nagajisの日不定記。
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橋渡し橋渡し。橋だけに。うん。上手い事言ったつもりは全くない。
ついでに孝子峠の鉄筋アーチ橋見に行こうかな……。今はもうないみたいなんだけど、すげえ気になる。しかしこの時期は日が落ちるの早いからなー。
橋の話題を待ちわびている方がおられるというのはまことに有難いことである。ネタがないうえ鮮度が落ちまくりなので申し訳ないと思うばかり。次回も領家第二橋梁だし・・・。
最後の日に向けて本の運びだしと棚分解。後半はひたすら棚のネジを外していた。電動ドライバーを使やぁ一瞬で済む仕事なのだが、何故かむきになって手回しでやり続けた。右手首左手首を何回転させたかわからない。幸いネジは固くないので回転数だけがものを言う作業である。
ネジを回して外すという単純繰り返し作業のなかに何かを見出そうという努力を積み重ねた結果中々な速度まで上達した。手首が疲れてきたら錐揉み式で回すとよいことを発見してみたり、それに加えて自分自身がネジの周囲を左回りすることで若干の回転を加える法を編み出したり。後者は電球ジョークポーランド人バージョンからの発想である。ただしでかい棚の周囲なので1/2回転がせいぜいだ。
地震の時にひっくり返った棚である。死屍累々を必死になって起こして治して、割れた棚板を交換したりもした。今それを完膚無きまでに破壊し尽くしている。滅多に経験する機会のない破壊行動の充足だとか後生冥加だとかと思い込まなければ、やっていけない。
タイトルに意味はない。書くリハビリをしないといけないと思う。考えずにてけてけ書く練習。思ったことを直結神経で書く練習。脳みそで煮込んでも味噌味にはならないのだから諦めてフレッシュジュースとして召し上がるほうがいいと思うんだ。味噌にフレッシュも何もないだろうが。
味噌と書いてとっさに青森で贖ったカネサの甘味噌を思い出した。賞味期限が一週間過ぎた味噌を買おうとしてしまい、店の人に「漬物に使うのにはいんだけどねー」と言われながら賞味期限まであと3日も残っているものと交換してくれた例の味噌である。二度と口にする機会はないだろうと思いつつ時折思い出してみたりする暮らしがもう17年も経過した。しかし今のご時世じゃ通販で買えてしまうのかも知れないのだな。旅情も郷愁もあったもんじゃない。現実を知ってしまうのが怖くて検索したことはない。
鼻水の気配がまだ少し残っているのである。歩き回って担ぎ歩いて体がぽやぽやしてくると鼻腔にたまってくる。室内で吐く訳にはいかないのでずるずる啜って飲み込んでいるがこれで結構な量の塵芥を摂取しているだろうと思う。そのお陰で妙な免疫がついているという自覚があるがこれで本当にアレルギー体質なのかと訝ってみたりもする。実はそれを否定したいがための鼻啜りであり不衛生不摂生であったりする面がなきにしもあらずなのだが改善も悪化もしないあたり結局はnagajisなんだろうと思ったりもするのである。
いつのまにか効率とか安全確認とか危険より手間とかいった気配りができるようになっていて我ながら驚きである。危ないことを危ないとわかりながらして仕抉る人生を送ってきた私のはずであるのだが。周囲がそういう者ばかりだと反物質的に逆のことをしはじめるのだろうか。他人をスーパーリフレクションな反面教師と見做しているのだろうか。
自分のためだけに生きているくせにとは思うけれどもそうではない人生を貶したり嫌ったりするつもりもないのである、できれば世のため人のためになることをしてから死にたいと、これでもそう考えているのである。抱えている負債はそうでしか償還できない。借り逃げ持ち逃げしてもよからんずらんができれば精算したいものである(できるもんならやってみな)。
ヤマにトンボは何だっけ……どこかで屋号か社章を見た記憶があるようなないような。あ、これってこれなんだ、と思った記憶が微かにある。しかし余りに微かすぎて勝手に作り上げた妄想漠念のような気もする。物覚えが悪くなると過去まで歪めてしまうからきらいだ。