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旧道倶樂部録"

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2019-08-05 [長年日記]

[独言] 工エエェェ(´д`)ェェエエ工

遅刻覚悟で出社したら休みだったという、もう何度目かわからない体たらくを演じ、過去数回もそうしたように図書館へ行く。大阪は月曜日でも中之島が開いてくれているのでありがたい。

しかし図書館行が久しぶりであったのでデータベース利用にも図書館カードが必要だと記憶違いをしてしまい、家に取りに戻ったせいで、阪急宝塚線のequipment inspectionに引っかかってしまう。直行していたら引っかからなかっただろうという稼働停止に引っかかり、岡町駅で30分ほど無駄に時間を過ごした。カードを取りに帰る時間も含めたら1時間近くロスしたな。でも快晴の青空がきれいだったし心地よい風も吹いていたのでよしとしておく。ダイヤが乱れて足止めを食っている時は腹を立てたって何にもならない。デコにダイヤと書いた男がホームで乱れている姿でも想像して微笑しておるほうが数段宜しい。

先に日本橋に行ってHDDを入手しておく。最近は2.5inchがやけに高い。160GBで1000円とかボッタクリにも程がある。それだけ需要があるということだろうか。もう1000えん弱出してSSDでも買っとけということか。

そして図書館。12:45から閉館間際までがっつり毎索。それだけやっても終えられないM30。そして多分M31も見るべきであるとわかる。ドツボである。1ヶ月24000えん払って自宅で見たほうがいいのではないかと思えてくる。

[煉瓦工場][] 社章群from大阪毎日M30

近々整理せねばならないのでスキャンしておく。

画像の説明1月4日8面。追って合資会社化するとは書かれているが見つけられず。かわりに10月頃信達村の鶴岡氏らが樽井煉瓦株式会社の設立認可を申請しとる。この樽井煉瓦は浜の樽井煉瓦(後の矢代氏工場)ではないほうの樽井煉瓦と思われるのだが、周辺では該刻印を見つけられず。神戸や加古川の細い・くっついた三本線がこいつだったらどうしようと考えると夜も眠れない(が多分それは播煉のはずである)。

画像の説明2月21日5面。ほとんどノーマークだった工場。耐火・坩堝専業だとばかり思っていたが、赤煉瓦も掲げているし、「どんな煉瓦でも作る」と豪語しておる。その割に該刻印は見たことがない。分銅型はさておき富士に正が有り得そうだ。

画像の説明M30に簇出する泡沫工場群のひとつ。この広告を見た直後に工場跡地へ行ってみたが該刻印やはり見当たらなかった。そのかわりに東高野街道沿いに■刻印が分布していることとMASUDA RENGAを追検。会社所在地はいまの瓜破東なのだ(増田煉瓦は大和川対岸)。6月16日6面。

画像の説明この辺りから今日の収穫。西讃煉瓦社章。金町製瓦の○2つに似たような、serifつきCを2つ重ねたような社章。しかし別紙では「セイサン」と刻まれたやつが見つかっている。社章タイプはどうなんだろう、存在するのかどうか疑問だ(関西圏で金町?というようなやつを見たことがあるようなないような……)。西讃煉瓦は香川県観音寺市に最初に興った煉瓦製造会社。38年だったかに讃岐煉瓦に吸収合併されて分工場となり、それが後に本社になる。この広告には新式輪環窯と登窯を使用とあって地味に興味深い。関西ではM24の大阪窯業が最初で、M30には堺にも堺煉瓦の1基しかなかった(同年中に日本煉瓦が2基建造。泉南では貝塚と岸和田が採用してたんじゃなかったけか。あと実現したかどうかよくわからない堺煉化石の擬洋風環窯)。最初期の環窯の一つといってよい。8月18日号、面が掠れて読めんがたぶん5面あたり。

画像の説明そうして讃岐煉瓦もこの年に広告を出している。例の松葉菱に篆書体の「讃」。それそのものの刻印は未見だが枠の松葉菱と文字を組み合わせたタイプが永く使い続けられることになる。コメンタリーの「裁断自在ナリ」は地味ながら実用面で大きなアドバンテージになったものと思う。カッチカチに硬いやつでないときれいに割れねえんだよな。胎土が粗かったり焼きが甘かったりすると断面が凸凹になって美しくないのである、と経験者談として書いておく。10月3日7面。

画像の説明少し前後するが稲田の浪速煉瓦。たしかこの工場、最初の設立許可申請の時は「浪花煉瓦」だった。いつのまにか「浪速」になっている(どこかで訂正申請を出してた気もする)。そうして稲田はつい最近歩いた地域だ。これを知っていたらもうちょっと時間をかけて歩き回ったんだがな……。いま地形図を見直したら徳庵駅東1丁には煙突記号と垣根囲いのある工場がポツンと描かれている。元恩地川の対岸の今里には窯記号が複数。そんなに盛んだったところには見えなかったんだがな。古煉瓦は確かにあったけどさ。
浪速煉瓦は1wほど前にも広告が出ていて、そちらには「煉」字のない外枠だけのマークが掲げられている。要するに「煉」が入るかどうかはどっちでもよくて、外枠の形に社章としての重みが置かれていたことがわかる。讃岐煉瓦が松葉菱固定で中を使いまわしたのも同じ。8月25日8面。

画像の説明

そうして至高の問題児・津守煉瓦(株)。疲れがピークに達して生欠伸が噛み殺せなくなっているような段階で見つけたものだから一挙に目が醒めた。どう見ても堺煉瓦ですしかも添印"七”です本当にありが(ry。

この広告をどう解釈すればよいのだろう。この広告だけを根拠にして津守煉瓦=五本線≠六稜星だと鵜呑みにするような純真な心は有していないしM25頃からの鉄道構造物で五本線刻印が頻出する現実ともそぐわない。堺は五本線であって揺るぎなく、その知名度に便乗して津守がブラフを打ったというのが第一説。後に創業主が立ち上げた林土管煉瓦は大阪窯業マークをパクってたりするもんだから、行儀のよくない、グレーゾーンを生き抜いた工場と言われたら納得してしまうと思う(少なくともわたしは)。

第二説は、津守が煉瓦の小売販売もしていて、堺煉瓦製品の取り扱いがあったから「煉瓦の代表的なイメージ」として掲げてみただけというもの。悪気がなかったにしても第一説並みに悪事である(堺煉瓦は社章を商標登録していない。後年でもそう。なので法的には裁かれない)。

第三説は実は堺煉瓦と津守煉瓦の関係が、そういうのを許すようなバックグラウンドのあるものだった---少なくとも設立当初は---という説。津守が分工場を置いた狭山に堺煉瓦も分工場を作っていたりするから、某かの関係があったと見れなくはない。ただ創業者や役員の間に今の所共通点は見いだせない。そういえば製造年度が絞り込める六稜星刻印は少なかったはず。新大阪の近くの跨道橋の橋台に中型が使われていたが多分あれはM31の拡幅部分。それが一番古い。もう一年前はどうだろう? あと漢数字添印の堺煉瓦はM29の山中トンネルとかM28の大手前配水池で見ている。M30より少しあたらしい。

とにもかくにも、まったくいらんことをしてくれたものである。そしていらんものを見つけてしまったものである。

余談だがこの広告の「煉瓦製造」のアイキャッチは西讃煉瓦の広告に使われているものと全く同じだ。このへんは新聞社のほうで勝手に付け足したりしているのかも知れない。


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