nagajisの日不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad
今更のようにことばが足りないと思う。思うままにすべてを記述できたらさぞ気持ちいいだろうなあ。
野幌では一次乾燥と二次乾燥の間に整形の工程があった。抜いた煉瓦が自重で変形してしまうのでそれを整える目的があったという。成形用の作業台はろくろ式の立って使うものが一般的。そして「手板」というのを使った。生乾きの煉瓦に手形がついてしまわないように使う板である。
手板は煉瓦一枚ほどの大きさの板に下駄歯を取り付けたもの。左手で持って使う。下駄の歯の間に手を挟み込んではめるので各々ちょうど良いサイズのを使った。その板で寝ている煉瓦を巧みに起こして、煉瓦の六面をしっぺいで叩いて整える。この時の動作も『れんがと女』に詳しく書かれてあるのだが、言葉で言い表すのは難しいと書かれてある通りで、いまいちすっきりと飲み込めない。ともかくこの手板の下駄歯は作業するにつれてチビてくるので(歯と作業台がこすれるから)歯の部分だけ取り替えてもらうことになっていたそうである。
野幌でいう「手板」と同じものと思われるものが『煉瓦要説』の図にもある。「整形用当板」と書かれているやつ。その使い方は詳しく書かれていないけれども。図にはしっぺい(「叩き板」)もある。要するに野幌の製法は明治の日本煉瓦製造のやり方を踏襲し保存していたらしい。
関西の製法はそれらとは違う節がある。まず第一に表面に撫で板で撫でた跡が明瞭にある。しっぺいで叩いたらそういう細かな傷は潰れてしまうだろう。関西の古い煉瓦は引っ掻いた表面をまったく触らずにそのまま焼いたかのようなものが多い。そしてその裏側には例の端筋があり、表面の小傷に似た筋もあるが多くは潰れてしまっている。砂の付着が多くざらついている。しっぺいを使った整形工程があったなら端筋なんかはいの一番に修正されると思う。
実際問題、ここに大きな筋が入っていても特段困りはしない。平を見せるような積み方は滅多にないからだ。長手や小口が整っていさえすればよく、平を整えないのは合理的な手抜きといえる。
だけれども、手板を使った作業はあったかも知れない。手成形で寝て置かれた煉瓦を起こす必要はあったし、播煉や弘栄煉瓦ではその作業の際に使う作業台に作り付けていた印母で刻印が打たれるようになっていた。台に落とすことで打刻したという。その作業を素手でやっていたとしたらどうしても小口長手に手形がつきそうな気がする。かといって手板に類する道具を使っていたとは聞かなかったし。うーん。聞き損ないだろうか。