nagajisの日不定記。
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マフ巻さんに押しかけっぽいOFF会提案をしてしまって通ってしまいました.急なアレで申し訳ありませんです.頑張って掘ってくるぞ.
宍喰町史によると江戸時代の隧道は一度閉塞し、明治30年代に掘削し直したが間もなくまた閉塞したという.現在の猪ノ峠隧道は昭和10年代の新設隧道だが、少なくとも旧隧道の東口坑口は現隧道とかぶっていない.どの程度まで残っているかは不明.結構な賭ではある.むしろ4日夜の野宿がメ(ry
隧道データベースの新機能を使って地図のエクスポートを披露.要はデータベースの地図出力部分だけを切り出してiframeで取り込もうという魂胆だ.Googleソースを書かなくて
突貫工事なのでまだ
バックナンバー用pdf、特濃!のリンク貼り完了.チェック出しもほぼ完了.これで過去記事分は一段落.おまけコンテンツもあるよ.
次号原稿の明治隧道@大分県は、ORJ4月号で「国道213号隧道史」を寄稿してくださったしろさんにご協力いただくことに.強力な助っ人、というよりこちらからおぶさってしまいそうな位の勢いです.よろしくお願いいたします.
何故かいっぱいになっちゃった>s97。仕事を0.8個×2片付けてから直す。今日中にもう1個。明日までに0.3個。
選奨土木遺産の概略はホントに間違ってます.ご注意.
撮影中にズームさせたらタイガーショットになるんじゃね?と思って試した一枚が今頃になって出てきたうえにそれっぽい出来だった。もうちょっと練習してみよう。部屋の散らかりように関しては、ノーコメント。そして「タイガーショットとは何か」を説明しない非道をゆく。N氏が番組内容を語ってくれただけで実物は見たことがない。
1992年から10数年間にわたって繰り広げられた偽書騒動の話。つがるそとさんぐんし、と読むそうである。青森県の旧家から見つかった(とされる)この古文書は通説をひっくり返す大発見が書かれていて(ということになっていて)村史資料編で取り上げられたり歴史マニアが聖典のような扱いをしたりしていたのだけれども、 東奥日報の新聞記者だった著者が取材と裏付けを積み重ねて偽書だと看破した。その一部始終をまとめたものだ。あまり面白かったので3時間ぐらいで読み切ってしまった。
なんとも不思議な、しかし日本では確実に起こり得る話で、似たようなトンデモ学説だったりインチキ商法だったりが現在進行形で進んでいるのをよく見聞きしてるつもりだったのだけれども、このような偽書騒動が(しかもつい最近に)あったことを知らなかった。その頃は日本の正反対にいて勉強漬けだったもんな。
読んでいろいろ思うことがある。1000巻もの偽古文書を偽造し、東北に偽国家をでっちあげた和田氏のこと。生きるために手段を選んでいる暇などないと悟ってしまった人間は何をしでかすかわからないが、一度染めてしまった手の洗い方がわからず、嘘に嘘を重ねて自縛してしまう心理はわからんでもない。途中で「嘘でした」という勇気があればこんなに各方面を困惑させずに済んだだろうが、つきつづけることでプライドが保てるとか、毒を喰らわば皿まで的な発想になりがちだろうとは思う。
東北人が持つというプライドと劣等感が偽書流布の根っこにあるのかも知れないという話が随所で出てくるが、大分生れかつ郷土愛に乏しい私にはそれを正確に推し量ることができない。中央政権から蝦夷だとして迫害された恨みをいまでも根に持っていて、中央に対する反骨精神のようなものがくすぶっているというような表現をされている。そこまで古い恨みを覚えているもんだろうかと思わないでもなく、しかし「外三郡誌」の舞台が古代〜中世に存在したとされる東北政権を中心としているもんだから表現法としてそこらへんから持ってくるのが妥当なんだろう。そういう疎外感があったから奥羽列藩同盟ができ維新の不発につながったと考えてもいい(それが親>子>孫に伝わって今)。
自分はどうだったかなあ。大分県のいち田舎の町村に生まれて、中央に対する劣等感のようなものはなかった気がする。もちろん邪馬台国の位置とか考えたこともない。都会に対するれという感情もない。ともかく何もない平々凡々な田舎がいやで仕方なかった。別の世界に出たいという思いしかなかった。行き先を大阪に定めた理由はとくにない。あちらでは出るなら福岡、それを超えるなら大阪、という漠然としたイメージがあった。それより東の暮らしとか、日本海側の暮らしというのが全くイメージできなくて、そこが想像の行き止まりだった気がする。実際後になって名古屋や東京を目にした時に自分には住めない場所だと実感した。そうそう、出ていく方向ばかりなのだよな。地方にいて中央を見返してやろうというような発想は浮かばなかった。言い方を変えれば覇気がない県民性、全部よだきいで済ませがちな県民性なのかも知れない。
ひとたび嘘が広まってしまうと、それを訂正することが難しいということ。思い違いとか5時脱字なら可愛いもので、訂正される余地もあるかもしれないが、思想とか発想法とかは根絶されることはない。第三者が面白がって別の文脈で使ってみたりするからなおさら。陰謀論とか水の伝言とかすごく嫌なのだけれどもなくなることはないだろう。廃道を興味本位プギャー本位でしか見れない連中が一定数居続けてるようなものだ。
「外三郡誌」が世に出たのは1970年代なのだが、専門家が見れば明らかにニセモノだとわかるような稚拙な内容だったのに、それが町村の刊行物になったころから話がおかしくなる。最初にそれを防げなかった理由もあまりに日本的で「ファ〜〜〜」と思う。内容が怪しく思えたけれどもとりあえず書いて世に問うことにしたとか、第三者の検証を待つために、なんて、まるで同人誌じゃないか。と思った反面、そうやって逃げ続けているnagajisのスタンスもどうよ?と思わされた。そういうのは京味を持った人間が責任持って最後までやらなきゃいけないのよな。批評も誤字指摘もしてもらえないnagajisのような場合は特にな。
論争とはいうけれども、自分の発行している会誌・雑誌のなかで相手を避難しているだけに見えてしまう。書いて反論することほど無益で疲れることはない。自説に固執して時間をかけて書けばいくらでも反論のしようがあるから、結局はただの喧嘩で終わりがちだ。それを面倒くさく思わない、天性の書き馬鹿のほうが勝つという不毛地帯なんではなかろうか。
他にもいろいろ思い当たる節があったので折を見てかく。
何もなかった日曜日から中部工場のEXCEL化を始めて今しがたやっと全部放り込み終えたのだが名古屋県だけで200軒以上あるという状況を再認識させられる結果となり悪寒を覚えている現今である。ここから旧市町村の合併情報を手繰り現在の市町村にあてはめたうえで北↓東←に並べ替えねばならぬ。土地勘のない地域故にその作業の煩雑なこと筆舌に尽し難い。先に始めた岐阜県の多治見市だけで既にもう凹んでいる。然しながらお陰で名古屋県隣接地域谷間いに相当集中していることがわかり(但し耐火煉瓦である)一寸面白かった。ここなら中央本線で愛知にも長野経由関東にも出せる。海上輸送ではなく陸上輸送なのである。きっと。
愛知と三重は県統計書を真面目に作ってはるので明治期特に前半期の工場消長を追うことができ有り難い。三重県にも明治10年代から煉瓦工場が存在し四日市煉瓦などはその頃から戦後まで赤煉瓦を作り続けている。しかし最後は美濃窯業の四日市工場と伊賀窯業だけになってしまう。三阿耐火煉瓦も昭和50年に入って消滅するんでなかったっけか(現時点ではS51までしか放り込んでない;それ以降はほんとに耐火煉瓦しかなくなるので)。岐阜と愛知の耐火煉瓦は相変わらず盛況で現業の会社も多い。
時おり「インターネットの果て」を想像する。正確に言えばカテゴリタイトルのように「ウェブの果て」というべきだろう。ハイパーリンクによって複雑に連綿しているからこそ蜘蛛の巣に擬えてウェブとはいうのだけれどもそうしたリンクの関係を被リンクの少ないサイトへどんどんと辿って行けばやがて外部リンクを全く持たないサイトに行き当たるんじゃないか。例えばYahooのようなポータルサイトとは全く反対の存在、どこにもリンクを貼らない、ただ一つの被リンクだけでウェブと繋がっているようなサイト。そういうサイトはインターネットの果てといっていいんじゃないか。無論グーグルに拾われていたりしてはいけない。そういう中心から最も遠い所にあるサイト。部録”とかwww.kyudou.orgはいい線行ってるんじゃないかと思うがgooglableな時点で失格である残念ながら。冥王星の宇宙ステーションみたいな存在になりたいものである。
どこからもリンクされていないページ(サイト)を作ることは簡単だが、それだとウェブの一部を構成しているとは言い難く目指すものではない。張り巡らされた蜘蛛の糸の端っこを見てみたい/なってみたいのである。ま、PCやタブレットがすでにネットの端末なんだけどな。
○国県道新築改修等の場合に於ける路線の件
明治32年9月26日
土木局長通牒秘乙第333号
国防上県道以上の資格を有せしむる道路は別紙図面朱線の通り必要に有之候間今後新築改修の場合に当ては可成該図面に基き候様致度旨其筋より照会有之候に付右図面及御送付候条将来計画上御参考相成度依命此段及通牒候也
(図面略)
〔『土木法規 第3類 道路ニ関スル事項』 60丁〕
県道が宙ぶらりんになって久しくなった明治32年になってこのような通牒が出されている。国県道を改修する際、陸軍が国防上重要だと考える路線を優先して処理するように、というもの。このような通牒の話は例えば『日本道路史』とかにも出てこない。その後府県の道路改修がこれに則って行なわれたのか、そうでないのか、あるいは大正の軍事国道と一致していくものなのかどうか、道路行政史的に非常に興味がある。
けれども出典の類聚は別紙図面朱線の通りなくせに図面略とか抜かしやがってさっぱりワヤである。どうにかしてこの土木局長通牒秘乙第333号の原本を得たいと思っていたのだが、こんど東京へ行く時にそれを探してみるつもりでいる。多分出てこないと思うけど。
その下調べをしている際に要求した側の記録のほうが見つかった。アジ歴のこれ(Ref.:C06083245900)だ。当然ながら図はついてないが、稟議書の内容から陸軍は内務省に対して道路網図50部を送付したことがわかる。先述通牒は沖縄県を除く46道府県に発せられているので、残り4部のうちのひとつでも国立公文書館にあったりすればもっけの幸いというやつだろう。といっても各府県分の図で50部かも知れず、原本を右から左しているとも限らない。
府県の公文書館で探すという手ももちろんある。しかし各府県に対してその府県の路線がわかる道路網図だけが送られた可能性もあり、だとすると総ての公文書館に総当りしなければならない。だったら元締めのんが国立公文書館で探したほうが早いんじゃね?と思うわけだ。実際各府県に渡った図が見つかるとは限らない。以前大阪で探してもらった時には見つからず(何しろ大阪府の戦前の公文書は空襲で丸焼けになっておる)、兵庫はすんげー適当な検索しかできず、奈良はまほろばライブラリーでも見当たらず、京都は図書館行かないと駄目だし和歌山に至っては目録すら無いし。という状態だった所に滋賀県の存在を思い出した。そうして判明した。滋賀県県政資料室にこの通牒が保存されている。
通牒のいう道路網図が該当府県部分だけだったら国立公文書館にあることに賭けるか各府県の公文書館を総ざらえせにゃならん。もし全国同一の道路網図であれば滋賀県の県政資料室だけで事足りる。後者であってほしい。しかし後者だと11/26(月)を空けたのが無駄になってしまうな。
そん時は荒川区でもほっつくか。
あ、卵は当たらなかったからな。
廃道と煉瓦と古レール。自分の中ではほとんど不可分、質を異にするところなどない三者である。それらに対する興味をもし広めることができたら世界を救うほどの可能性を秘めていると、今でも一応信じている。
モノが面白いのではない。モノを通して垣間見える歴史が面白い。そういう見方の眼を養うことができたら、世界がまるでニュートラルに、面白く興味津々なものになる。根拠のない妄想もありきたりな反応も受け狙いも必要のない純粋な好奇心の充足。納得。推測と裏付けによる証明によって自分理論を構築してゆく難しさと達成感。モノが語ることばに謙虚に耳を傾ける態度。それによって腹が膨れることはないだろうけれども心は満たされ知識は洗練されていく。ああそうか、自分が生まれてきたこのセカイはこんなふうにしてできあがってきたのだな、という理解。認識が深まりポイントが一杯溜まったら何かと交換してもらえるかも知れない。安らかな死とか永遠の休息とかさ。まかり間違っても喝采とか人望とかは手に入らないし要らない。
できればもっと植物とか生物とかの知識がほしいなあ。花鳥風月天地人のことばをみな等しく聴きたいなあ。
河合町の教育委員会の方から続報をいただいた。大輪田の隣、城内の古老にも尋ねてくださったようで、工場の話は伝わっていないそうだけれども、現近鉄線の南側にある赤田池の辺りは昔は良質の赤土が採れたところだとのこと。この赤田池は天明6年の絵図には書かれていないのでそれ以降にできたものと考えられ---ひょっとしたら採掘でこうなったかも知れない。とのこと。そうか、駅南側は旧版地形図でも徹底して山林だったのでハナから頭に入れていなかった。いま池は公園になっているそうだが、周辺を探せば何かしら痕跡が出てくるかも知れぬ。それに池東方にはまだ古い市街地があるではないか。また課題が増えた感じだ。
問い合わせに応えてくださるだけでも有り難いのに、さらに調査を続けて追報をいただけるなどということはめったに無く、まこと感謝感激の至りである。奈良のみなさんはそういう気質なのかも知れない、奈良県立図書情報館へのレファレンスも時間がかかったかわり徹底的に調べて下さった。こうなるとこちらも一過性の興味で済ませられぬ。責任重大である。
_ MIMIZUK [パスワード入力画面が出てダウンロードページへ行けません.アクセス殺到中なのかしら?]
_ nagajis [うーむバレてしまいましたか(汗 プレスリリースを出して30分ほど、アクセス制限をかけるための .htaccessを置きっぱなしにしてました。申し訳ありません。]