nagajisの日不定記。
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○国県道新築改修等の場合に於ける路線の件
明治32年9月26日
土木局長通牒秘乙第333号
国防上県道以上の資格を有せしむる道路は別紙図面朱線の通り必要に有之候間今後新築改修の場合に当ては可成該図面に基き候様致度旨其筋より照会有之候に付右図面及御送付候条将来計画上御参考相成度依命此段及通牒候也
(図面略)
〔『土木法規 第3類 道路ニ関スル事項』 60丁〕
県道が宙ぶらりんになって久しくなった明治32年になってこのような通牒が出されている。国県道を改修する際、陸軍が国防上重要だと考える路線を優先して処理するように、というもの。このような通牒の話は例えば『日本道路史』とかにも出てこない。その後府県の道路改修がこれに則って行なわれたのか、そうでないのか、あるいは大正の軍事国道と一致していくものなのかどうか、道路行政史的に非常に興味がある。
けれども出典の類聚は別紙図面朱線の通りなくせに図面略とか抜かしやがってさっぱりワヤである。どうにかしてこの土木局長通牒秘乙第333号の原本を得たいと思っていたのだが、こんど東京へ行く時にそれを探してみるつもりでいる。多分出てこないと思うけど。
その下調べをしている際に要求した側の記録のほうが見つかった。アジ歴のこれ(Ref.:C06083245900)だ。当然ながら図はついてないが、稟議書の内容から陸軍は内務省に対して道路網図50部を送付したことがわかる。先述通牒は沖縄県を除く46道府県に発せられているので、残り4部のうちのひとつでも国立公文書館にあったりすればもっけの幸いというやつだろう。といっても各府県分の図で50部かも知れず、原本を右から左しているとも限らない。
府県の公文書館で探すという手ももちろんある。しかし各府県に対してその府県の路線がわかる道路網図だけが送られた可能性もあり、だとすると総ての公文書館に総当りしなければならない。だったら元締めのんが国立公文書館で探したほうが早いんじゃね?と思うわけだ。実際各府県に渡った図が見つかるとは限らない。以前大阪で探してもらった時には見つからず(何しろ大阪府の戦前の公文書は空襲で丸焼けになっておる)、兵庫はすんげー適当な検索しかできず、奈良はまほろばライブラリーでも見当たらず、京都は図書館行かないと駄目だし和歌山に至っては目録すら無いし。という状態だった所に滋賀県の存在を思い出した。そうして判明した。滋賀県県政資料室にこの通牒が保存されている。
通牒のいう道路網図が該当府県部分だけだったら国立公文書館にあることに賭けるか各府県の公文書館を総ざらえせにゃならん。もし全国同一の道路網図であれば滋賀県の県政資料室だけで事足りる。後者であってほしい。しかし後者だと11/26(月)を空けたのが無駄になってしまうな。
そん時は荒川区でもほっつくか。
あ、卵は当たらなかったからな。
廃道と煉瓦と古レール。自分の中ではほとんど不可分、質を異にするところなどない三者である。それらに対する興味をもし広めることができたら世界を救うほどの可能性を秘めていると、今でも一応信じている。
モノが面白いのではない。モノを通して垣間見える歴史が面白い。そういう見方の眼を養うことができたら、世界がまるでニュートラルに、面白く興味津々なものになる。根拠のない妄想もありきたりな反応も受け狙いも必要のない純粋な好奇心の充足。納得。推測と裏付けによる証明によって自分理論を構築してゆく難しさと達成感。モノが語ることばに謙虚に耳を傾ける態度。それによって腹が膨れることはないだろうけれども心は満たされ知識は洗練されていく。ああそうか、自分が生まれてきたこのセカイはこんなふうにしてできあがってきたのだな、という理解。認識が深まりポイントが一杯溜まったら何かと交換してもらえるかも知れない。安らかな死とか永遠の休息とかさ。まかり間違っても喝采とか人望とかは手に入らないし要らない。
できればもっと植物とか生物とかの知識がほしいなあ。花鳥風月天地人のことばをみな等しく聴きたいなあ。
河合町の教育委員会の方から続報をいただいた。大輪田の隣、城内の古老にも尋ねてくださったようで、工場の話は伝わっていないそうだけれども、現近鉄線の南側にある赤田池の辺りは昔は良質の赤土が採れたところだとのこと。この赤田池は天明6年の絵図には書かれていないのでそれ以降にできたものと考えられ---ひょっとしたら採掘でこうなったかも知れない。とのこと。そうか、駅南側は旧版地形図でも徹底して山林だったのでハナから頭に入れていなかった。いま池は公園になっているそうだが、周辺を探せば何かしら痕跡が出てくるかも知れぬ。それに池東方にはまだ古い市街地があるではないか。また課題が増えた感じだ。
問い合わせに応えてくださるだけでも有り難いのに、さらに調査を続けて追報をいただけるなどということはめったに無く、まこと感謝感激の至りである。奈良のみなさんはそういう気質なのかも知れない、奈良県立図書情報館へのレファレンスも時間がかかったかわり徹底的に調べて下さった。こうなるとこちらも一過性の興味で済ませられぬ。責任重大である。