日本丸に行った時には打撲したことさえ忘れていた始末。
あれから一週間が経過したが打撲個所は今でも触れれば少し疼く。内出血部は直後よりも更に黒くなって、そのかわり表皮は何故か黄んなくなっている。右足の時も確かこんなだったような気がする。それにしても打撲が左太腿で良かった。もし右太腿だったらおればかり不公平だといってストライキを起こされていたかも知れぬ。そも右足は足首の打撲をかばって歩いたせいで膝も痛めやすくなっておるのだ(昨年冬のジョギングの時みたいに)。これ以上右ばっかり苦労させたら右足に謀反を起こされ夜中に後ろから刺されるかも知れずおちおち夜道も歩けない。しかもその刺客は四六の24時間ずっと我が身のそばにいて行く先々までついて回るのだ。恐ろしいことである。