nagajisの日不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad
統計の不備問題で揺れる平成31年の冬に、百年前の出っ鱈目な統計データを平然と取り扱って苦心惨憺しているのは、きっと何かの巡り合わせに違いない(否)。
恐る恐る東京に侵攻してみたが初手が南葛飾区だったせいもあってか気持ちいいという心持ちのほうが強い。明治初期のデータをかなり精度よく拾えていたお陰で繋がる繋がる。Excel生理中には気づかなかった食い違いをグラフ上で解きほぐしたり繋げ直したりしているうちにうんこれだという糸筋が見えてきてピシッとはまってくれる。足立区エリアで1枚使い、荒川区に入って小菅まで入れたところで約1枚でタイムアップ。これで90/220だからやんなっちゃうわ(多分残りは短いのと会社本社ばかり。この調子じゃ5枚行きそうだ)。
内国勧業博覧会の出品目録の創業年を信じれば銀座煉瓦街の煉瓦をもたらした可能性のある工場はいくらでも出てくる。田中工場とか齊藤工場とか。功績をひとり盛煉社に帰すわけにはいかん。つーても直接的具体的な記述は諸井の『煉瓦要説』にある話とS18の日本工業社会史だったっけくらいで、そこで 盛煉社の名前が出てくるくらい。ウォートルス研究が盛んにされているようだからその過程でわかった新事実もあるだろうと思う。それに内国勧業博覧会にある創業年は安政年間のとかもあるから瓦屋業としての創業年ではありえる。しかし他に信用すべき資料がないのだ明治一桁台は。
日本帝国興業要鑑?の人名+地名はたぶん工場所在地ではなく工業者の本籍地。この番地が統計書の工場番地とぴったり合致するものはほとんどない。 だいいちそうだろ、 この本は本来工業会社の一覧だ。工場の一覧じゃない。帝国商工通覧とか日本諸会社役員録とか日本工業羊羹と同じ。それに気づければ金町製瓦の会社欄住所と工場所在地の番地が2番違うのも納得される。工場敷地の外に本社屋があったちうだけの話。
工場所在地にこだわるのは、その番地の周辺に工場の製品が散在している可能性が高いからだ。本社の周りにはたぶんそんなに存在しない。品川白煉瓦の製品が麹町丸ビルのまわりにたくさんあるとは思えぬ。むしろ福島県磐城郡とか岡山県三石とかのほうがあるはず。
明治末年に利根川と支川が改修された時荒川沿いの煉瓦工場が絶滅した。金町も城北も大正時代を見ずに消える。齋藤煉瓦とか千葉煉瓦とかは生き残ったようだが大半は荒川アンダーザブリッジになって跡形も煉瓦の欠片もなくなっているはずだ。あとは鹿浜とか小台とか宮城とかの市街地にぽそと転石している可能性に期待するしかない。誰か探しちゃくれんだろうか。