nagajisの日不定記。
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朝の気温は零下十一度なりき。字号の手旗通信考査あり全部出来たり。十四時より変になりたる腹は十八時半に至りて遂に絶頂となり、五年前の痛さ其のまゝの如し。故に就寝をなし、注射もなしたり。故に十九時半より治りぬ。
長谷川教官殿は名護屋幼年学校の教官に転任の為挨拶あり。その餞別として「海行かば……」を吟ぜられたり。午後は工作あり。別に所感無し。昨日に同じ一昨日を以て春場所大相撲も終了し、双葉山が亦も全勝して優勝したり。
参加者2名計3名。実は予想外に賑やかな探索だった。収穫も上々なり(最後にちょっと時間をオーバーしてしまったのはアレですが・・・)。お疲れさまでした。詳細はまた次号にて。少し写真をupしてみる。
発電所側から見て2つめの隧道。湖岸道路の法面の落石防止ネットのアンカーにされている。ちょっと面白い使い方だ。反対側は意外かつ非常に目立つ位置に口を開けている。ただし南京錠つきで、(合法的に)入ることはできない。
ちょっと山行が風。キャッチコピーの繰り返し点が良い味を出している。生涯のどこかで飲んだことがある記憶があるのだが。中部地方では今でも手に入る?
探索終了後、独り食う遅い昼飯。実はそういう昆布があるものだと考えていた。最近いろんな具が出てるみたいだからな。
…え、OFF報告になってないって? 当然だ。そんなに広い心の持ち主じゃないのよ>nagajis
車のおじさんの案内を済ませたあと、りんどう橋で別れ、自転車を回収したところでちょうど3時。時間が余ったので、朝行き掛けに寄っていた某鉱山跡へ再度足を運んだ。最近知ったのだがいわゆる多田銀山は銀山の辺りだけでなく広範囲にわたって鉱床があったらしい。その一つに奇妙山銅鉱床がある。奇妙山とはいまの知明山、つまり一庫ダムのまん中にそびえるあの山だ。
朝は15分程度の短い探索だった。石垣や周囲の谷を巡る小径、そして潰えた坑道らしきものを見つけていた。それがたぶん、全てだろうと、たかをくくっていたのだが...その奥に本体はあったのだ。
ズリ。激しくズリ。江戸時代からこの状態のズリ。
穴、穴、穴。
最後の一つ(10mほどで終わっている)を除き、いずれもフツーには入れない、立坑だ。ヤバい。ヤバすぎる。
すぐそこで塞がっているのかも知れないが、あのズリの量だ。奥が深いか、あるいは自分が見つけられなかった別の坑があるのかも知れない。
多田の銀銅山は石英脈に混じって析出するタイプのものだという(多田では「ひ」と呼ばれた)。それっぽいものをズリから一つ拾ってきた。←の位置に水平に石英脈があって、黒っぽい鉱石が詰まっている。矢印の反対側にわずかに緑青が吹いている部分もある。
下流の沢にはスラグも見られた。石に叩きつけてみると案外簡単に割れる。割ったときは綺麗な黒褐色だったのだが、空気に触れたせいか錆びてしまった。それでもこの造型はなかなか面白い。
さらに帰りがけに次回の北摂線描用の補完ネタを仕入れてきた。まさかあんな所に栄南団地がありアレがあろうとは。だが方角は確かに合っている。寄寓というか執念というか。
平野にあった能勢電鉄三ツ矢鉱泉引込線(跡?)が消失。一昨年の5月にはまだあったのだが...。
その時の写真。ホームセンターの敷地の一部になっているうえ、そのホームセンターがつぶれてしまっていたために立ち入り出来なかった。奥に見える段差の辺りが引込線のあった場所で、遠目には煉瓦積みなども残っていたように見えたように記憶する。
先日通った時、このホームセンター跡が跡形もなくなくなって更地になっていた。痕跡は微塵もない。三ツ矢サイダーの塔はかろうじで遺されている(写真左手の赤い頭の塔)。
無理してでも立ち入って写真を撮っておけば良かったかな・・・。
たまたま立ち寄った古本屋でたまたま入手した「街道を読む」(105えん)を読んで、司馬さんがうちの田舎に訪れていたことを知った。
飛行機で国東に着き、国東の半島を廻らずに(というのが「街道を読む」らしくて面白い)日出→別府→横断道路を通って由布岳の肩を越えて由布院へ(このルートを須田画伯が一度通ったことがあるというのも意外、確かに印象に残っただろうという眺めの峠だ)。翌日水分峠を越えて玖珠町の角牟礼(つのむれ)城に行こうとしている。
角牟礼城は今でこそ「穴生積み」が有名になった(なってないかも知れないが)戦国時代の山城跡で、町がポスターを作ったりするような場所になったが、当時は町の人はおろか役場の人間も知らなかったようだ。そちこちで尋ね回った結果、三島公園にたどりつき、そして司馬さんは角牟礼城のかわりに末廣神社を「発見」する。
末廣神社は久留島藩第八代藩主の久留島通嘉によって作られた、神社とは名ばかりの城郭だ。小高い山をぐるりと取り巻く石段石垣、天守閣の位置に鞘堂つきの本殿が置かれている。外様大名だった久留島藩は城を持つことが許されなかった。その鬱憤を晴らすために城まがいのこの神社を建てたのだ。そういう事前知識のないままやってきて、末廣神社に出会った司馬さんの驚きはいかほどだったろうと思うし、その本質を見抜く目も確かだ(探していた城がいつのまにかこの神社になっているような感じがしないでもないが。司馬さんは角牟礼城址へは至っていないようだ。何しろ歩いて数十分の山の上だしな)。
司馬さんお得意の「穿ち」もふるっている。役場や町の人がこの「城」に疎いのは、建設に狩り出され虐げられた先祖の記憶が冷淡にさせるのではないか、というのだ。たしかに神社の麓には「喜藤次泣かせの石」という大岩がある。庭石にするために運んできたもののあまりの重さに立ち往生してしまい、陣頭指揮を執っていた庄屋の喜藤次が地団駄を踏んで泣いたという逸話が伝わっている(そこから加持祈祷したりなどしてようやく今の位置に運びおおせた。何しろでかい。畳が八枚敷けるほどの大岩だ)。そんなこともあって、通嘉をダメ大名扱いにしていさえする司馬さんである。
確かに通嘉はそういうタイプの藩主だったようだが、彼は久留島藩400年の退屈な歴史の中でも際立った存在で、他の歴代藩主はそれほどの圧政者ではなかったようだ。末代の藩主などは一汁一菜の食事に質素な籠、時には籠を使わずに歩いたりすることもあったとか。通嘉自身も、神社に置く手水鉢(これがまた法外にでかい。八石入る)を作らせる時に「石の粉一升を穿り得たものには銭一升を与える」などという競争をさせたりするくらいの愛嬌はあったようだ。
真実はもっと別のところにあったのだと思う。大分県人はそもそも「よだきがりや」だ。城のようなものがあっても「そういうもの」としてしか扱わない。活用するのがよだきいのである。そんな町が我が町玖珠町であり、その停滞が我慢ならなかったから飛び出してきた私だ。彼の肩を持つわけではないが、通嘉公みたいな人がいなかったら、もっと寂しい町になっただろうと思う。
nagajisに埋まれと仰る訳ですな。 →整理
途中で投げやりになっているのがミソと見た。
追記:書き込む本人が困るので整理(汗。ドモンはおまけで作ったもので、すでに2セット作ってからおまけで作ったもの。バックナンバーCDにはこちらが収録されるヨテイ。
カレンダーはこちらで我慢なさいまし。CDに収録したら売れ残った時にかなしくなります。ログインして「無料壁紙」から最新号を栗。
メタルカレーは・・・どうしようもないっす。
多分、カレンダーは構図や配色から考えないとだめ。隧道内部のような黒ベタがあれば楽だが、森みたいなのに赤+青+白(or黒)を全部載せるんは無理。あと15日に作ると2カ月要って場所を取る。90%〜80%縮小、字間ツメ
上記をwebから。
http://www.the-orj.org/i/w/1/i.php
ファイルサイズの制限だとか設定の方法だとかはガン無視してます。文字コードだけShift-JISにしていますがApacheがちゃんとsjis返してるかどうかは未確認なので化けるかも。UMAKUITTARAONAGUSAMI(C)広瀬正
PM8:30修正:フォームが表示されなかったのを修正...achtionって何よ。
さらにしつこく修正。CD#2収録html用の検索Javascriptを作成。QRコードの自動作成に対応。大丈夫なんかな>QR
現在容量・残り1.7MB。700MBを使えばまだ50MB入るけど・・・いいか。
_ JINKO [うひゃあ。アンケートにてカレンダーをクレクレした不届者は私でした。 すいません。nagajisさんを殺すつもりはなかったんです、ホントです! ただ大きい画像データさえあればよかったんですが、考えて..]
_ The Kate [ご多忙のところ、申し訳ございませんでした。 そして、ありがとうございました。早速使わせていただいてます。 以後、気をつけます。本当にありがとうございました。 待受の配布テスト。 うちの携帯(Do..]
_ nagajis [あー、誤解です誤解、nagajisは遊んでいるだけでする(汗 携帯待受はCD#2のおまけにもなりますし、サイトのおまけにもなりますし。。。 フォームの件原因がわかって修正しました。お試し下さい。]
なんとなくこんなことを考えている。
形而下 | |||
道の姿をしていない・ 道として機能していない (草ぼうぼう、崩落) | 道の姿をしている・機能している | ||
形而上 | 法的な道路でない | 第一種廃道 廃隧道・廃橋・バイパス廃道・林鉄 | 第二種廃道 近世以前の旧街道・明治里道 |
法的な道路である (国・県・主要地方・市町村道・林道) | 第三種廃道 国県道不通区間 | 第四種廃道 旧道・林鉄転用道路・(未成道路) |
ORJでは成り行き上いろんな道を取り上げてきた。一般的なイメージの廃道(草ぼうぼう・崩壊で通れない)と異なるものもある。今は使われなくなったかつての街道(登山道として残っている)だとか国県道の不通区間だとか。林鉄を車道に転用したものとか。そういうものを「広義の廃道」と考えて掲載してきたわけだが、そのへんを一度整理してみたいなと思った次第。
「廃道」といったときに、見た目の状態・現況として廃道である場合と、法的に道でなくなった場合とがあるだろう。とりあえず、その○×で4つの分類を考えてみようとしたのだが、いまいちだ。そうすんなり分類できない。
形而上形而下はうまい言葉がなくてとりあえず入れてある。要するに目に見える状態と目に見えない状態の2面を考えてみたいということ。未成道路は法的には道路だろうから(「区間の決定」がなされているはずなので)ここに入れたが、未成道路すなわち法的な道ということもあるまい。
もともとは「状態として廃道」か「法的な廃道」であれば廃道とする、みたいなことを考えていたはずだが、そのどちらでもない道(上表第四種廃道)も対象としてあり得ないわけではないのだな。保坂カルバートみたいに現役道路の付帯構造物もあるし。
第二種街道に「近世以前の街道」や「明治里道」を入れたのは、かつての賑わいを失ったという意味では廃道に近いと思うから。まあ旧道と言ってしまえばいいのかも知れないが。
うーん。やっぱり無理があるなあ。別の軸で考えないといけないのか。車道か否かで分けるべきなのかも。利用されていた当初の形態が徒歩道なのか・荷車道なのか・車道なのか。
思った以上に多くの方からプロポーザルをいただいたので整理に呻吟している。しばしまたれたし皆様。
大正9年1月21日 大阪市告示第1号.
広路 幅員24間以上
一等大路 第一類 幅員20間以上
一等大路 第二類 幅員16間以上
一等大路 第三類 幅員12間以上
二等大路 第一類 幅員10間以上
二等大路 第二類 幅員6間以上
○全部残存 △一部残存
等級 (等-類-号) | 路線 | 幅員 (摘要) | |
広路-1 | 大阪駅前北区角田町三百四十九番地の一より大江橋,淀屋橋並長堀川及道頓堀川の各新橋梁を経て難波駅前難波新地五番町五十三番地の一に至るの路線 | 24 | |
1-2-1 | 九条通一丁目七百三番地の一より本田町,端建蔵橋南詰,木津川新橋梁及江戸堀北通二丁目を経て肥後橋南詰に至り北折し肥後橋及渡辺橋を経て東梅田町三百十四番地の一に至るの路線 | 16 | |
1-2-2 | 難波新地三番町四十五番地の一に於て広路第一号線より分岐し賑橋西詰に至るの路線 | 16 (S3.5.29削除) | |
1-3-1 | 肥後橋南詰に於て一等大路第二類第一号線より分岐し西長堀橋及深里橋を経て一等大路第二類第二号線終点と接続し市場橋を経て宮津町三百五十六番地の一に至るの路線 | 13 | |
1-3-2 | 鳴尾町二番地の一より天神橋及松屋町筋を経て天王寺逢坂下之町三番地地先に至るの路線 | 13 | |
1-3-3 | 上福島中五丁目十四番地より西野田茶園町を経て鷺洲町海老江三百二番地の八に至るの路線 | 12 (S3.5.29削除) | |
1-3-4 | 大阪駅前曽根崎中二丁目二百番地の三地先より北野大深町及北野牛丸町を経て中津町下三番百十九番地の二に至り西折し十三橋南詰に至るの路線 | 12 | |
1-3-5 | 堂島大橋南詰より上福島及鷺洲町を経て中津町下三番四百三十五番地の四に於て前号路線に接続するの路線 | 12 | |
1-3-6 | 谷町三丁目三十四番地の一より森之宮東之町四百六十一番地地先に至るの路線 | 12 | |
1-3-7 | 上本町六丁目百六十五番地の一より下味原町八十二番地の四地先に至るの路線 | 12 | |
1-3-8 | 難波河原町二丁目千五百八番地の一より日本橋筋三丁目に至り南折し恵美須町二丁目四十三番地の三地先に至るの路線 | 12 | |
○ | 1-3-9 | 市岡町五百四十八番地の一(現市岡元町四丁目九十二番地)より北福崎北福西ノ町(旧崎町)三樋入堀新橋梁を経て出崎町一丁目八番地地先に至るの路線 | 12 全部残存 |
1-3-10 | 一等大路第三類第一号線終点より今宮町を経て住吉公園に至るの路線 | 12 | |
1-3-11 | 肥後橋南詰に於て一等大路第二類第一号線より分岐し西国橋を経て淀屋橋南詰に於て広路第一号線に接続するの路線 | 12 | |
△ | 1-3-12 | 上本町二丁目三番地の一より谷町六丁目を経て西賑町二十一番地地先に至り曲折し末吉橋を経て長堀川北岸に沿い伯楽橋西詰に至り南折し松島町二丁目十八番地地先に至るの路線 | 12 |
1-3-13 | 一等大路第三類第二号線終点より天王寺西門前逢坂上之町三千六百七十二番地の一地先に至るの路線 | 12 | |
1-3-14 | 天神橋筋六丁目七百十五番地より長良橋南詰に至るの路線 | 12 | |
2-1-1 | 広路第一号線起点より天満橋筋四丁目に至り南折し天満橋を経て谷町六丁目五十番地の一地先に於て一等大路第三類第十二号線に接続するの路線 | 11 (S3.5.29削除) | |
△ | 2-1-2 | 三軒屋上之町六十四番地の三より泉尾町,尻無川渡船場及市岡町を経て南安治川通三丁目五十一番地に至るの路線 | 11 |
2-1-3 | 泉尾町四十九番地の十六に於て前号路線より分岐し新千歳町百二十六番地に至るの路線 | 11 | |
2-1-4 | 木津北島町一丁目五番地地先より津守村を経て敷津村加賀屋三百五十二番地地先に至るの路線 | 11 (S3.5.29削除) | |
2-1-5 | 京橋一丁目一番地地先より上本町二丁目を経て同九丁目に至り西折し椎寺町に至り南折し天王寺村阿倍野二千六十三番地の一に至るの路線 | 10 (S3.5.29削除) | |
△ | 2-1-6 | 北安治川通三丁目四百八十二番地地先より春日出橋並正蓮寺川及伝法川の各新橋梁を経て新淀川左岸北伝法町四丁目百四十四番地の四に至るの路線 | 10 (S3.5.29削除) |
2-1-7 | 西野田茶園町七百七十一番地の二に於て一等大路第三類第三号線より分岐し中津川及伝法川の各新橋梁並稗島村を経て常吉町二十一番地に至るの路線 | 10 (S3.5.29削除) | |
2-1-8 | 一等大路第三類第十四号線終点より長柄橋を経て西中島村柴島三十四番地に至るの路線 | 10 | |
2-1-9 | 善源寺町二十五番地より榎並町野江字渡守三百二十七番地の一に至るの路線 | 10 | |
△ | 2-1-10 | 東雲町一丁目七十八番地地先より森之宮東之町及鯰江町蒲生を経て前号路線に接続するの路線 〔中蒲生町四十六番地より終点に至る区間〕 | 10 (S3.5.29 〔〕の区間を削除) |
2-1-11 | 空心町二丁目十四番地の一に於て二等大路第一類第一号線より分岐し淀川新橋梁及東野田町を経て鯰江町蒲生字加満田番地に至るの路線 | 10 | |
2-1-12 | 上本町九丁目百四十六番地地先に於て二等大路第一類第五号線より分岐し天王寺勝山通を経て鶴橋町猪飼野町字大池百五十五番地の二地先に至るの路線 | 10 | |
2-1-13 | 天王寺寺田町三千五百五十一番地より北百済村を経て平野郷町泥堂字堀の角三百八十二番地地先に至るの路線 | 10 (S3.5.29削除) | |
2-1-14 | 一等大路第三類第一号線終点より南霞町九百七十八番地の一地先に至るの路線 | 10 | |
2-1-15 | 木津川東岸津守村南島三百九十七番地より天王寺村及田辺村を経て平野郷町平野泥堂字堀の角三百八十三番地に於て二等大路第一類第十三号線に接続するの路線 | 10 | |
2-1-16 | 東野田町二百十番地の三に於て二等大路第一類第十一号線より分岐し中野町を経て澤上江町三百四番地の一地先に至るの路線 | 10 | |
2-1-17 | 二等大路第一類第十号線起点より中本町を経て神路村大今里七百三十五番地に至るの路線 | 10 | |
2-1-18 | 一等大路第三類第七号線終点より鶴橋町を経て前号路線に接続するの路線 | 10 | |
2-1-19 | 二等大路第一類第十一号線終点より中本町,神路村及鶴橋町を経て北百済村新在家四百八十七番地地先に於て二等大路第一類第十三号線に接続するの路線 | 10 | |
2-1-20 | 粉浜村北溝筋六百三十一番地の二に於て一等大路第三類第十号線より分岐し敷津村柴谷に至るの路線 | 10 | |
△ | 2-2-1 | 梅田橋北詰より曽根崎川及安治川の北岸に沿い二等大路第一類第六号線起点に接続するの路線 | 8 |
△ | 2-2-2 | 今宮町水渡六百二十二番地の一に於て一等大路第三類第十号線より分岐し木津川落合上渡船場,千島町,泉尾町,尻無川甚兵衛渡船場,北福崎町,三樋入堀新架橋並安治川松ヶ鼻及正蓮寺川の各渡船場を経て酉島町二百二十三番地に於て二等大路第一類第七号線に接続するの路線 | 8 |
○ | 2-2-3 | 鷺洲町海老江百六十七番地の一より同町八百八十三番地の五に於て一等大路第三類第三号線に接続するの路線 | 8 全部残存 |
△ | 2-2-4 | 江戸堀上通二丁目二十五番地に於て一等大路第二類第一号線より分岐し筑前橋田蓑橋及梅田橋を経て中津町下三番二百三十七番地に於て一等大路第三類第四号線に接続するの路線 | 8 |
△ | 2-2-5 | 本田三番町十七番地地先より九条町,辰巳橋,市岡町及田中町を経て七条通一丁目三番地地先に至るの路線 | 8 |
2-2-6 | 南恩加島町十八番地より木津川千本松渡船場に至るの路線 | 8 | |
○ | 2-2-7 | 二等大路第一類第三号線終点より新千歳町四十一番地地先に至り曲折し木津川西岸平尾町五十五番地地先に至るの路線 | 8 全部残存 |
○ | 2-2-8 | 新千歳町四十一番地地先に於て前号路線より分岐し鶴町三丁目に至るの路線 | 8 全部残存 |
○ | 2-2-9 | 小林町百七十五番地地先より木津川西岸千島町二百五十六番地の一に至るの路線 | 8 全部残存 |
○ | 2-2-10 | 千島町二十五番地地先に於て二等大路第二類第二号線より分岐し木津川に並行し平尾町四十四番地地先に於て二等大路第二類第七号線に接続するの路線 | 8 全部残存 |
修正が加えられ「更正第一次」になった第一次大阪都市計画事業.大阪市役所「大阪都市計画並同事業集攬」(1937)より引用.(市)は市区改正設計路線からスライド採用,(新)は新採用の路線(事業).後で入った修正は「→」の段に付け加えた.見難いのは承知之助である.
路線等級 | (市)/(新)・(変更) | |
路線 | 幅員(間) | |
一 広路 | ||
第一号線(御堂筋) | (市)・(238) | |
大阪駅前角田町百六番地より大江橋淀屋橋並長堀川及道頓堀川の各新橋梁を経て難波駅前難波新地五番町五十三番地の一に至るの路線 | 24 | |
二 一等大路第二類 | ||
第一号線(梅田九条線) | (市)・(239) | |
九条通一丁目七百三番地の一より本田町端建蔵橋南詰,木津川新橋梁江戸堀北通二丁目を経て肥後橋南詰に至り北折し肥後橋及渡辺橋を経て東梅田町三百十一番地の一(現三十五番地)に至るの路線 | 16 | |
三 一等大路第三類 | ||
第一号線(西横堀線) | (市)・(226) | |
肥後橋南詰に於て一等大路第二類第一号線より分岐し西長堀橋及深里橋を経て難波元町(現元町)三丁目百八十番地の一に至るの路線 | 13 | |
→S4.12.26. 大阪市告示第365号 | 肥後橋南詰に於て一等大路第二類第一号線より分岐し西長堀橋,深里橋及賑橋西詰を経て難波元町三丁目(現元町三丁目)百八十番地の一に至るの路線 但し湊町駅前に面積約五百四十坪の広場を設く | 13 |
第二号線(松屋町筋線) | (市)・(228) | |
鳴尾町二番地の一より天神橋及び松屋町筋を経て逢阪下之町四十七番地地先に至るの路線 | 15 | |
→S7.2.27. 大阪市告示第43号 | 鳴尾町二番地の一より天神橋及び松屋町を経て逢阪下之町四十七番地地先より一等大路第三類第十三号線に接続するの路線 但し起点より天神橋南詰に至る区間は幅員十五間とす | 13 |
第四号線(梅田十三線) | (市)・(242) | |
大阪駅前曽根崎中二丁目二百番地の三地先より大深町百二十九番地の二に至り北折し柴田町を経て中津町下三番八十四番地の二に至り西折し国有鉄道計画大阪駅貨物線路上に架する陸橋を経て中津町光立寺四百二十四番地の一地先に至り北折し新澱川左岸中津町光立寺四百五番地の一に至るの路線 | 15 | |
第五号線(堂島十三線) | (市) | |
堂島大橋南詰より堂島大橋,上福島及び鷺洲町(現大仁本町二丁目)を経て中津町光立寺四百九番地の五(現中津浜通五丁目六番地)に於て前号路線に接続するの路線 | 12 | |
第六号線(城南線) | (市)・(223) | |
谷町三丁目三十四番地の一より森ノ宮東之町四百四十一番地地先に至るの路線 | 12 | |
→S3.6.23. 大阪市告示第216号の内 | 谷町三丁目三十四番地の一より大手前ノ町,馬場町,法円坂町,杉山町及森之宮西之町を経て森之宮東之町四百六十一番地地先に至るの路線 | 12 |
第七号線(鶴橋線) | (市) | |
上本町六丁目百六十番地の一(現三十二番地)より下味原町を経て国有鉄道城東線を横切り新平野川新橋梁を経て神路村大字大今里(現大今里町)七百三十五番地に至るの路線 但し本線路起点の北側に約八百二十坪の広場を設く | 12 | |
第八号線(紀州街道線) | (市)恵美須町二丁目以北 (新)同 以南 | |
大阪市区改正設計一等大路第三類第八号線中日本橋筋三丁目五十四番地の一地先より恵美須町二丁目四十三番地の三(現二十七番地)地先に至るの路線及同終点より南霞町を経て国有鉄道関西線路下を過ぎ南海鉄道阪堺線に並行し東今船町二番地に至るの路線 | 12 | |
第十号線(難波住吉線) | (市)元町以南 (新)元町以北・(228) | |
広路第一号線終点より難波入堀川新橋梁を経て難波元町三丁目百八十番地の一に於て一等大路第三類第一号線終点に接続し市場橋宮津町を経て国有鉄道関西線路下を過ぎ今宮町(現西萩町)を経て南海鉄道高野線路下を過ぎ粉浜村(現粉浜本町)を経て住吉公園に至るの路線 但し国有鉄道関西線以南は路線の両側に於て各二十六間以内を画り建築敷地を造成す | 15 | |
→S7.2.27. 大阪市告示第43号 | 但書を削る | |
→S8.5.6. 大阪市告示第127号 | 但書を加える 但し敷津町一丁目十三番地より敷津町三丁目二十三番地に至る区間は別紙図面の通幅員十五間乃至二十二間とす | |
第十一号線(大川町線) | (市)・(227) | |
肥後橋南詰に於て一等大路第二類第一号線より分岐し西国橋を経て淀屋橋南詰に於て広路第一号線に接続するの路線 | 12 | |
→S5.1.25. 都市計画大阪地方委員会議決 | 肥後橋南詰に於て一等大路第二類第一号線より分岐し西国橋を経て淀屋橋南詰に於て広路第一号線に接続するの路線 | 13.5乃至16.5 |
第十二号線(長堀線) | (新)上二-玉造 (市)其の他の区間・(225) | |
大阪市区改正設計一等大路第三類第十二号線中伯楽橋西詰より伯楽橋上繋橋及末吉橋を経て西賑町二十一番地地先に至り屈折し谷町六丁目上本町二丁目を経て国有鉄道城東線を横切り中本町を経て一等大路第三類第七号線終点に接続するの路線 但し猫間川以東平野川に至る区間は路線の両側に於て各二十六間以内を画り建築敷地を造成す | 15 | |
→S4.6.29. 大阪市告示第188号 | 大阪市区改正設計一等大路第三類第十二号線起点伯楽橋西詰より伯楽橋,上繋橋及末吉橋を経て西賑町二十一番地地先に至り屈折し谷町六丁目,上本町二丁目を経て国有鉄道城東線を跨ぎ(緩速車道は平面交差とす)中道町を経て一等大路第三類第七号線終点に接続するの路線 但し東雲町一丁目七十八番地より中道町二百五十一晩地に至る区間は幅員十五間乃至十九間とし猫間川以東平野川に至る区間は道路の両側に於て各二十六間以内を画り建築敷地を造成す | 15間 |
→S7.2.27. 大阪市告示第43号 | 末吉橋西詰より末吉橋西賑町及谷町六丁目を経て上本町二丁目三番地の一に至る区間及東雲町一丁目七十八番地より中道黒門町に至り国有鉄道城東線路下を過ぎ中道本通二丁目を経て一等大路第三類第七号線終点に至る区間並に伯楽橋及上繋橋改築 但し東雲町一丁目七十八番地より中道本通二丁目百六十番地に至る路線は幅員十五間乃至十九間とす | 15 |
第十三号線(逢坂線) | (市)公園前-西門前 (新)其の他の区間 | |
恵美須町二丁目四十三番地の三(現二十七番地)地先に於て一等大路第三類第八号線より分岐し天王寺西門前逢坂上之町を経て天王寺大道二丁目三十一番地(現大道二丁目三十一番地)に至り南折し二等大路第一類第十三号線起点に接続するの路線 | 12 | |
第十四号線(天神橋西筋線) | (市)天六以北 (新)天北以南・(229) | |
一等大路第三類第二号線起点より扇橋及天神橋筋六丁目を経て新澱川左岸豊崎町北長柄三百四番地の二に至るの路線 | 15 | |
→S7.2.27. 大阪市告示第43号 | 浪花町五番地より新澱川左岸天神橋筋九丁目八十九番地地先に至る区間 | 15 |
第十五号線(北野線) | (市)・(224) | |
大阪市区改正設計二等大路第一類第一号線中広路第一号線(旧起点)より堀川新橋梁を経て扇橋詰に於て前号路線に接続するの路線 | 15 | |
→S3.11.30. 都市計画大阪地方委員会議決 | 起点附近の設計を変更(図面省略・些少の変更) | |
第十六号線(天満谷町線) | (市)・(削除229,変更229)(注・一等大路第三類第五十九号線となる) | |
大阪市区改正設計二等大路第一類第一号線中前号路線終点より天満橋筋四丁目七十三番地に至り南折し空心町二丁目十五番地の一に至るの路線及天満橋改築 | 13 | |
→S7.2.27. 大阪市告示第43号 | 削除 | |
→S7.2.27. 大阪市告示第43号 | 一等大路第三類第十五号線終点より天満橋筋四丁目に至り右折し一等大路第三類第二十四号線起点に至る区間及天満橋改築 但し天満橋は幅12間とす | 7 |
第十七号線(泉尾市岡線) | (市) | |
大阪市区改正設計二等大路第一類第二号線中大正通四丁目百二十四番地より泉尾町を経て尻無川左岸に至るの路線 | 12 | |
第十八号線(春日出伝法線) | (市) | |
大阪市区改正設計二等大路第一類第六号線中四貫島町四十九番地外五筆合併(現四貫島大通三丁目二十四番地)より正蓮寺川及伝法川の各新橋梁を経て新澱川左岸伝法町北四丁目百四十二番地の一(二十四番地)に至るの路線 | 12 | |
第十九号線(泉尾縦貫線) | (市) | |
泉尾町四十九番地の十六(現北泉尾町三丁目百七番地)に於て一等大路第三類第十七号線より分岐し新千歳町百二十六番地に至るの路線 | 12 | |
第二十号線(法円坂町線) | (市) | |
大阪市区改正設計二等大路第一類第五号線中京橋一丁目一番地先より上本町二丁目一番地の一に至るの路線 但し京橋前之町一番地先及大手前之町一番地地先は幅員十間とす | 12 | |
第二十一号線(阿倍野線) | (市) | |
大阪市区改正設計二等大路第一類第五号線中逢坂上之町十六番地より阿倍野橋を経て天王寺村大字阿倍野四百三十一番地の三(現阿倍野筋六丁目十九番地)に至るの路線 | 13 | |
第二十二号線(善源寺野江線) | (市)・(229) | |
善源寺三丁目五十四番地より榎並町野江三百二十七番地の一に至るの路線 但し路線の両側に於て各二十六間以内を画り建築敷地を造成す | 12 | |
→S7.2.27. 大阪市告示第43号 | 澤上江町四丁目十九番地の一(現都島本通三丁目百番地)より野江町二丁目三百十六番地の一に至り一等大路第三類第五十三号線に接続するの路線 | 15 |
第二十三号線(玉造野江線) | (市) | |
大阪市区改正設計二等大路第一類第十号線中東雲町一丁目七十八番地地先より一等大路第三類第六号線終点に至るの路線 | 12 | |
第二十四号線(天満蒲生線) | (市)・(221) | |
空心町二丁目十五番地の一に於て一等大路第三類第十六号線中より分岐し澱川新橋梁を経て国有鉄道城東線下を過ぎ同支線を横切り更に京阪鉄道線路下を過ぎ鯰江町蒲生二百七十六番地に至るの路線 但し東野田町四丁目二百十番地の三より終点に至る区間は路線の両側に於て各二十六間を画り建築敷地を造成す | 12 | |
→S3.3.10. 大阪市告示第83号 | 空心町二丁目十五番地の一に於て一等大路第三類第十六号線より分岐し澱川新橋梁を経て国有鉄道城東線及京阪電気鉄道線線路下を過ぎ城東貨物線中野町連絡線線路を横切り蒲生町二百七十六番地に至るの路線 但し蒲生町三十番地(現蒲生町一丁目百三十四番地)より野江町三丁目七百七十一番地(現蒲生町二丁目百五番地)に至る区間は幅員十二間乃至十四間とし東野田町四丁目四十七番地より終点に至る区間は路線の両側に於て各二十六間以内を画り建築敷地を造成す | 12 |
→S7.2.27. 大阪市告示第43号 | 但書を左の通更む 但し蒲生町三十番地(現蒲生町一丁目百三十四番地)より野江町三丁目七百七十一番地(現蒲生町二丁目百五番地)に至る区間は幅員十二間乃至十四間とす | |
第二十五号線(猪飼野線) | (市)・(229) | |
上本町九丁目百四十六番地(現五十五番地)地先に於て大阪市区改正設計二等大路第一類第五号線より分岐し天王寺勝山通を経て国有鉄道城東線を横切り新平野川新橋梁を経て鶴橋町猪飼野百五十五番地の二地先に至るの路線 但し国有鉄道城東線以東終点に至る区間は路線の両側に於て各二十六間以内を画り建築敷地を造成す | 12 | |
→S7.2.27. 大阪市告示第43号 | 勝山通四丁目十七番地より国有鉄道城東線路下を過ぎ新平野川新架橋を経て猪飼野町八十八番地(現猪飼野東八丁目四番地)に至り一等大路第三類第五十六号線に接続する区間 | 12 |
第二十六号線(梅ヶ枝線) | (新)・(削除229) | |
難波橋北詰より樋之上町五番地の一地先に至り西折し若松町十九番地の一に於て西折し神山町四十二番地地先に至り一等大路第三類第十五号線に接続するの路線 | 12 | |
→S7.2.27. 大阪市告示第43号 | 削除 | |
四 二等大路第一類 | ||
第十三号線(大阪奈良線) | (市)・(223)(注 水崎町線と改称) | |
宮津町三百五十六番地の一(現七十五番地)に於て一等大路第三類第十号線より分岐師南海鉄道本線及同阪堺線を横切り水崎町南霞町九百七十八番地の一(現三十二番地)地先に至り一等大路第三類第八号線に接続するの路線 | 10 | |
→S3.6.23. 大阪市告示第216号の内 二等大路第一類第十四号線 | 水崎町三十二番地に於て一等大路第三類第八号線より分岐し国有鉄道関西本線北側に沿い南海鉄道阪堺線線路を横切り同町三十七番地に至るの路線 | 10 |
→S7.2.27. 大阪市告示第43号 | 水崎町三十二番地に於て一等大路第三号第八号線より分岐し南海鉄道阪堺線に至るの路線 | 10 |
第十六号線(澤上江町線) | (市) | |
東野田町四丁目二百十番地の三(現六十一番地)に於て一等大路第三類第二十四号線より分岐し東野田町九丁目二百二十八晩地(現二番地)地先に於て北折し澤上江町五丁目六十四番地(現都島中通二丁目三十番地)に於て西折し更に澤上江町四丁目百八番地(現都島中通一丁目八十二番地)に於て北折し澤上江町二丁目七十三番地(現都島本通三丁目二百四十三番地)に於て一等大路第三類第二十二号線に接続するの路線 | 10 | |
第二十一号線(九条市岡線) | (市)(削除230,変更230)(注 二等大路第二類第五号線となる) | |
大阪市区改正設計二等大路第二類第五号線中本田三番町十七番地先より九条町(現九条通二丁目)及辰巳橋を経て辰巳橋西詰に至るの路線 | 10 | |
→S7.2.27. 大阪市告示第43号 | 削除 | |
→S7.2.27. 大阪市告示第43号 二等大路第二類第五号線 九条市岡線 | 本田二番丁十六番地より九条通二丁目及辰巳橋西詰に至るの路線 但し北境川町三丁目一番地より終点に至る区間は幅員十間とす | 8 |
五 二等大路第二類 | ||
第一号線(北安治川通線) | (市)・(220) | |
大阪市区改正設計二等大路第二類第一号線中上福島南一丁目五十五番地に於て二等大路第二類第四号線より分岐し安治川北岸に沿い東芦分橋及西芦分橋を経て西芦分橋西詰に至るの路線 | 8 | |
→S2.1.22. 大阪市告示第11号 | 大阪市区改正設計二等大路第二類第一号線中上福島南一丁目五十五番地に於て二等大路第二類第四号線より分岐し下福島二丁目六十二番地地先に至り西折し大野町二丁目九十四番地の二に至り更に西南に屈折し東芦分橋,西芦分橋を経て北安治川通一丁目八番地地先に至るの路線及下福島二丁目六十二番地地先に於て本線路より分岐し同八十七番地(新船津橋北詰)に至るの路線) | 8 |
→S3.6.23. 大阪市告示第216号の内 | 上福島南一丁目五十五番地に於て二等大路第二類第四号線より分岐し曽根崎川及堂島川埋立地を経て下福島二丁目六十二番地地先に至り西折し大野町二丁目九十四番地の二に至り更に西南に屈折し東芦分橋,西芦分橋を経て北安治川通一丁目八番地地先に至るの路線及下福島二丁目六十二番地地先に於て本線路より分岐し同八十七番地(新船津橋北詰)に至るの路線 | 8 |
第四号線(江戸堀十三線) | (市) | |
大阪市区改正設計二等大路第二類第四号線中江戸堀上通二丁目二十五番地より筑前橋,田蓑橋を経て西梅田町三百九十五番地に至るの路線 但し二等大路第二類第一号線起点より西梅田町三百九十五番地に至る区間は幅員十二間とす | 8 | |
第十一号線(平野町線) | (新)・(223) | |
雑魚場橋西詰より雑魚場橋及平野橋を経て谷町二丁目四番地に至り大阪市区改正設計二等大路第一類第一号線に接続し更に同町二丁目三十五番地の一に於て同線より分岐し大手前之町三番地に於て一等大路第三類第二十号線に接続するの路線 | 7 | |
→S3.6.23. 大阪市告示第216号の内 | 雑魚場西詰より雑魚場橋,京町橋,及平野橋を経て谷町二丁目四番地に至り一等大路第三類第五十九号線に接続し更に同三十五番地の一に於て同線より分岐し大手前ノ町三番地に至り一等大路第三類第二十号線に接続するの路線 | 7 |
→S11.11.14. 大阪市告示第678号 | 二等大路第二類第十一号線(平野町線)中一等大路第三類第五十九号線(天満谷町線)との接続点附近を別紙図面表示の通改む但し一等大路第三類第五十九号線(天満谷町線)との接続点に於ける街角剪除線は之を都市計画として存置するものとす(図面省略) | |
第十二号線(久宝寺町線) | (新)・(224) | |
立売堀南通一丁目十四番地の一に於て一等大路第三類第一号線より分岐し助右衛門橋及久宝寺橋を経て岡山町三百六十一番地に至り屈折し玉堀町五百七十四番地に至り東折し同町五百六十二番地に於て一等大路第三類第二十三号線に接続するの路線 | 7 | |
→S3.6.23. 大阪市告示第216号の内 | 立売堀南通一丁目十四番地の一に於て一等大路第三類第一号線より分岐し助右衛門橋,久宝寺橋,内久宝寺町二丁目及法円坂町を経て岡山町三百六十一番地に至り屈折し玉堀町五百七十四番地に至り東折し同町五百六十二番地に於て一等大路第三類第二十三号線に接続するの路線 | 7 |
第十三号線(堀江玉造線) | (新)・(224) | |
千代崎橋西詰より千代崎橋並西横堀川及東横堀川の各新橋梁を経て木野町十二番地の一に至るの路線 但し南炭屋町三十四番地及其の付近に面積約百十坪の広場を設く | 7 | |
→S3.6.23. 大阪市告示第216号の内 | 千代崎橋西詰より千代崎橋並西横堀川及東横堀川の各新橋梁を経て南玉造町三十一番地の一地先に至るの路線 但し南炭屋町三十四番地及其の付近に面積約百十坪の広場を設く | 7 |
→S11.1.15. 大阪市告示第12号 | 一等大路第三類第二号線(松屋町筋線)との交会点より二等大路第二類第五十号(谷町筋線)との交会点に至る区間を左の通更む 二等大路第二類第十三号 堀江玉造線 起点:瓦屋町二番丁 終点:谷町八丁目 幅員7間 | |
第十四号線(三休橋筋線) | (新) | |
栴檀之木橋北詰より栴檀之木橋を経て三休橋北詰に於て一等大路第三類第十二号線に接続するの路線 | 7 | |
第十五号線(中橋筋線) | (新)(削除234) | |
中橋北詰に於て一等大路第三類第十二号線より分岐し中橋及相生橋を経て阪町四十三番地の一に至るの路線 | 7 | |
→S12.1.16. 大阪市告示第10号 | 削除 原計画線は都市計画として存置 | |
第十六号線(玉江橋筋線) | (新)(230) | |
玉江橋北詰より玉江橋,常安橋,阿波殿橋紀伊国橋並阿波堀川及立売堀川の各新橋梁を経て西長堀北通二丁目三番地に於て一等大路第三類第十二号線に接続するの路線 | 7 | |
→S7.2.27. 大阪市告示第43号 | 江戸堀北通二丁目二十番地に於て一等大路第二類第一号線より分岐し阿波殿橋,紀伊国橋並阿波堀川及立売堀川の各新架橋を経て西長堀北通二丁目三番地に至り一等大路第三類第十二号線に接続するの路線並に玉江橋及常安橋改築 | 7 |
→S12.1.16. 大阪市告示第10号 | 江戸堀北通二丁目二十一番地より終点に至る区間を削除 原計画線は都市計画として存置 | |
第十七号線(富田屋橋筋線) | (新)(234) | |
富田屋橋北詰に於て一等大路第三類第十二号線より分岐し富田屋橋賑江橋並道頓堀川及鼬川の各新橋梁を経て栄町二丁目四十二番地地先に至るの路線 | 7 | |
→S12.1.16. 大阪市告示第10号 | 起点より幸町通一丁目十七番地の二に至る区間を削除 原計画線は都市計画として存置 | |
第十八号線(江戸堀西浜線) | (新) | |
江戸堀北通五丁目三十番地の乙に於て一等大路第二類第一号線より分岐し西北橋,茂左衛門橋,豊橋,島津橋,高橋,玉造橋,黒金橋及日吉橋を経て幸町五丁目八番地の一に至り電車通に接続し更に難波桜川町(現桜川町)三丁目千三百八十八番地の二より江上橋を経て南海鉄道高野線を横切り西浜南通三丁目九十四番地の一(現五十番地)に至るの路線 | 7 | |
第十九号線(御蔵跡町線) | (新) | |
日本橋筋三丁目五十五番地の一に於て一等大路第三類第八号線より分岐し堀初橋を経て高津五番町二番地に於て一等大路第三類第二号線に接続するの路線 | 7 |
一 既設街路中面積凡十八万坪
一 在来の街路にして既定の幅員に満たざるものは之を整理し既定の幅員となすものとす面積凡六万七千坪
一 左の橋梁は耐久的構造に改築するものとす
第五 前各項及大阪市区改正設計に定むるものを除くの外街路及橋梁の築造に関しては大正八年十二月内務省令第二十五号街路構造令の定むる所に拠る
(以下略)
昭和4年竣工の寝屋川橋が一覧に出てこないのは何故だろうと不思議に思っていたが,これだけ「別の都市計画事業」として実施されたものだったから,らしい.分けた理由があったのだろうが本文該当箇所をコピってきていない.この事業では河川改修と道路改修とが不可分なものとして行われてる.たぶん.
路線等級 | (市)/(新)・(変更) | |
路線 | 幅員(間) | |
三 一等大路第三類 | ||
第三十七号線(寝屋川線) | (236) | |
天満橋南詰に於て大阪市区改正設計二等大路第一類第一号線より分岐し京橋一丁目一番地地先に於て一等大路第三類第二十号線に接続し新寝屋川新架橋を経て北詰に至るの路線 但し本道路に接する北側の廃河川敷地及国道二号と本道路との中間に介在する土地に於て建築敷地を造成す | 12 |
道路の部のみ.実施率60%.安治トンや新淀川新橋がこの時に作られ(かけ)た.
第二次都市計画事業では橋梁改築というのがない.またこの事業で新築or修築された橋の一覧みたいなものも(今のところ|手元には)ない.第二次都計事業の産物としての橋を知ろうとするなら逐一当たっていくしかなさそうだ.例えば大阪市「大阪の橋」には大浪橋,源八橋が第二次都市計画事業によるものとある.
街路等級 | 街路名称 | 起点 | 終点 | 主なる経過地 | 幅員(m) | 備考 | |||
等級 | 種別 | 番号 | |||||||
1 2 2 | 今宮平野線 | 東四条三丁目 | 天王寺町 | 阿倍野筋一丁目 | 25乃至40 | 一部 | |||
幅員内訳 | 起点 東田町 山王町一丁目 阿倍野筋一丁目 阿倍野筋一丁目 | 東田町 山王町一丁目 阿倍野筋一丁目 阿倍野筋一丁目 終点 | - - - - - | 25 34 25 40 33 | |||||
1 3 40 | 北野豊津線 | 豊崎西通一丁目 | 西町 | - | 25乃至40 | 一部 | |||
幅員内訳 | 起点 豊崎西通三丁目 北川口町 南方町 | 豊崎西通三丁目 北川口町 南方町 終点 | - - - - - | 25 34 40 27 | |||||
1 3 43 | 澱川北岸線 | 国次町 | 十三南之町二丁目 | 十三西之町二丁目 | 25 | 一部 | |||
1 3 54 | 新庄平野線 | 上新庄町 深江町(現深江中一丁目) | 北大道町 深江町(現深江中六丁目) | - - | 25乃至33 25 | 一部 一部 | |||
幅員内訳 | 起点 上新庄町 西大道町 | 上新庄町 西大道町 終点 | - - - | 25 33 25 | |||||
1 3 55 | 古市清水線 | 森小路町 | 別所町(現古市大道五丁目) | - | 25 | 全部 | |||
1 3 56 | 森小路大和川線 | 森小路町 大今里町 | 蒲生町 杭全町 | - 猪飼野東八丁目 | 25 30 | 一部 一部 | |||
1 3 57 | 玉造左専道線 | 森ノ宮東之町 | 深江町(現深江町中一丁目) | - | 25 | 一部 | |||
1 3 63 | 平野柴谷線 | 駒川町六丁目 | 播磨町西一丁目 | - | 25乃至33 | 一部 | |||
幅員内訳 | 起点 山阪町三丁目 昭和町中五丁目 | 山阪町三丁目 昭和町中五丁目 終点 | - - - | 25 33 25 | |||||
変更 | 1 3 66 | 阿倍野木津川線 | 松田町一丁目 | 花園町 | - | 25 | 一部 | ||
1 3 68 | 天王寺吾彦線 | 天王寺町 | 我孫子町 | 西長居町 | 25乃至40 | 一部 | |||
幅員内訳 | 起点 天王寺町 天王寺町 昭和町西一丁目 昭和町西二丁目 昭和町西五丁目 西田辺町 西長居町 西長居町 東長居町 我孫子町 | 天王寺町 天王寺町 昭和町西一丁目 昭和町西二丁目 昭和町西五丁目 西田辺町 西長居町 西長居町 東長居町 我孫子町 終点 | - - - - - - - - - - - | 27 34 27 40 27 40 27 36 40 27 40 | |||||
1 3 70 | 難波河原町線 | 難波新地五番町 | 難波新地五番町 | - | 33 | 一部 | |||
1 3 71 | 難波泉尾線 | 芦原町 | 大正通四丁目 | - | 22乃至30 | 一部 | |||
幅員内訳 | 起点 久保吉町 久保吉町 三軒家東三丁目 | 久保吉町 久保吉町 三軒家東三丁目 終点 | - - - - | 24 22 30 22 | |||||
2 1 2 | 市岡線 | 弁天町三丁目 | 弁天町五丁目 | - | 11間 | 一部 | |||
2 2 5 | 辰巳橋筋線 | 南境川町三丁目 | 西市岡町二丁目 | - | 8間 | 全部 | |||
2 2 22 | 福町十三線 | 福町地内佃町飛地 | 十三南之町二丁目 | 野里町 | 15 | 一部 | |||
2 2 26 | 柴島線 | 長柄橋北詰 | 南方町 | - | 15 | 全部 | |||
2 2 29 | 伝法桜島線 | 高見町二丁目 | 四貫島大通 | 11 | 一部 | ||||
2 2 31 | 野田西九条線 | 朝日橋通二丁目 | 北安治川通一丁目 | - | 11乃至15 | 一部 | |||
幅員内訳 | 起点 朝日橋通一丁目 | 朝日橋通一丁目 終点 | - - | 11 15 | |||||
2 2 35 | 福島浦江線 | 亀甲町二丁目 | 浦江北三丁目 | - | 11 | 一部 | |||
2 2 40 | 天満友渕線 | 天満橋筋四丁目 | 中野町一丁目 | 中野町二丁目 | 11 | 一部 | |||
2 2 42 | 赤川森小路線 | 赤川町 | 森小路町(現森小路町五丁目) | - | 15 | 全部 | |||
2 2 44 | 寝屋川北岸線 | 相生町 | 新喜多町 | - | 11乃至13 | 一部 | |||
幅員内訳 | 起点 相生町 | 相生町 終点 | - - | 13 11 | |||||
変更 | 2 2 54 | 夕陽丘猪飼野線 | 下寺町二丁目 烏ヶ辻町 | 上本町八丁目 東桃谷町 | - - | 11 11 | 一部(変更) 一部 | ||
2 2 57 | 阿倍野杭全線 | 阿倍野筋三丁目 | 杭全町 | - | 15 | 全部 | |||
2 2 66 | 難波下寺町線 | 芦原町 | 下寺町三丁目 | 元町五丁目 | 11 | 全部 | |||
2 2 69 | 木津西浜線 | 西浜南通三丁目 | 栄町五丁目 | - | 13 | 一部 | |||
2 2 75 | 江戸堀福島線 | 土佐堀通五丁目 | 下福島二丁目 | - | 13 | 全部 | |||
2 2 80 | 安治川市岡線 | 北安治川通一丁目 | 南安治川通二丁目 | - | 11乃至15 | 一部 | |||
幅員内訳 | 起点 南安治川通二丁目 | 南安治川通二丁目 終点 | - - | 11 15 | |||||
夕陽丘猪飼野線 中間部分の位置変更(昭和8年12月29日内務省告示第477号)
阿倍野木津川線 昭和12年2月9日大阪都市計画街路の変更認可に伴い変更(P.187)
大阪市役所「大阪都市計画並同事業集攬」(1937)より.道路・橋梁のみ抜粋.実施率10%以下,だったはず.運河も入れたほうがよいのかも知れぬ.
第一 大阪市区改正設計街路並大阪都市計画街路中左の路線を都市計画事業とす
街路等級 | 街路名称 | 起点 | 終点 | 主なる経過地 | 幅員(m) | |||
等級 | 種別 | 番号 | ||||||
1 3 47 | 西野田伝法線 | 茶園町 | 新家町二丁目 | - | 22 | |||
1 3 50 | 北野善源寺線 | 浪花町 | 澤上江町二丁目(現都島本通三丁目) | 澤上江町一丁目 | 25 | |||
但し澤上江町一丁目(現都島本通一丁目)より終点に至る区間の幅員は27「メートル」とす | ||||||||
1 3 56 | 森小路大和川線 | 蒲生町 | 大今里町 | 中本町 | 25 | |||
1 3 63 | 平野柴谷線 | 中野町 住吉町 | 駒川町六丁目 粉浜本町一丁目 | 帝塚山中一丁目 | 25 25 | |||
但し帝塚山中一丁目より帝塚山西二丁目に至る区間の幅員は30「メートル」とす | ||||||||
1 3 75 | 船津橋筋線 | 茶園町 | 茶園町 | - | 27 | |||
1 3 76 | 阪神国道線 | 茶園町 | 海老江中三丁目 | - | 27 | |||
2 1 2 | 市岡線 | 北泉尾町三丁目 | 弁天町二丁目 | - | 11(間) | |||
2 1 6 | 春日出線 | 北安治川通三丁目 | 四貫島大通三丁目 | - | 20 | |||
2 2 3 | 海老江線 | 海老江上四丁目 | 海老江中三丁目 | - | 8(間) | |||
2 2 24 | 中津赤川線 | 豊崎西通三丁目 | 友渕町 | 天神橋筋八丁目 | 15 | |||
2 2 31 | 野田西九条線 | 大開町三丁目 | 朝日橋通二丁目 | - | 11 | |||
2 2 47 | 中道桑津線 | 森町(現森町南二丁目) | 林寺新家町 | 鶴橋北之町三丁目 | 11 |
別紙図面表示の通
第二 季節街路中面積凡百万平方「メートル」の舗装を都市計画事業とす
第三 左の橋梁の改築を都市計画事業とす
橋梁名称 | 架設河川名 | 所属路線名 | 幅員「メートル」 |
城島橋 | 神崎川 | 府県道伝法尼崎線 | 7 |
大島橋 | 大野川 | 府県道大阪尼崎線 | 7 |
備前橋 | 伝法川 | 府県道伝法尼崎線 | 7 |
貝之浦橋 | 西成用水路 | 府県道吹田三国線 | 7 |
下新庄橋 | 西成用水路 | 市道東淀川区第645号線 | 7 |
樋之口橋 | 天満堀川 | 市道天満橋筋線 | 平均16 |
北辰橋 | 天満堀川 | 市道天満橋筋線 | 7 |
蒲生橋 | 鯰江川 | 府県道城北中浜線 | 18 |
朝日橋 | 寝屋川 | 市道東成区第622号線 | 7 |
栄橋 | 新平野川 | 市道東成区第77号線 | 7 |
御幸橋 | 新平野川 | 市道東成区第58号線 | 7 |
萬歳橋 | 新平野川 | 市道東成区第52号線 | 7 |
上辻橋 | 駒川 | 市道住吉区第377号線 | 25 |
長峡橋 | 十三間川 | 府県道津守堺線 | 7 |
天津橋 | 十三間川 | 府県道加賀屋平野線 | 7 |
中津橋 | 十三間川 | 市道西成区第12号線 | 7 |
千島大橋 | 千島運河 | 市道千島町東線 | 15 |
千島中橋 | 千島運河 | 市道千島町南線 | 15 |
甚兵衛橋 | 尻無川運河 | 市道尻無川西岸線 | 15 |
汐干橋 | 境川運河 | 市道千汐干橋筋線 | 7 |
阿部橋 | 古川 | 市道阿部橋筋線 | 7 |
国津橋 | 古川 | 市道南安治川線 | 11 |
呉服橋 | 古川 | 市道南安治川線 | 7 |
敷津橋 | 西横堀川 | 市道敷津橋筋線 | 7 |
江達橋 | 西横堀川 | 市道唐物町阿波座線 | 9 |
花屋橋 | 阿波堀川 | 市道筑前橋槌橋線 | 7 |
槌橋 | 立売堀川 | 市道筑前橋槌橋線 | 7 |
三休橋 | 長堀川 | 市道三休橋千日前線 | 7 |
州崎橋 | 長堀川 | 市道水分橋筋線 | 8 |
太左衛門橋 | 道頓堀川 | 市道三休橋千日前線 | 7 |
深田橋 | 高津入堀川 | 市道深田橋筋線 | 7 |
安堂寺橋 | 東横堀川 | 市道安堂寺橋筋線 | 7 |
大阪市役所「大阪都市計画並同事業集攬」(1937)より.更正第一次都計事業が始まった頃,大阪府の十大放射路線計画も始まって,その路線も大阪市路線と密接な関係にあるため大阪都市計画路線に組み込まれている.大阪府知事執行.一応入れとく.
第一 街路の新設及拡築の部
三 一等大路第三類 | ||
街路等級 | (変更) | |
路線 | 幅員 | |
第二十七号線(国道十六号線) | ||
一等大路第三類第十号線終点より南海鉄道線路本線に並行し北島町二番地地先大和川新橋梁市郡境界に至るの路線 | 15 | |
第二十八号線(大阪池田線) | (299) | |
一等大路第三類第四号線終点より十三橋新橋梁を経て木川町三百三十番地に至り右折し阪神急行電鉄線路(神戸線)及国有鉄道東海道線貨物線路を横切り神崎川新橋梁を経て庄内村大字牛立百三十一番地に至り右折し阪神急行電鉄線路(宝塚線)を横切り中豊村大字服部三百番地の二に至り左折し同村大字岡山二百十五番地に至るの路線 但し木川町三百三十番地より神崎川左岸に至る区間は幅員十三間とし同地点より終点に至る区間は幅員十間とす | 15 | |
第二十九号線(大阪伊丹線) | (302) | |
木川町三百三十番地に於て前号路線より分岐し今里町七十八番地に至り右折し三津屋町に於て国有鉄道東海道線貨物線を横切り同町六百八十三番地の二に至り左折し加島町千五十番地地崎神崎川左岸堤防に至るの路線 | 13 | |
第三十号線(大阪吹田線) | (302) | |
一等大路第三類第十四号線終点より長柄橋新橋梁を経て同橋北詰に至り右折し新澱川堤防を柴島町三十四番地に至り左折し上新庄町千二百五十二番地に至り更に左折し神崎川新橋梁を経て国有鉄道東海道線路下を過ぎ吹田町宮ノ後二千五百六十一番地に至り右折し同町荒池二千二百三番地に至るの路線 但し吹田町宮ノ後二千五百六十一番地より終点に至る区間は幅員八間とす | 13 | |
第三十一号線(大阪枚岡線) | ||
一等大路第三類第十二号線終点より大今里町八百十二番地に至り左折し深江町千百十一番地(現深江東六丁目四番地)に至り更に左折し同町千百七十七番地の一地先(現深江東六丁目二十三番地)に至るの路線 但し大今里町八百十二番地より終点に至る区間は幅員十三間とす | 15 | |
第三十二号線(阿部野堺線) | ||
一等大路第三類第二十一号線終点より住吉町千二百八十五番地に至り右折し沢之町三十一番地に至り更に右折し南海鉄道線路(高野線)を横切り遠里小野町三百四十番地に至り左折し同町三百六番地地先大和川新橋梁市域界に至るの路線 | 13 | |
第三十三号線(伝法尼崎線) | ||
一等大路第三類第十八号線終点より新澱川,大野川,大和川及神崎川の各新橋梁を経て佃町七百二十六番地地先に至るの路線 | 12 | |
第三十四号線(国道二号線) | ||
一等大路第三類第二十二号線終点より森小路四百九十六番地に至り左折し同町六百三十七番地に至り右折し守口町大字守口六百九十九番地地先に至り左折し同五百五十八番地に至るの路線 但し守口町大字守口六百九十九番地地先より終点に至る区間は幅員八間とす | 13 | |
第三十五号線(大阪住道線) | ||
一等大路第三類第二十四号線終点より鶴見町六百五十八番地地先に至るの路線 | 12 | |
第三十六号線(大阪奈良線) | ||
大阪市区改正設計二等大路第一類第十三号線終点より平野京町二丁目十七番地に至り左折し平野本町一丁目八十六番地地先に至るの路線 | 12 |
半分ほど作った埼玉の欠損区間が気になって統計書に当たり直した結果としてM20年前後のデータを得た。日本煉瓦製造ができる以前は北足立郡(川口市)に比較的大きな工場があって年百万本も焼いている。おうおうエライと思ってテキスト化して保存しようとしたら同じファイル名があると宣うダイアログが。よく見たらかなり初めの頃に埼玉県統計書はテキスト化していて単にExcelに入れ忘れていただけだったのだ。ばーかばーかばーか。ばーか。でもそのデータではM38年以降が拾えていなかったようなので全くの無駄足ではなかった。
この頃の統計書は複数部構成で作成されたものが多く、近デジ上ではその1・2部がひとまとめのデータになっていたりするようなことがままある。勧業はたいてい3部とか4部とかなので、最初のほうの目次=第1部目次だけ見て「無い」判断を下し、飛ばしてしまいがちだ。そうやって見損なった工場データが結構あるはず>西日本。
その反省を踏まえて茨城千葉は統計書を拾い直してからグラフを描くことにした。茨城は早い段階に数字羅列になってしまうが各郡の煉瓦生産戸数と個数は通年載っている。つねに10件近くの生産戸数がありながら工場データにはあがってきていない即ち零細工場ばかりだったことがよくわかる。しかもそのデータも年度++するたびにそっくり入れ替わっているんじゃないかと思うほど戸数が変動する。そのくせ合計で数百万本の生産量があるのだから侮れない。こういうのを見るにつけ主要工場ばかり拾い上げて作った工場表に何の意味やエランヴィタールと思ってしまうのだった。
↑の状況は、普段瓦を焼いている工場が、何か突発的な需要が発生して急に煉瓦を弥市来居と依頼され「それじゃあやってみっか」で焼いたり焼かなかったりした結果なのだろうと思う。煉瓦製造を生業としてその製造販売だけで糊口を凌いだような工場はほとんどなかったというわけだ。そういう地域では煉瓦分布や煉瓦刻印の有無はどうなるのだろう。競合会社がないわけだから社章刻印はないような気もするし、全く逆に屋号刻印が無数に出てきそうでもある。
大阪の煉瓦工場が刻印を多用したのは、同じ時期に軒を並べるような近隣地域に煉瓦製造専業の工場が集中して存在していたことが関係してるんじゃないかと思っている。会社社章を押した心持ちの幾分かは、自分の所の製品を他社製品と区別する意味合いであったはずで、もし近隣に競合会社が存在しなければそんな区別をする必要がないだろう。煉瓦工場が1つしかない地域で煉瓦が売られていれば「あああそこの工場のか」と思うはず。あるいは納入先の現場で区別する必要と考えても良い。大阪窯業・岸和田煉瓦・貝塚煉瓦と複数会社の煉瓦がひとつの橋台に使われているような状況は、考えてみれば実は全国的にもレアなケースなのかも知れぬ。
あるいは作業担当者の識別のため。製造個数をあとから数えることができるというのもあるし、むしろ自分が抜いた煉瓦がどのような仕上がりになったかを確認する手立てとして判を押していたんじゃないかと思ってみたりもする。抜いた直後の姿はわかっても、それが実際にどんな煉瓦に焼きあがるかは焼いてみないとわからないわけで、そうして一度抜き手の手を離れたが最後、その行方を追いかけるのは困難だ。そこに目印の判でも押しとかない限り。それ以外に「抜き」の作業にフィードバックをかけて精度をあげていく方法がない気がする。
久保組のように鉄道工事の現場を渡り歩くような煉瓦製造を行なっていた所と、腰を据えて煉瓦製造販売を生業としていた所では、労働者の働き方も違うようだ。「のぼり窯」に描かれた頃の久保組では頭目がいてその下にミニ組とでもいうべきグループが形成されて、頭目が部下の面倒を見、また頭目ごとにその年の生産量を割り当てられた。土木請負の組とまんま同じ(のはず)。一方、播煉では土採りから乾燥まで一連の仕事を家族単位で請負っていた。その家族がどれだけ作ったかで支払われる賃金が変わる。「れんがと女」に書かれる坪松煉瓦は乾燥なら乾燥、運搬なら運搬で固定の仕事を割り振られ、個々の作業量に応じて支払われたみたい。そういう形態のなかで「煉瓦に製造者の印をつける」ことがどういう意味を持ったのかは、会社によって勤務形態が違い得ることも考慮して考えなければなるまい。先述の「仕上がりを確認するため」もそう。
千葉県はやっぱり掴みどころがない。まんべんなく離散的に工場が興って消えていくばかり。やがて生糸や醤油生産が柱になっていって煉瓦製造業の分類場所にも困っているような有様だ。基本的には東京湾沿岸の千葉市までの地域とチーバくんの後頭部うなじ辺に現れる程度。東京に近いところでは限りなく早くから煉瓦工場が興っているがやはり長続きはしなかったようだ。基本的には千葉とよく似た傾向と思う。
最後に神奈川をかたして終わり。唯一刻印を知っている横浜煉瓦、データに拾えなかったなあとか思っていたらちゃんと入っていた。最初の頃の自分の仕業を忘れてしまうほどに遠い道のりを歩んできている。横須賀造船所煉瓦とM10の工場と何か関係あるのかな。
最後に残った東京は単純計算で神奈川県の5倍。下手したら4枚行くんじゃないか。さっさと片付けて楽になりたいと思う一方、これを終わらせたらその先がないと思うと切なくなる。いやまだ凡例整備とか社章入れとか文字収まりの調整とか、やらにゃいかんことは山のようにあるんだよと考えると「よだきい」が頭をもたげてくる。いっそのこと今月はここで終わりにしようか。先は長いのだし誰も待っちゃあいないのだし。ゴミの山から拾い集めたゴミデータで作ったデータの集合体でしかないわけで、ペットボトルで作った夏休みの工作のようなものなんだから、製作者が満足したらそれでポイでいいんではないか。体面を取り繕う提出物としての役目さえ終えたらあと自分で手を加えていくことはほとんどなかろう。
1ヶ月ほど前から部屋の片隅に掛けて眺めている掛軸。国学者・近藤芳樹の書らしいことはすぐにわかったのだけれども、何て書いてあるのかさっぱりわからない。575の俳句のように思われるけど国学者なら短歌じゃないのかとも思う。仮に短歌の上の句だとしても。 7の最後が「や」、5の最後が「酌む」らしいと思うばかりで、残りはちっとも徹らない。句意などなおさらわからぬ。眺めているうちにいつか判る日が来るかもと思いつつ、かれこれ1ヶ月近く眺め続けて、何も変わらぬまま今に至っている。
それだけでも充分申し訳ないのに、さっきも少し検索してみて、近藤芳樹と自分とが全く無縁の隔世人ではなかったことに今更のように気づいたのだった。近藤芳樹は明治天皇の東北北陸大巡幸に随伴して「くぬかちの記」を書いた人。雨の刀根越を越えて憂き思いをした人だ。私もその跡を辿るようにして刀根越を越えている。彼が見たのと寸分違わぬに違いない湖国の空を見た。
すっかり忘れてた。あの記事を書いた時にずいぶんお世話になった。変体仮名を多用して書かれた「くぬかちの記」を頑張って辿々しく読みさえしているってえのに、それなのにすっかり忘れておるとは。何と罰当たりなことだろう。
著名人のサイン本とか「実物を見た・見ない」とか握手会とか、そういったことには一向に無関心で、むしろ無意味な追従だとしか思っていなかった私だけれど、歴史の向こう側の人だと思っていた人がこれを手づから書いたのだと思うと、そしてその人が歩いた道を私も歩いたのだと気がつくと、今までまるで感じたことのない、親近感に稍々似た敬虔の気持ちが湧いてくる。サインを求めるファンの気持ちの根っこにあるものには共感できるような気がし始めている。なんとも現金なものである。
これが真筆かどうかは不識。頭首印は「自然」、朱文印はまんま「芳樹」で白文印はなし。読める方、こっそり教えていただけたらうれしい。
なんだかんだとがんばってみる。
「百姓の さ□那(な)る月や □□酌む」
頭二文字は百姓だと思われる。大和言葉でいうところの「天皇が慈しむべき天下の大いなる宝である万民」か。
2/2。下の5の1文字目は「老」。
Before...
_ nagajis [はい,そこそこに頑張ります<コラ]
_ あきら@大阪 [明日次第。といったトコロか。 その頃に古坂で発見した旧旧道でまた遊んできます(ォィ]
_ nagajis [12日はちゃんと行きますからね〜>あきら氏]