nagajisの日不定記。
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半分ほど作った埼玉の欠損区間が気になって統計書に当たり直した結果としてM20年前後のデータを得た。日本煉瓦製造ができる以前は北足立郡(川口市)に比較的大きな工場があって年百万本も焼いている。おうおうエライと思ってテキスト化して保存しようとしたら同じファイル名があると宣うダイアログが。よく見たらかなり初めの頃に埼玉県統計書はテキスト化していて単にExcelに入れ忘れていただけだったのだ。ばーかばーかばーか。ばーか。でもそのデータではM38年以降が拾えていなかったようなので全くの無駄足ではなかった。
この頃の統計書は複数部構成で作成されたものが多く、近デジ上ではその1・2部がひとまとめのデータになっていたりするようなことがままある。勧業はたいてい3部とか4部とかなので、最初のほうの目次=第1部目次だけ見て「無い」判断を下し、飛ばしてしまいがちだ。そうやって見損なった工場データが結構あるはず>西日本。
その反省を踏まえて茨城千葉は統計書を拾い直してからグラフを描くことにした。茨城は早い段階に数字羅列になってしまうが各郡の煉瓦生産戸数と個数は通年載っている。つねに10件近くの生産戸数がありながら工場データにはあがってきていない即ち零細工場ばかりだったことがよくわかる。しかもそのデータも年度++するたびにそっくり入れ替わっているんじゃないかと思うほど戸数が変動する。そのくせ合計で数百万本の生産量があるのだから侮れない。こういうのを見るにつけ主要工場ばかり拾い上げて作った工場表に何の意味やエランヴィタールと思ってしまうのだった。
↑の状況は、普段瓦を焼いている工場が、何か突発的な需要が発生して急に煉瓦を弥市来居と依頼され「それじゃあやってみっか」で焼いたり焼かなかったりした結果なのだろうと思う。煉瓦製造を生業としてその製造販売だけで糊口を凌いだような工場はほとんどなかったというわけだ。そういう地域では煉瓦分布や煉瓦刻印の有無はどうなるのだろう。競合会社がないわけだから社章刻印はないような気もするし、全く逆に屋号刻印が無数に出てきそうでもある。
大阪の煉瓦工場が刻印を多用したのは、同じ時期に軒を並べるような近隣地域に煉瓦製造専業の工場が集中して存在していたことが関係してるんじゃないかと思っている。会社社章を押した心持ちの幾分かは、自分の所の製品を他社製品と区別する意味合いであったはずで、もし近隣に競合会社が存在しなければそんな区別をする必要がないだろう。煉瓦工場が1つしかない地域で煉瓦が売られていれば「あああそこの工場のか」と思うはず。あるいは納入先の現場で区別する必要と考えても良い。大阪窯業・岸和田煉瓦・貝塚煉瓦と複数会社の煉瓦がひとつの橋台に使われているような状況は、考えてみれば実は全国的にもレアなケースなのかも知れぬ。
あるいは作業担当者の識別のため。製造個数をあとから数えることができるというのもあるし、むしろ自分が抜いた煉瓦がどのような仕上がりになったかを確認する手立てとして判を押していたんじゃないかと思ってみたりもする。抜いた直後の姿はわかっても、それが実際にどんな煉瓦に焼きあがるかは焼いてみないとわからないわけで、そうして一度抜き手の手を離れたが最後、その行方を追いかけるのは困難だ。そこに目印の判でも押しとかない限り。それ以外に「抜き」の作業にフィードバックをかけて精度をあげていく方法がない気がする。
久保組のように鉄道工事の現場を渡り歩くような煉瓦製造を行なっていた所と、腰を据えて煉瓦製造販売を生業としていた所では、労働者の働き方も違うようだ。「のぼり窯」に描かれた頃の久保組では頭目がいてその下にミニ組とでもいうべきグループが形成されて、頭目が部下の面倒を見、また頭目ごとにその年の生産量を割り当てられた。土木請負の組とまんま同じ(のはず)。一方、播煉では土採りから乾燥まで一連の仕事を家族単位で請負っていた。その家族がどれだけ作ったかで支払われる賃金が変わる。「れんがと女」に書かれる坪松煉瓦は乾燥なら乾燥、運搬なら運搬で固定の仕事を割り振られ、個々の作業量に応じて支払われたみたい。そういう形態のなかで「煉瓦に製造者の印をつける」ことがどういう意味を持ったのかは、会社によって勤務形態が違い得ることも考慮して考えなければなるまい。先述の「仕上がりを確認するため」もそう。
千葉県はやっぱり掴みどころがない。まんべんなく離散的に工場が興って消えていくばかり。やがて生糸や醤油生産が柱になっていって煉瓦製造業の分類場所にも困っているような有様だ。基本的には東京湾沿岸の千葉市までの地域とチーバくんの後頭部うなじ辺に現れる程度。東京に近いところでは限りなく早くから煉瓦工場が興っているがやはり長続きはしなかったようだ。基本的には千葉とよく似た傾向と思う。
最後に神奈川をかたして終わり。唯一刻印を知っている横浜煉瓦、データに拾えなかったなあとか思っていたらちゃんと入っていた。最初の頃の自分の仕業を忘れてしまうほどに遠い道のりを歩んできている。横須賀造船所煉瓦とM10の工場と何か関係あるのかな。
最後に残った東京は単純計算で神奈川県の5倍。下手したら4枚行くんじゃないか。さっさと片付けて楽になりたいと思う一方、これを終わらせたらその先がないと思うと切なくなる。いやまだ凡例整備とか社章入れとか文字収まりの調整とか、やらにゃいかんことは山のようにあるんだよと考えると「よだきい」が頭をもたげてくる。いっそのこと今月はここで終わりにしようか。先は長いのだし誰も待っちゃあいないのだし。ゴミの山から拾い集めたゴミデータで作ったデータの集合体でしかないわけで、ペットボトルで作った夏休みの工作のようなものなんだから、製作者が満足したらそれでポイでいいんではないか。体面を取り繕う提出物としての役目さえ終えたらあと自分で手を加えていくことはほとんどなかろう。