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2018-11-08 [長年日記]

[煉瓦工場] 東京府統計書

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806567/68

M20には主要工場概略が載っていた。良かった、これで大阪と同じことができる。 しかしこの調子で東日本全部やらなあかんちうことになったら泣きそうだな。ほどほどに出てきてほしい。

注目すべきところはそんなに多くない。北海道、東京、その隣接県。それ以外の石川富山長野山梨は出てくる前に掲載が終わるんじゃないだろうか。あ、あと静岡も地味に要注意。東海道線建設で天竜の辺りまで工場作ったらしいからな。

[独言] 静かになると

なぜか過去の悪行が思い出されて嫌になる。生来の不安、あ、この誤字は間違ってはないな、将来の不安が首をもたげてくる。だからといってどうすることもしないのは泰然自失とでもいうべき心境から。悔い改めたって過去は変わらんのよ。むしろそういうのを完全無視するくらいの座った肝がないと新たな展開なんて起こり得ないぞ。

[] かかない

故に今日は中弛みの日として何も書かない。かわりに工業羊羹T13〜16まで起こした。人名はずいぶん飛ばして略記したつもりだけれどもやっぱり進行は遅々だ。

山本煉瓦工場はT15を最後に消える。それでも2つの斎藤工場は頑なにがんばってる。関東平野の工場が徐々に消えていく一方で大連や台湾に資本金百万円クラスの大工場やら商会やら組やら公司やらがポコポコポと現れる。どれも大正8年前後の創業。大戦景気の投資ブームに乗っかって作られたもの。T11辺からの不況と震災とで内地関東の煉瓦工場が次々姿を消していく一方で植民地の煉瓦工場は威勢を保ち続けたようだ。これが昭和に入ってどう変化していくか見ものだ。

大阪ではM30年前後に工場ブームがあって、その頃設立された工場が淘汰の波に耐えて六大工場に成長した。他の府県でもM30頃に確変が起こっているが長続きした工場はわずかである。兵庫県は少し例外的。大正5,6,7,8頃にパンデミックが起こってそれが戦後まで存続した。その傾向はどちからといえば関東平野や外地と近いのかも知れない。大阪の工場が強かったのは東京に先んじて大規模化し得たからか。


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