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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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1941-11-21 この日を編集

[陸幼日記]十一月二十一日 金曜日 曇

一日が愉快に過せたり。独逸語は我の好くする所の科目なり。故に、やり次第上達せんこと明らかなれども、今日まではいはゞ眠りいたり。活動せんとすれば上達するぞ。学芸会の練習。


1942-11-21 この日を編集

[陸幼日記]十一月二十一日 土 曇

早朝に雨の為むし暑きを覚ゆ。
三年は一時より明日一時まで終日校外訓育にて小倉工廠を見学、一年は終日の予定の阿蘇登山が雨の為延期となる。
午後訓話・学用品検査・愛校作業ありて、後に久しくして走り機械体操をなし、如何に鈍重になりたるか力を感じたり。体操も亦行わざるべからず。
夕食後柔道場に於て学年会を実施して、和気藹々の中に団結を計りたり。
十一月十五日関門トンネル開通し、熊本にも東京行列車を見る如くなりぬ。尚長崎には富士が至〔通〕り佐賀も九州にては門司・福岡・鳥栖と共に停車するとぞ。快なり。
佐中より海兵七名合格との報あり。


2006-11-21 煮詰まる この日を編集

[] さんざん書いたのに

 間違って前のページに戻ってしまって書いたやつが消えちゃったよぉぉぉ.そうして意味不明な書き込みになってしまうのか、これも.

 ともかくちと煮詰まったので一晩何もせずに寝るという連絡事項です.メールの返事が遅れているみなさま、ごめんなさい.私は冪乗則を地でゆきます.

[独言] 書かなかったことの続き

 同じことを2度打つのもはげらしい(大分弁で「ばかばかしい」の意)ので、しかしそれはそれで自分らしいかも知れないと一瞬思ったりもするのだが、それでもよだきいことには変わりなく、代わりに違うことを書いて現実逃避しようと思う.なお「よだきい」は標準語の「面倒臭い」に似ている大分弁だが微妙に違うニュアンスであり、かつて幼馴染みが「してもいいけどせれれん」と大分弁で重ねて翻訳して見せて、実にそうでもしなければこのアンニュイさは表現できないような言葉である.実に玄妙な言葉だと思う.全てが「よだきい」で済ませられる大分県の中の人・nagajis.その性格や推して知るべし、だ(そんなの無理やっちゅうねん).

 確かに面倒臭いことは世の中に溢れ返っている.バックナンバーCDだって面倒臭いことの筆頭だ.以前に放流した魚をまたすくい集めて色で染めてニシキゴイにして見せるような作業だ.だがしかし、それはそれで目的のあること、「よだきい」で済ませられるものではない.なので泣きながら作業をしている.そもそもそれは誰のためでもなくまさに自分自身のためなのだから.だから作業の愚痴は言いたくない.好き好んで苦労して、その背負った苦労の愚痴をこぼすようでは世話ないよ>nagajis.

 いろいろやりたいことはある.積んだ仕事が山になっている.少しずつでも片付けたいが、下手して最下層の仕事を処理したりしようものならがらがらがらと全てが崩れてしまいそうな予感.ちっとは考えて積んどくべきだった.当たり障りのないものから順に片付けようと思っても、全てが廃道の葛の蔦のごとくに絡み合っているため全く始末に負えない.特に隧道データベースのlib.php回りだとかpref.phpとexport_pref.phpの関係だとか.こういう時に快刀乱麻なナタが欲しくなるものの、所詮ナタでは雑草を苅るのがせいぜいだ.大木を切り倒すには斧がいるということ.かといって斧持ち歩くのはさらに犯罪者チックで嫌だ.

 自分の場合、こういう時はとにかくモノを書くに限る.かいて気分転換する.ひらがなは止したほうがいいかも知れない.とにかく今までで一番欠けていたものはスピードだ.内容を吟味するのはとりあえず置いておいて、脳が考える前に脊髄反射で書けていた頃が懐かしい.しかも漢字TALK7.5のことえりで.あの頃は良かったなあ、とかなり面倒臭い比喩を出し始めると裏nagajisが徐々に首をもたげてきた証拠だ.

 もう一つ悟ったのは、誰かに向けてかくということが非常に苦手であるということだ.ORJの文章も、サイトの文言も、どうしても「読み手」を意識してかかざるを得ない.かく相手のことを考えすぎてぎこちない物腰になったり固くなったりする訳だ.なるほどね.だからひらがなは止した方がいい.

 先日来からこの部録"を誰に向けてかくものでもないことにした.正しくwebの在り方だと思っている.ここにかかれる文章は主にnagajisに向けられていて、何かの暗喩であったり誰かを貶めようとするものだったり催促したりするような意図がないことは断っておく.ただここに何かかがかかれているか否かでnagajisのactivityなりORJの未来なりを計って頂ければそれでよいと思う.そんなことでいいのかと思いつつ.よほどひらがなが気に入ったらしい.

 つーかそれって、高齢者宅の旗みたいだな.いやいや、ここは越後の「印の竿」としておこう.昔、雪深い地方では家の軒まで雪が降り積もって家の中に閉じ込められることがしばしばだった.そんな時の慰めに、高い竿に藁で編んだ家の印をつけた「印の竿」を立てておいたという.「ここに家があるんだぞ」と道ゆく人に知らせることで(知らせる準備をしておくことで)「ああ今誰かが見ているかも知れないぞ」と思い、雪中の気を紛らわすものであったとか.ホントかどうかは柳田翁に聞いて下さい.いずれにしても何か悲しくなるような比喩だな.しかし想像する力も大事だから.


2007-11-21 作業報告 この日を編集

[web] ポチリニューアル

トップページを修正した。「かわってないじゃん!」と突っ込んでいただきたい。本当はあれやこれやをいじって抜本的に改善したいのだが、力及ばず。ゆえにポチリニューアル。

一つ大きな失敗をしていた。せっかくちぃさんが作ってくださったORJ読者の集い@mixiへのリンクを設置していなかったこと。どうも、この辺りのことにはとことん疎いnagajisだ。今回ばかりは角張った石でも受け付けまする。

[ORJ] 旧橋、江浪峠後編up

すでに原稿を上げていた旧橋と江浪峠をpdf化。旧橋は旧フォーマットを踏襲する予定だが、もう少し工夫を入れたくもある。少し寝かせておこうと思う。江浪峠は・・・全然変わらないかも(汗 そのかわり廃道の写真は沢山です。それなりに見栄えする写真もチョイス。

[ORJ] 明治隧道、廃道を読む

平行して明治隧道、廃道を読むの原稿を作成中。明治隧道は資料が揃っている滋賀県から。ただしあちこちで取り上げたことがある物件なので、目新しさはないかも知れない。アレのほかに、追加で何かが見つかればいいのだが・・・。廃道を読むは隧道の崩壊モードについて考察してみたい。というのは以前書いたっけか。ざっくりと8割ほど書いて、ツメをしなければならない状態。だが肝心の「崩壊隧道の評」がいまいち面白くなく、難儀している。師匠の足下にも及ばないぜ。フッ。

19号発行から5日を過ぎた。最初はどうなることかとドキドキしたし、案の定な失敗もいくつかしたが、それでも順調にご購入をいただいている。

これまで何度も、さまざまな方に、言い表せない感謝の念を抱いてきた。自分はその念を言葉で表現するのが不得手だ。どう書いても白々しく感じてしまい、その言葉に自分が納得いかない。古今東西、日本で使われたことのある感謝の表現をΣしてもこの思いは言い表せないのではないかと思ったりもする。そうして悩んでいるうちにも次々と購読のお申し込みを受け、感謝を捧げたい方々が増えていく。言い表せない思いばかりが募る。兼好法師の「ものいわぬははらふくるるわざなり」を地で行くnagajis。

自分にできることは、粛々と、そして誠意をもってORJを作ること。全ての人を、裏切らないために。

以上、独言。


2008-11-21 この日を編集

[廃道本] フライデーされました

画像の説明フライデーに「廃道をゆく」が紹介された。こんな所にまで廃道化が進むとは正直思ってなかったから驚きというほかない。立ち読みするのも何なので買ってきたのだが確かに載っていた(当たり前だ)。

出力のキレイさはさすがフライデー。紹介文も当方の意をしっかり組んで下さっている。写真提供者として名前が載っているのは編集Oさんの御配慮によるものでありnagajisが要求したものに非ず。ちょっと申し訳なく思ったりもする(宣伝のためなら自由に使ってくださいーとは伝えてあるのだが)。

………しかし美乳と巨乳の間というページ割はニッチもサッチもどうにもブルドッグではないだろうか。これがオセロだったらえろいことになるじゃないか。最も目を引く位置に入れていただいたと見るべきなのか、日本廃道化の野望を打ち砕く現代文明の抗いと見るべきなのかはわからない。

少なくとも立ち読みで済ませなくて良かったと思う。ニヤニヤしながら開いたページがこんなんだったら(いや実際ニヤニヤしてしまったのだが)怪しい人確定である。想像に難くない。

[企画] 鳴川山OFFについて

[詳細はこちら]でほぼ確定。23日夕方に索道麓に集合、24日に登る。24日は雨っぽいので少々覚悟がいるかも知れない>nagajis。ヒップバッグよりザックのほうがいいかもな。

nagajisは23日から現地入りしてアレコレする予定。絹路さんも自転車で合流。noaさんはバイクで、masaさん辰さんが車で合流。脈絡のない情熱を以てして500m登る。

[] 隧のよみ

それ以上に脈絡のない本部録"である。「隧」の読みについて。

以前書いたように「ずいどう」なのか「すいどう」なのか迷っていたnagajisなのだが、実業之日本社「廃道本」の巻頭グラビアの「隧」は「SUI」というルビを振ることにした。作る過程で大漢和辞典を確認した結果である。諸橋大漢和には「スイ」という読みだけが書かれている。厳密な意味での漢字の読みは「スイ」である。その証拠としてスキャンをupしようと思ったが著作権的にアレそうなのでやめておく。

だからやっぱり「ずいどう」は国訓(音便形)なのだろう。要はどっちでもいいが話す時は「ずいどう」のほうが区別しやすくて便利だ。しかし頭のなかでは「すいどうなんだけどナ」と思いつつなので少し上の空になったりする。今後nagajisに隧道の話をさせる・あるいは聞かされる時にはその事を思ってニヤニヤしながら聞いていただければと思う。

[廃道本] 著者近影

しまった、書かなきゃいけないこと忘れてた。「廃道本」の著者近影(nagajis分)は愛宕山OFFでTenkeiさんに写していただいたもの。この写真だけは(ページの性質上?)写真提供者が入れられなかったのだった。皆様よろしくご記憶くださいまし。

本日のツッコミ(全3件) [ツッコミを入れる]

_ multi [「すいどう」とフライデーされてますがな。してやったり?]

_ iso [先日、nagajisさんが「ずいどう」と発音していて「あれ?」と思いましたが、スルーしました。私は「ずいどうと言いたいんだけどナ」と思いつつ「トンネル」と言っていました。お互い仮面をかぶって用語を..]

_ nagajis [さらに受付が「トンネルのことなんだけどネー」と思いながら「すいどう」と言うことで三角関係的カオスが生まれると(やめてみ んでは行ってきます]


2009-11-21 この日を編集

[ORJ][企画] やや危機

22日の雨がうしろへずれ込んできている。ビミョー。

別件で昼から出てます。帰宅は夕方。今晩中に一度メールします>参加の皆様。こういう時だけケータイほしいぞ。

[独言] ToDo

スタックしてる分が片付かねぇ!目の前のひとつひとつを片付けるので精一杯のダメjis。

[ORJ][企画] 決行するっ

決行する方向です。参加希望された方には連絡先をお伝えしました。よろしくお願いいたします。


2010-11-21 この日を編集

[奇妙なポテンシャル] #205

こうやって先々の日付で日記を書いておくと混乱されていいかも知れない。毛の先ほども役に立たないうえ、自分があとで困るのは目に見えている。

[独言] 超怒壷

何気なく大阪に手を付けたら戻ってこれなくなった。でもなんとなく流れが掴めた気がする。繰り返し入力に強いGoogle日本語入力バンザイ。

[] 明治4年大阪府:道路規律

道路の使用マナーみたいなの。

●明治四年六月十九日達

道路規律
一 新築造の建家大塀板塀其水帳面の町幅を除き道路不相掠様取建可申事
一 普請中板囲置土は従来雨落より三尺を不可過事 但日限願済の事
一 暑中の間涼み床出し店等は町幅の広狭に応じ差許候事
一 暑中軒より軒に渡し[草冠+段][草冠+責]囲は大通は不相成小通は差免候尤地上より高さ二間半以下は不相成候事
(以下略)

出典:類聚大阪府布達全書[第8冊]第1編 第9巻

[] 大阪府明治5年:道路修理の布達

主要道8道を指定し清掃修理の法を定める。幅員を定めてそれ以上狭めないことを達しているのは明治6年の河港修築規則よりも早い例として注目したい。とか。

(非現行)というのは出典が発行された明治18年時点ですでにobsoleteになっているという意味。

(非現行)

●明治五年九月十二日第三百九号達

人間の交際営業に付車馬の往来物価の運輸悉く道路の便宜に不依はなし道路便宜の開くるに随て開化の進歩を助くるも又大なり然るに従来街道並村々往来修理の法不相立両側の田畑を耕作する者猥りに道路を削り取り或いは道幅を不除め自儘に建家を致す等種々の不法有之遂に広狭一つならず或いは凸凹を生じ往来運輸の便宜を失う事不少自今は大切に修理不致ては不相成候条此程道路の定則下按の通相定候間無怠修理を加え往来運輸の便を開候様可相心得事

東海道街道 野田村より今市村を経て河内枚方村に到る 道幅三間
山崎街道 山崎より芥川を経て西ノ宮に到る 同二間
茨木街道 長柄渡より茨木を経て山崎に到る 同二間
中国街道 北野村より十三渡を経て西ノ宮に到る 同三間
池田街道 本庄渡を経て池田より能勢丹波に至る 同二間
住吉街道 堺を経て紀州に至る 同三間
奈良街道 中道村深井村を経て河内に至る 同二間
高野街道 天王村平野を経て河内に至る 同二間

但定則より広き道幅有之共狭するに不及事

一 村々往還 道幅1間半
一 街道は近傍の村々組合を立受持役場を定無油断修理可致事
一 組合村受持場境界左の雛形通標杭可立置事(雛形略す)
一 街道並往還道幅定の通修理致すに付ては両側の田畑を吟味し通路削取りの場所は早速引直可申若し削取りの田畑を道路に引直候共引足不申付ては其段可申出事
一 道幅に懸る建家は漸々定の道幅に引直し可申以来新規建家は其処の戸長見分道幅に不懸候様屹と可相改事
一 川々並井路等街道並村々往還に懸候場所は橋梁架渡し或は修繕の節に時々可届出事
一 道路は必ず両側の田畑より高くすべし然ども自然不可高場所は両側に溝を掘り可申事
一 田畑の用水の為め道路に横裁る溝あらば土中へ埋込み可申事
一 塵芥並不潔物取払候様注意可致事

右の趣郡中無洩相達する者也

出典:類聚大阪府布達全書[第9冊]第1編 第10巻

[] 明治16年大阪府:街路取締規則

明治5年道路規律の発展形。

●明治十六年甲第六十四号達

街路取締規則左の通相定本年九月廿日より施行す
 但本文に関する従前の布達は廃止す 右布達候事

街路取締規則

第一条 街路に於て左の諸件を為さんとする者は其場の図面(第三四十一を除く)を添え所轄警察署へ出願允許を受くべし 但第五項以下所轄分署に出願するも妨げなし
一 街路橋梁修繕等の為め一時通行止めを為さんとする者
二 街灯を建設せんとする者
三 神社祭典等の節神輿及び屋台地車練物等を出さんとするもの

(以下略)

出典:類聚大阪府布達全書[第8冊]第1編 第9巻

[] 明治17年大阪府:地方税支弁・補助道路の修繕順序

地方税支弁・補助に係る道路の修繕にあたっての注意書き。

支弁道路:定期修繕(春に行なう)=府直轄
支弁道路:通常修繕(平素行なう)=郡役所が工事目論見書を作成、府知事の認可を得て施行
補助道路=対象町村が工事目論見書を作成、郡役所へ提出し郡役所に於て実施。

(現行)

●明治十七年七月三日乙第九十四号郡区役所(大坂四区を除く)へ達

明治十七年度中地方税支弁及補助に係る道路修繕の順序左の通相定□条此旨相達候事

第一条 郡部地方税支弁に係る道路の修繕を定期及通常の二種に分つ
第二条 定期修繕は春季之を施行し通常修繕は平素之を施行す
第三条 定期修繕は府庁之を直轄し通常修繕は郡役所に於て工費目論見帳を編製し府知事の認可を得て之を施行するものとす
第四条 従来危険にして至急修繕を要し一簾の工費五円未満のものは郡区役所に於て適宜施行し落成の上前条の手続きを以て工費を請求すべし
第六条 臨時予定額外の工費を要するものは目論見書相添其の実況を具状すべし
第七条 郡部地方税の補助を受くる道路の修繕は其町村より工費目論見書を郡区役所へ差出さしむるものとす
第八条 前条道路の修繕は郡区役所に於て実地に就き其緩急利害審査の後之を処分するものとす
第九条 郡区役所は工事落成の上其町村より精算書を差出さしめ実地検査の後補助金を請求すべし

出典:類聚大阪府布達全書[第8冊]第1編 第9巻

[] 明治18年大阪府:地方税支弁・補助の河川

河川と道路でまとめられることが多いはずなのだが、河川が一年遅れで出されてる。

●明治十八年六月一日甲第四十三号布達

堤防川除修繕の義郡部会の議決を経十八年度に於ては別紙河川に限り地方税を以て支弁及補助候条右修繕を要する箇所は<七月十二月>間月中所轄郡役所を経て申出べし

但洪水等の為め破損を生じ臨時修繕を要するの外は本文期月外に申出候とも一切之を受理せず且実地検査仕様帳下付前已に施工候者は何等の事情あるも工費下げ渡さざる可し 右郡部へ布達候事

(別紙略)

出典: 類聚大阪府布達全書[第11冊]第2編 下巻

[] 明治18年大阪府:地方税支弁・補助道路の修繕順序・改正

前々達の改正に相当。

地方税支弁道路の修繕=大修繕(春・冬)、小修繕(平素行なう)。工費予定額のうち2/3を大修繕に、1/3を小修繕に当てる。

大修繕は郡区役所で工事目論見、府の認可を得て実施。小修繕は郡区役所で決行。

●明治十八年六月九日乙第七十四号郡区役所(大坂四区を除く)へ達

十八年郡部地方税支弁及補助に係る道路修繕の順序左の通相定め候条実地緩急を計り施行すべし此旨相達候事

第一条 地方税支弁に係る道路の修繕は大修繕小修繕の二種に別つ
第二条 大修繕は春冬二期に施行し小修繕は平素之を施行す
 但臨時に起るものは此限にあらず
第三条 工費は予定額を三分し其二分を大修繕に一分を小修繕に充つるを目的とし郡区役所に於て工事の目論見をなし大修繕は認可を得て施行し小修繕は決行すべし
 国道第二十九号東京より和歌山県に至る路線及奈良街道の大修繕は本府の直轄とす
第四条 修繕落成の上は実地出来形を審査し請負人の計算書を添え工費を請求すべし
第五条 予定額外臨時修繕費を要するものは工費取調書を添え其の実況を具状すべし
第六条 地方補助に係る道路は各定額を目的とし其町村より工事の目論見書を郡区役所へ差出さしむるものとす
第七条 前条郡区役所に於ては実地に就き其利害を審査し施行すべし
第八条 落成の上は出来形を検査し其町村より差出したる計算書を添え補助金を請求す可し

出典: 類聚大阪府布達全書[第11冊]第2編 下巻

[] 明治24年大阪府:地方税支弁・補助道路の修築取扱手続

前達の改正というべきか、修築方法の指示というか。実際には前年に出された修築取扱手続の改正。

前達もそうだが管理責任?を郡区役所に振ってるのが目立つ。そういうものか。

○明治二十四年五月四日訓令第二十九号<郡役所市役所>

二十三年(四月)訓令第二十八号地方税支弁道路橋梁修築及補助の道路橋梁修築取扱手続左の通改正す

地方税支弁道路橋梁修築手続

第一条 地方税支弁に属する道路橋梁修築を別て架替修繕小繕の三種とす
第二条 修繕とは道路の路面全体を打返し適宜の勾配を造り砂利を以て被覆し堅硬の仕上を為すものを云い小修とは路面所々の[三水+寮]跡を埋め泥濘を除去し凸処を削り砂利を以て被覆するものを云う
橋梁修繕は一橋工費十円以上を要するものを修繕とし十円未満のものを小繕とす
第三条 道路橋梁の修繕及び小繕費は別に訓令する処の定額金を目処とし往来の繁閑起工の緩急を計り設計施行し修繕に限り請負決定の後第一号及第二号書式に拠り当庁に報告すべし但道路橋梁修繕一ヶ所工費百円以上のものにして認可を得て施行するものは報告に及ばず
第四条 甲乙路線及毎橋の金額を流用し及橋梁小繕費を以て十円以上の修繕を為すことを得ず但止を得ざるものに限り特に流用を許可することあるべし
第五条 天災地変其他の事故に依り定額外の費用を要するときは其の実況を詳悉具状し第三号第四号書式に準じ特に工事の設計を為し之に図面を添え認可を請うべし
第六条 金額二十円以上の諸工事及工事用物品は全て公入札に附す可し 但入札方法は別に之を定む
第七条 道路小繕に要する川砂利及土は毎街道々敷地外便宜各所に蓄積して使用に便ならしむべし 但其場所へは標木を建設し置く可し
川砂利に乏しく其の運搬に不便なる[箇?]所に於ては破[石+卒]石<径五分以上一寸以下>を以て代用することを得
第八条 各街道の状況に拠り一街道若くは数街道に管守人を置き一ヶ月六回以上巡回小繕を為さしむ可し 但巡回中は必ず器具を携帯せしむ可し其器具は本人の自弁とす
管守人は可成其沿道町村に住居し着実勤勉にして工事の仕法に通じたるものを撰む可し
管守人の賃金は一日十六銭以下とし修繕費予算定額内を以て支弁す可し
管守人の監督及管守人に於て小繕いに使用する土石人夫出役等の取締方法は適宜之を定む可し
前項の方法並に管守人の住所姓名及受持区域は予め之を当庁に報告す可し
第九条 工事の状況に依り吏員に常詰を命じ又は巡回せしめ厳重監督を為し若し設計書図面等に違い又は不完全の[産−生+兼]あるときは即時手直を命ずべし
第十条 工事落成したるときは設計書に照して詳密検査を為し不都合なきときは検査証を下付す可し
第十一条 工費は第五号第六号第七号書式に準じ工事落成の後府庁に請求すべし 但道路小繕費は毎一ヶ月分取纏め翌月十五日限り請求すべし
第十二条 道路大修繕及橋梁架替修繕工費二百円以上のもの並市街接近道路の内(市部)立会に係る[箇?]所の修繕は当庁に於て之を施行すべし
第十三条 毎年度予算に定めたる工事落成期限は毎年三月三十一日迄とす 但非常事変若くは正当の事故あるものは翌月十五日迄延期を為すことあるべし此場合に於ては其事由を具し認可を請う可し

地方税補助道路橋梁修築手続

第一条 道路橋梁修築補助費は別に訓令する所の定額を目処とし郡長に於て町村長より第三号第四号書式に準じ設計出願せしめ代価の当否其他詳査を遂げ之れを許可すべし
 但補助費を請はざるものは出願を要せず
第二条 堺市に属する道路橋梁修築補助費は毎年度訓令する処の予定額を目処とし第三号第四号書式に準じ市長之れを設計し出願認可を受くべし
 但落成の上当庁に届出すべし
第三条 工事落成したるときは之れを届出しめ詳密検査を為すべきは勿論工事中其状況に依り時々吏員をして巡回検査せしめ設計に違う所ありと認むるときは之を更改せしむべし
第四条 補助費は第<八九>号書式に明細書二通を添え成功の分毎一ヶ月□取め翌月十五日限り請求す可し
第五条 道路橋梁補助費は予算定額外は之れを補助すべからざるを以て町村に於て其定額に超過せざる様設計を為さしむべし
第六条 地方税補助の許可以前に施工せしものは何等の事情ありと雖も該補助費は下付することを得ず
第七条 工事落成期限は毎年三月三十一日迄とす 但非常事変若くは正当の事由ありと認むるものは翌月十五日までの期限を与うることあるべし
此場合に於ては其事由を具し認可を請うべし若此期に至るも尚落成せざるものは其補助を取消該補助費は一切下渡すことを得ず

(書式略)

出典: 大阪府地理土木法規(明治25年)

[] 明治24年大阪府:地方税支弁・補助道路一覧

この中では国道以外の道は特に明示されてない。三重県の一等道路・二等道路の制度と同じで、県道か里道かが問題なのではなく、それにどんだけ補助が出るかが問題だからか。道の所有は国だからなー。県道指定が曖昧なままになってしまったので、かわりに新しい区分をもってきたともいえるか。

明治24年統計書で仮定県道とされているものを赤字とした。この告示の前後で県道が頻繁に入れ替わっている(後述)。

○明治二十四年三月二十八日告示第四十五号

地方税支弁及補助すべき道路(橋梁とも)堤防川除等府会郡部会の決議を経て左の通之を定む
 但本年四月一日より施行す

 道路

国道<第二号東京より大阪港に達す路線>
交野郡樟葉村大字楠葉管轄界より東区高尾橋元標迄
国道<第三号東京より神戸港に達す路線>
島上郡島本村大字山崎管轄界より豊島郡北豊島村大字今在家管轄界迄
国道<第二十六号大阪府と広島師団を拘連する路線>
東区高尾橋元標より西所郡歌島村大字加島村大字加島管轄界迄
国道<第二十九号東京より和歌山県に達す路線>
東区高麗橋二丁目国道第二十六号路線より日根郡東鳥取村大字山中管轄界迄
奈良街道
東成郡天王寺村大字天王寺国道第二十九号路線より安宿郡国分村大字国分管轄界迄
能勢街道
西成郡中津村大字下三番国道第二十六号路線より能勢郡歌垣村大字吉野管轄界迄
高槻街道
東区京橋三丁目国道第二号路線より島上郡盤手村大字安満国道第三号路線迄
西高野街道
堺市龍神町堺海港路線より錦部郡天見村大字西天見管轄界迄
竹ノ内街道
堺市大小路町国道第二十九号路線より石川郡山田村大字山田管轄界迄
八尾街道
渋川郡加美村大字正覚寺奈良街道より志紀郡志紀村大字老原奈良街道迄
国分街道
堺市戎町国道第二十九号路線より安宿郡国分村大字国分奈良街道迄
東高野街道
交野郡招提村大字招提管轄界より錦部郡長野村大字長野西高野街道迄
堺海港路線
堺市大小路町国道第二十九号路線より大浜通四丁目海港迄
暗越奈良街道
東区高麗橋元標より河内郡枚岡村大字豊浦管轄界迄
楳田街道
北区樋ノ上町国道第二十六号路線より西成郡千船村大字佃管轄界迄迄
古堤街道
北区相生町国道第二号路線より讃良郡田原村大字上田原管轄界迄
丹州街道
能勢郡西郷村大字下田管轄界より同郡枳根荘村大字天王管轄界迄
道祖本街道
島上郡茨木村大字茨木高槻街道より同郡豊川村大字道祖本国道第三号路線迄
平野街道
住吉郡平野郷町より同郡安立町国道第二十九号路線迄
小栗街道
堺市市ノ町東一丁竹ノ内街道より日根郡北中通村大字下瓦屋国道第二十九号路線迄
余野街道
島下郡三宅村大字宇ノ辺高槻街道より能勢郡東能勢村大字余野管轄界迄
清坂街道
島下郡清渓村大字千提寺余野街道より同郡見山村清坂管轄界迄
長尾街道
安宿部郡国分村大字国分奈良街道より同村管轄界迄
古市街道
住吉郡平野郷町奈良街道より古市郡古市村大字誉田東高野街道迄
伊丹街道
豊島郡池田町大字池田能勢街道より同町管轄界迄
安治川海港路線
東区平野町二丁目国道第二十九号路線より西成郡川南村大字天保町迄
木津川海港路線
東区平野町三丁目安治川海港路線より西成郡難波村大字材木置場迄
前島街道
島上郡高槻村大字高槻高槻街道より同郡五領村大字前島迄
麻田街道
豊島郡豊中村大字新免能勢街道より同郡北豊島村大字石橋能勢街道迄
尼ケ崎街道
西成郡九条村大字九条より同郡千船村大字佃楳田街道迄
高槻街道支線
西成郡新庄村大字上新庄高槻街道より島上郡高槻村大字高槻高槻街道迄
孝子越街道
日根郡北中通村大字鶴原国道第二十九号路線より同郡孝子村大字孝子越管轄界迄
槙尾街道
大島郡鳳村大字長承寺小栗街道より錦部郡長野村大字長野西高野街道迄
山田街道
西成郡上福島村より同郡中津村大字小島能勢街道迄
八幡街道
島上郡島本村大字山崎より同郡淀川渡船迄
天神街道
島上郡高槻村大字上田部より同村国道第三号路線迄
岩船街道
茨田郡枚方町大字岡国道第二号路線迄
牛瀧街道
泉郡山滝村大字大沢より南郡岸和田町国道第二十九号路線迄
千早街道
八上郡金岡村大字野遠竹ノ内街道より錦部郡川上村大字石見川管轄界迄
亀岡街道
豊島郡細河村大字木部能勢街道より能勢郡東能勢村大字余野余野街道迄
阿部野街道
東成郡天王寺村大字阿部野より住吉郡遠里小野迄
龍華街道
若江郡八尾村大字大信寺新田八尾街道より渋川郡龍華村八尾停車場迄
市街接近街道
西成郡曽根崎村桜橋筋市郡界より楳田停車場構内境界迄
同郡同村禄橋筋市郡界より楳田停車場構内境界迄
字東寺町通西成郡川崎村北区<松ケ枝町紅楳町>立会治を経て東市郡界迄
北区天神橋筋<三四>丁目市郡界より東へ同心町との立会地
北区<富田町家町木幡町>西成郡北野村立会地元能場
西成郡<北野村曽根崎村>北区<老松町曽根崎新地裏町>立会地
南区難波新地六番町と西成郡難波村との立会地
常盤橋筋西区楳本町と西成郡九条村との立会地
北区老松町と西成郡<川崎村北野村>との立会地元相撲場
南区日本橋通裏町と西成郡難波村との立会地
南区<難波新地五番丁西阪町>と<西成郡難波村東成郡西高津村>との立会地
東成郡西高津村天王寺村立会字中寺町筋高津表門筋より折曲生国魂神社表門東へ谷町筋迄
東成郡清堀村南区瓦屋町筋東へ田島町より吉右衛門肝煎地天神迄
西成郡難波村字千日前北市郡界より南行当榎木神社迄
西成郡難波村叶橋西詰より以西下道に出る迄
同郡同村鼬川筋木津村と取合橋迄
同郡木津村鼬川鴎橋南詰より南町に至る堤迄
同郡同村南町に至る分道より住吉中道筋に出る木津村人家限
同郡難波村西川町西開橋南詰より材木置場渡船場迄
同郡北野村蜆橋筋行当西へ露天神社前東<北区木幡町西成郡川崎村>界迄
西成郡<上下>福島村東出入橋より西は北区安治川上通界迄
同郡九条村木津川西側市郡界より岩崎新田埋葬地前迄
同郡同村尻無川西側常盤橋西詰より花園橋西詰迄
同郡同村常盤橋筋市郡界より北区南安治川取合迄
同郡難波村字関屋口筋西戎橋筋市郡界より東日本橋通裏町迄
同郡北野村露天神社表門前西折曲同村鉄道踏切迄
同郡三軒家村北岩崎新田埋葬地分道より南三軒家紡績会社手前迄
同郡木津村今宮村界より住吉中道筋及今宮村戎神社辻南国道第二十九号路線
同神社東国道第二十九号路線迄
同郡難波村新川筋東側北市郡界より折曲御蔵前鉄道踏切迄
同郡上福島村浄正橋北詰西北へ折曲同郡鷺洲村大字浦江毘沙門天前迄
同郡難波村叶橋筋市郡界より東へ字千日前通迄
同郡曽根崎村字長池筋露天神前通南は老松町通折曲西へ露天神筋に出て同筋新地裏町北ノ筋を経て新地裏町迄 東成郡玉造村内安堂寺町通一丁目行当北へ市郡界迄
東成郡西高津村天王寺村下寺町通北市郡界より南天王寺村奈良街道迄
同郡玉造村西東区内久宝寺町通市郡界より東折曲内安堂寺町筋暗越奈良街道迄
同郡西高津村東平野町高津神社表門通西市郡界より東上本町筋迄
同郡東平野町天王寺村上本町筋北市郡界より南天王寺南門前迄
同郡東平野町天王寺村谷町筋北は市郡界より南天王寺村埋葬地分道迄
同郡東平野町大字南平野町天王寺村立会東上本町筋より西折曲天王寺村天王寺西門前迄
同郡天王寺村清水坂筋天王寺西門通より西遊行寺下寺町通迄
同郡天王寺村天王寺西門前西へ奈良街道迄及西門通北ノ筋谷町筋迄
同郡東平野町大字南北平野町及生国魂神社表門筋上本町通迄
同郡清堀村空濠筋西市郡界より東同郡玉造村大字西玉造暗越奈良街道迄
同郡野田村大長寺前市郡界より同村字桜ノ宮鳥居前迄
西成郡上福島村汐津橋北詰より東へ上天神社西ノ辻迄
西成郡下福島村耕作橋東詰北へ行当折曲西へ船津橋北詰迄
同郡川崎村字与力町東市郡界より西市郡界迄
同郡木津村大黒神社前木津川海港路線より北鼬川に沿い西鴎橋迄
同郡難波村鴎橋北詰東へ鼬川に沿い遊連橋東詰迄

 以上地方税支弁

北八尾街道
若江郡八尾村大字八尾座より東成郡南新開荘村大字今里迄
玉造街道
住吉郡平野郷町大字平野市町より東成郡玉造村大字西玉造迄
冠街道
島上郡高槻村大字高槻より茨田郡枚方町大字三矢迄
馬街道
島下郡茨木村大字茨木より島上郡三ヶ牧村大字三島江国道第二号路線迄
枝切街道
島下郡茨木村大字茨木より同郡鳥飼村大字鳥飼下を経て国道第二号路線迄
清滝街道
茨田郡守口町大字守口国道第二号路線より讃良郡田原村大字下田原迄
十三街道
渋川郡布施村大字永和より高安郡高安村大字神立迄
枚方街道
若江郡八尾村大字八尾町より茨田郡枚方町大字泥町国道第二号路線迄
東上神谷街道
堺市少林寺町国道第二十九号路線より大鳥郡南上神村大字富蔵迄
大沢街道
錦部郡長野村大字長野東高野街道より同郡川上村大字石見川迄
岸和田街道
泉郡国府村大字和気より南郡沼野村大字沼迄
加田街道
日根郡深日村大字深日より同郡多奈川村大字小島迄
福田街道
大鳥郡東陶器村大字福田より泉郡信太村大字上代同郡取石村大字富木立会小栗街道迄
水間街道
南郡貝塚町大字中ノ町国道第二十九号路線より同郡葛城村大字蕎原葛城街道迄
粉川街道
日根郡北近義村大字脇浜国道第二十九号路線より同郡大土村大字大木迄
廿山街道
丹南郡大草村大字関屋新田西高野街道より石川郡東条村大字佐備佐備街道迄
箕面街道
豊島郡中豊島村大字長興寺能勢街道より同郡箕面村大字平尾迄
瀬川街道
同郡北豊島村大字井口堂能勢街道より同郡箕面村大字瀬川国道第三号路線迄
能勢街道支線
能勢郡歌垣村大字吉野より同郡田尻村大字下田尻迄
田辺街道
交野郡牧野村大字禁野岩船街道より同郡氷室村大字尊延寺迄
小野原街道
島下郡味舌村大字味舌上より同郡豊川村大字小野原迄
十日市街道
島下郡茨木村大字茨木より同郡安威村大字十日市妙見街道迄
和気街道
南郡山直上村大字包近牛瀧街道より泉郡国府村大字和気小栗街道迄
葛城街道
同郡岸和田町大字魚屋町国道第二十九号路線より南郡西葛城村大字蕎原迄
山根街道
交野郡交野村大字私部東高野街道より同郡菅原大字長尾迄
雄山街道
日根郡尾崎村より同郡東鳥取村大字山中国道第二十九号路線迄
住吉街道
住吉郡住ノ江村大字長狭町より同郡依羅村大字寺岡迄
下高野街道
住吉郡平野郷町大字野堂町より丹南郡三都村大字茱萸木西高野街道迄
粉川街道支線
日根郡大土村大字土丸粉川街道より同郡佐野村大字佐野孝子越街道迄
佐太街道
茨田郡庭窪村大字佐太より同郡諸堤村大字諸口迄
丹波街道
島上郡五領村大字萩荘より島下郡見山村大字清坂迄
誉田街道
古市郡古市村大字誉田より志紀郡志紀村大字老原迄
茨木街道
島下郡三島村大字戸伏より茨田郡枚方町大字枚方迄
穴虫街道
古市郡駒ヶ谷村大字飛鳥竹ノ内街道より石川郡磯中村大字春日迄
徳庵街道
若江郡北江村大字鴻池新田より河内郡大戸村大字芝迄
根来街道
日根郡樽井村大字樽井より同郡東信達村大字葛畑迄
天野街道
大鳥郡東陶器村大字岩室西高野街道より錦部郡天野村大字天野山迄
父鬼街道
泉郡北池田村大字納花槙尾街道より同郡南横山村大字父鬼迄
孝子越街道支線
日根郡淡輪大字淡輪村孝子越街道より同村迄
天王寺街道
住吉郡田辺村大字南田辺中高野街道より東成郡天王寺村大字天王寺奈良街道迄
垂水街道
豊島郡中豊島村大字長興寺より島下郡吹田村大字吹田高槻街道迄
真上街道
島上郡高槻村大字高槻冠街道より同郡清水村大字真上丹波街道迄
稗島街道
北区安治川上通二丁目市郡界より西成郡千船村大字佃尼ケ崎街道迄
立石越街道
若江郡八尾村大字東郷八尾街道より高安郡高安村大字万願寺を経て国界迄
佐備街道
石川郡大伴村大字山中田千早街道より錦部郡川上村大字寺元大沢街道迄
大津街道
泉郡大津村大字大津国道第二十九号路線より同郡南池田村大字大和田槙尾街道迄
和歌山街道
南郡岸和田町大字南町国道第二十九号路線より同郡麻生郷村大字半田小栗街道迄
井関越街道
日根郡尾崎村大字尾崎孝子越街道より同郡東鳥取村大字桑畑迄

以上二分の一地方税補助

大ヶ塚街道
石川郡大伴村大字南大伴より丹北郡松原村大字阿保迄
伊丹街道支線
豊島郡池田村大字池田より同郡北豊島村大字神田迄
横関街道
西成郡北中島村大字十八条より同郡川崎村大字川崎迄
乙辻街道
島下郡三宅村大字乙辻より同郡味生村大字別府迄
西上神谷街道
大鳥郡中上神村大字片蔵より同郡鶴田村大字草部迄
明月峠街道
能勢郡田尻村大字下田尻より同郡枳根荘村大字森上迄
水越街道
石川郡赤坂村大字森屋より同郡河内村大字上河内迄
守口街道
茨田郡守口町大字守口より同郡古宮村大字浜迄
和泉街道
石川郡磯長村大字春日より丹南郡大草村大字草尾新田迄
善根寺街道
河内郡日根市村大字善根寺
交野街道
交野郡交野村大字私部より茨田郡門真村大字門真迄
俊徳街道
東成郡小路村大字腹見北八尾街道より渋川郡布施村大字菱屋西十三街道迄
三田街道
能勢郡枳根荘村大字山田より同郡歌垣村大字山内能勢街道支線迄
箕面街道支線
豊島郡池田町大字池田能勢街道より同郡萱野村大字東防島国道第三号路線迄
丹州街道支線
能勢郡枳根荘村大字山辺丹州街道より同村にて三田街道迄
勝尾寺街道
豊島郡豊中村大字新免能勢街道より同郡萱野村大字今宮国道第三号路線迄
富田街道
島上郡阿武野村大字氷室国道第三号路線より同郡如是村大字芝生高槻街道支線迄
妙見街道
島上郡芥川村大字芥川国道第三号路線より同郡石川村大字大岩余野街道迄
西河原街道
島下郡三島村大字五日市十日市街道より同郡福井村大字福井余野街道迄
味舌街道
同郡山田村大字山田下小野原街道より島下郡味舌村大字味舌乙辻街道迄
山家街道
島下郡三島村大字大田国道第三号路線より島上郡富田村大字富田富田街道迄
三宅街道
島下郡三宅村大字乙辻高槻街道より同郡宮島村大字宮枝切街道迄
勝間街道
西成郡木津村大字木津より同郡粉浜村大字粉浜国道第二十九号路線迄
本庄街道
西成郡北野村大字小野国道第二十六号路線より同郡西中島村大字南方横関街道迄
浦江街道
西成郡下福島村耕作橋より同郡鷺洲村大字浦江楳田街道迄
津守街道
西成郡難波村大字西側町より同郡勝間村国道第二十九号路線迄
豊里街道
同郡豊里村大字菅原高槻街道より同郡大道村大字大道高槻街道支線迄
蒲田街道
西成郡西中島村大字薬師堂高槻街道より同郡北中島村大字蒲田能勢街道迄
九条街道
西成郡九条村大字九条より同郡川南村大字福崎迄
岩船街道支線
交野郡磐船村大字私市岩船街道より同郡水本村大字寝屋交野街道迄
藤坂街道
交野郡牧野村大字坂淀川渡船場より同郡氷室村大字杉山根街道迄
信貴街道
志紀郡柏原村大字柏原より大県郡堅下村東高野街道迄
小坂街道
若江郡八尾村大字西郷枚方街道より同郡意岐部村大字御厨暗越奈良街道迄
平石街道
石川郡大伴村大字南大伴千早街道より同郡白木村大字平石迄
金剛山街道
古市郡西浦村大字広瀬東高野街道より石川郡赤坂村大字水分迄
岩湧街道
錦部郡三日市村大字上田西高野街道より同郡加賀田村大字加賀田迄
東天野街道
丹南郡狭山村大字池尻廿山街道より錦部郡天野村大字山田長野街道迄
滝畑街道
錦部郡市新野村大字向野東高野街道より同郡高向村大字滝畑迄
三日市街道
錦部郡三日市村大字三日市西高野街道より同郡川上村大字寺元大沢街道迄
玉手街道
安宿郡玉手村大字玉手国分街道より同郡同村玉手山山門迄
道明寺街道
丹南郡平尾村大字平尾千早街道より志紀郡道明寺村大字道明寺東高野街道迄
木本街道
志紀郡大田村大字大田太田街道より同郡三木本村大字北木本奈良街道迄
太田街道
志紀郡柏原村大字柏原奈良街道より同郡太田村大字太田古市街道迄
五軒家街道
錦部郡廿山村大字廿山千早街道より丹南郡狭山村大字池尻廿山街道迄
倉治街道
交野郡川越村大字村の岩船街道より同郡交野村大字倉治山根街道迄
花田街道
八上郡北八下村大字中竹ノ内街道より同郡同村大字南花田国分街道迄
石原街道
丹南郡黒山村大字黒山千早街道より八上郡金岡村大字長曽根国分街道迄
野尻街道
八上郡八下村大字野尻西高野街道より同郡北八下村大字南花田国分街道迄
島泉街道
丹南郡大草村大字関茶屋西高野街道より同郡高鷲村大字南島泉国分街道迄
野中街道
丹南郡埴生村大字野々上竹ノ内街道より同郡野中村大字野中古市街道迄
葉室街道
石川郡石川村大字大ヶ塚大ヶ塚街道より同郡山田村大字山田竹ノ内街道迄
紀州街道
泉郡東横山村善正槙尾街道より錦部郡高向村大字滝畑滝畑街道迄
蔵上街道
南郡北掃守村大字磯上国道第二十九号路線より同郡山直下村大字新在家牛瀧街道迄
百済街道
大鳥郡西百舌鳥村大字百済東上神谷街道より同郡久世村大字東山福田街道迄
内畑街道
泉郡山滝村大字内畑牛瀧街道より同郡東横山村大字父鬼父鬼街道迄
納花街道
南郡山直下村大字新在家牛瀧街道より泉郡南池田村大字納花槙尾街道迄
松尾街道
泉郡郷荘村大字大福和気街道より同郡南松尾村大字久井まで内畑街道迄
東上神谷街道支線
大鳥郡久世村大字和田東上神谷街道より同郡中上神村大字豊田西上神谷街道迄
信達街道
日根郡西鳥取村大字波有手孝子越街道より同郡信達村大字市場国道第二十九号路線迄
大井関街道
日根郡田尻村大字嘉祥寺小栗街道より同郡日根野村大字日根野粉川街道支線迄
牛瀧街道支線
日根郡北中通村大字中庄孝子越街道より南郡東葛城村大字神於牛瀧街道迄
赤坂街道
石川郡石川村大字大ヶ塚より同郡赤坂村大字川野辺迄
山本街道
河内郡英田村大字吉田暗越奈良街道より若江郡八尾村大字萱振枚方街道迄
堀溝街道
讃良郡四条村大字深野北より交野郡水本村大字燈油迄
美木田街道
大鳥郡神石村大字[足+居]尾より泉郡東横山村大字福瀬迄
高山街道
豊島郡箕面村大字平尾より能勢郡東能勢村大字川尻迄
中高野街道
東成郡天王寺村より丹南郡野田村迄
招提街道
交野郡山田村より同郡樟葉村大字楠葉迄
八尾街道支線
渋川郡龍華村八尾停車場より同郡同村大字植松奈良街道迄
喜連街道
住吉郡喜連村大字喜連古市街道より同郡南百済村迄
春木街道
南郡北掃守村大字春木国道第二十九号路線より同郡八木村大字池尻牛瀧街道迄
北信貴街道
若江郡八尾村大字庄ノ内八尾街道より高安郡南高安村大字教興寺迄
父鬼街道支線
南郡岸和田町国道第二十九号路線より泉郡山滝村大字内畑内畑街道迄
葛城街道支線
南郡貝塚町水間街道より同郡土生郷村大字神須屋葛城街道迄 [禾+巨]谷街道
南郡木島村大字水間水間街道より同郡西葛城村大字[禾+巨]谷迄
横山街道
泉郡西横山村大字下ノ宮より同郡東横山村大字槙野尾山迄
柳谷街道
島上郡島本村大字山崎八幡街道より同郡同村大字夫代を経て国界迄
中春日街道
島下郡茨木村大字上中条道祖本街道より同郡春日村大字中穂積余野街道迄
下春日街道
島下郡茨木村大字下中条高槻街道より同郡春日村大字中穂積余野街道迄
上春日街道
島下郡茨木村大字茨木十日市街道より同郡春日村大字倍賀道祖本街道
恩智街道
渋川郡龍華村大字植松八尾停車場より高安郡南高安村大字恩智迄

以上三分一補助

(以下略)

出典: 大阪府地理土木法規(明治25年)

[] 明治14〜26年大阪府:統計書

明治14 http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807135/7

街道。

明治17年 http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807138/181

街道。この頃まだ奈良県含む。

京街道
 自 高麗橋元標
 至 河城国界小金川
中国街道
和歌山街道
 自 高麗橋元標
 至 泉紀国界境川
西国街道
 自 摂城国界山崎
 至 豊島川辺郡界今在家村
伊勢街道
 自 紀和国界畠田村
 至 和勢国界杉谷村
奈良街道
 自 高麗橋元標
 至 奈良
大和街道
 自 高麗橋元標
 至 奈良
古堤街道
尼ケ崎街道
 梅田を経過するもの
 伝法を経過するもの
平野街道
丹波街道
 池田を経て篠山に至る者
 余野を経て亀岡に至る者
 清阪を経て亀岡に至る者
 吉野を経て亀岡に至る者
<自池田村至同村呉服橋>街道
高槻街道
 茨木を経て安満村に至るもの
 淀川堤防を経過するもの
<自前島至高槻>街道
麻田街道
安治川海口街道
木津川海口街道
<自茨木至道祖本>街道
<自難波新地至和歌山街道>街道
竹ノ内街道
 自 堺
 至 下淵駅
竹ノ内街道支道
 自 長尾駅
 至 高田駅
奈良街道
加茂街道
上街道
 自 奈良
 至 和伊国界
中街道
 自 奈良
 至 三在村
新街道
 自 王寺村
 至 三輪駅
国分街道
小栗街道
堺海口街道
東高野街道
西高野街道
 自 堺
 至 河紀国界紀見峠
八尾街道
 自 鞍作村
 至 龍田駅

(明治21〜)明治23年 http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807141/183

明治21年度より県道(仮定でない!)が明示される。18〜20年の統計書は欠。この頃路線認定があったものとおもえる。明治23年の23県道は24年の仮定県道に同じ。

国道第二号東京より大阪港に達する路線
 自 城河国界小金川
 至 高麗橋元標
国道第三号東京より神戸港に達する路線
 自 城摂国界山崎
 至 豊島川辺郡界
国道第二十六号大阪府と広島鎮台を拘連する路線
国道第二十九号東京より和歌山県に達する路線
 自 高麗橋元標
 至 泉紀国界境川
県道第一号奈良街道
 自 <天王寺村今宮村>立会地
 至 摂和国界国分村
同第二号能勢街道
同第三号高槻街道
同第四号西高野街道
 自 堺市
 至 河紀国界紀伊見峠
同第五号竹ノ内街道
 自 堺市
 至 摂和国界山田村
同第六号八尾街道
 自 正覚寺村
 至 老原村
同第七号国分街道
同第八号高野街道
同第九号<自堺大小路至堺港>街道
同第十号闇越奈良街道
 自 高麗橋元標
 至 摂和国界豊浦村
同第十一号梅田街道
同第十二号古堤街道
同第十三号余野街道
同第十四号清阪街道
同第十五号丹州街道
同第十六号伊丹街道
同第十七号<自茨木村至道祖本村>街道
同第十八号平野街道
同第十九号小栗街道
同第二十号長尾街道
同第二十一号古市街道
同第二十二号安治川海口街道
同第二十三号木津川海口街道

明治24年 http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807142/198

「−」は翌年度消滅するもの。

国道第二号
 自 交野郡樟葉村大字楠葉管轄界
 至 大阪市東区高麗橋元標
国道第三号
 自 島上郡島本村大字山崎管轄界
 至 豊島郡北豊島村大字今在家管轄界
国道第二十六号
国道第二十九号
 自 大阪市東区高麗橋元標
 至 日根郡東鳥取村大字山中管轄界
仮定県道奈良街道
 自 東成郡天王寺村大字天王寺国道第二十九号路線
 至 安宿郡国分村管轄界
仮定県道能勢街道
 自 西成郡中津村大字下三番国道第二十六号路線
 至 能勢郡歌垣村大字吉野管轄界
仮定県道高槻街道
 自 大阪市東区京橋三丁目国道第二号路線
 至 島上郡盤手村大字安浦国道第三号路線
仮定県道西高野街道
 自 堺市栄橋通一丁目堺海港路線
 至 錦部郡天見村大字天見管轄界
仮定県道竹ノ内街道
 自 堺市大小路通国道第二十九号路線
 至 石川郡山田村大字山田管轄界
仮定県道八尾街道
 自 渋川郡加美村大字正覚寺奈良街道
 至 志紀郡志紀村大字老原奈良街道
−仮定県道国分街道
 自 堺市戎町国道第二十九号路線
 至 安宿部郡国分村奈良街道
仮定県道東高野街道
 自 交野郡招提村管轄界
 至 錦部郡長野村大字長野西高野街道
仮定県道堺海港路線
 自 堺市大小路通国道第二十九号路線
 至 同市大浜四丁目海港
仮定県道暗越奈良街道
 自 大阪市東区高麗橋元標
 至 河内郡枚岡村大字豊浦管轄界
仮定県道梅田街道
 自 大阪市北区樋上町国道第二十六号路線
 至 西成郡千船村大字佃管轄界
仮定県道古堤街道
 自 東成郡鯰江村大字新喜多市郡界
 至 讃良郡田原村大字上田原管轄界
仮定県道丹州街道
 自 能勢郡西郷村大字下田管轄界
 至 同郡枳根荘村大字天王管轄界
−仮定県道道祖本街道
 自 島下郡茨木村大字茨木高槻街道
 至 同郡豊川村大字道祖本国道第三号路線
−仮定県道平野街道
 自 住吉郡平野郷町
 至 同郡安立町国道第二十九号路線
小栗街道
 自 堺市市ノ町東一丁目竹ノ内街道
 至 日根郡北中島村大字下瓦屋国道第二十九号路線
−仮定県道余野街道
 自 島下郡三宅村大字宇ノ辺高槻街道
 至 能勢郡東能勢村大字余野管轄界
−仮定県道清阪街道
 自 島下郡清渓村大字千提寺余野街道
 至 同郡見山村大字清阪管轄界
仮定県道長尾街道
 自 安宿部郡国分村奈良街道
 至 同郡同村管轄界
仮定県道古市街道
 自 住吉郡平野郷町奈良街道
 至 古市郡古市村大字誉田東高野街道
−仮定県道伊丹街道
 自 豊島郡池田町能勢街道
 至 同郡同町管轄界
仮定県道安治川海港路線
 自 大阪市東区平野町二丁目国道第二十九号路線
 至 西成郡天保町
仮定県道木津川海港路線
 自 大阪市東区平野町二丁目安治川海港線
 至 西成郡難波村大字材木置場

明治25年 http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807143/203

「+」は新たに県道指定されたもの。「−」は翌年度消滅するもの。よって「+−」はこの年だけ仮定県道にリストアップされていることになる。一つ二つならわかるんだが・・・こんなにあるとはどういう了見だ。しかも24年支弁道路表のなかで三分の一補助のものが仮定県道になってたり。

国道第二号
国道第三号
国道第二十六号
国道第二十九号
仮定県道奈良街道
仮定県道能勢街道
仮定県道西高野街道
仮定県道竹ノ内街道
仮定県道東高野街道
仮定県道暗越奈良街道
仮定県道梅田街道
仮定県道丹州街道
+仮定県道亀岡街道
 起 大阪市東区京橋三丁目国道第二号路線
 終 能勢郡東能勢村大字余野管轄界
+仮定県道篠山街道
 起 豊島郡池田町大字池田能勢街道
 終 同郡同町管轄界
+仮定県道尼ケ崎街道
 起 西成郡川北村大字西九条
 終 同郡千船村大字佃梅田街道
+仮定県道岩船街道
 起 茨田郡枚方町大字岡国道第二号路線
 終 交野郡磐船村大字私市管轄界
古堤街道
+−仮定県道粉川街道
 起 日根郡北近義村大字脇浜国道第二十九号路線
 終 同郡大土村大字大木管轄界
+−仮定県道父鬼街道
 起 堺市戎町国道第二十九号路線
 終 安宿部郡国分村管轄界
+−仮定県道長尾街道
 起 堺市戎町国道第二十九号路線
 終 安宿部郡国分村管轄界
−仮定県道高槻街道
−仮定県道八尾街道
+−仮定県道茨木街道
 起 島下郡豊川村大字道祖本国道第三号路線
 終 島上郡大冠村大字大塚渡船場
−仮定県道小栗街道
−仮定県道古市街道
+−仮定県道富田林街道
 起 八上郡金岡村大字長曽根竹ノ内街道
 終 石川村富田林村大字富田林東高野街道
+−仮定県道阿部野街道
 起 東成郡平野町大字北平野字谷町筋
 終 住吉郡墨江村大字遠里小野八尾街道
+−仮定県道孝子越街道
 起 日根郡北中通村大字鶴原国道第二十九号路線
 終 同郡孝子村管轄界
+−仮定県道麻田街道
 起 豊島郡豊中村大字新免能勢街道
 終 同郡北豊島村大字石橋能勢街道
仮定県道堺海港路線
仮定県道安治川海港路線
仮定県道木津川海港路線
+仮定県道前島街道
 起 島上郡高槻村大字上田部国道第三号路線
 終 交野郡交野村大字阪国道第二号路線
+仮定県道龍華街道
 起 若江郡八尾村大字大信寺
 終 渋川郡龍華村大字植松八尾停車場
+仮定県道梅田停車場に達する路線
 起 西成郡曽根崎村桜橋市郡界
 終 同郡同村緑橋筋市郡界
+仮定県道枚方街道
 起 島下郡芥川村大字芥川国道第三号路線
 終 若江郡八尾村大字八尾町八尾街道
+仮定県道恩智街道
 起 渋川郡龍華村大字植松八尾停車場
 終 高安郡南高安村大字恩智東高野街道
+仮定県道中春日街道
 起 島下郡茨木村大字上中条茨木停車場
 終 同郡春日村大字中穂積亀岡街道
+−仮定県道府庁と西成池田郡役所と拘連する路線
 起 西成郡下福島村船津橋北詰
 終 同郡中津村大字小島能勢街道
+−仮定県道府庁より監獄署に達する路線
 起 西成郡上福島村浄正橋北詰
 終 同郡川崎村堀川監獄署
+−府庁より農学校に達する路線
 起 西成郡西高津村高津表門筋市郡界
 終 東成郡鶴橋村大字木野農学校

明治26年 http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807144/198

とりあえずここまで。明治27年にどうなるかは未確認。追加は山田街道のみ。

国道第二号東京より大阪港に達する路線
国道第三号東京より神戸港に達する路線
国道第二十六号大阪府と広島師団に拘連する路線
国道第二十九号東京より和歌山県に達する路線
仮定県道奈良街道
同 能勢街道
同 西高野街道
同 竹ノ内街道
同 東高野街道
同 暗越奈良街道
同 梅田街道
同 丹州街道
同 亀岡街道
同 篠山街道
同 尼ケ崎街道
同 岩船街道
同 古堤街道
同 堺海港線
同 安治川海港線
同 木津川海港線
同 前島街道
同 龍華街道
同 梅田停車場に達する路線
同 枚方街道
同 恩智街道
同 中春日街道
+山田街道
 起 西成郡下福島村船津橋北詰
 終 同郡中津村大字小島能勢街道

[] 明治36年大阪府:府県道・里道

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765474/530

おーいえー。丁度いい時期の府誌があるのな

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_ tyaffic [明日付けの日記には「宝くじ1億当たった。金がようけ有りすぎて困っとる」と書きましょう]


2011-11-21 ”道“を拓いた偉人伝 この日を編集

[宣伝][廃道本] 第四章:増田淳

画像の説明橋梁界では知らぬ者のない人物.大正末の日本に綺羅星のごとくに登場し,鬼神もかくやというペースで橋を設計した人である.その設計橋梁の多くが近代土木遺産に指定され国重要文化財級と評価されている.曰く白鬚橋,曰く千住大橋,曰く長浜大橋,etc, etc, etc, etc. 何より驚くべきことは物凄く沢山の種類の橋梁を設計していることだ.木桁RC桁SRC桁RCアーチ(開腹充腹)鋼鈑桁鋼トラス(プラットワーレン分格ペチットの上下路ゲルバー)フィーレンディールトレッスル鋼アーチ(スパンドレルブレースドバランスドブレースドリブブレースドリブタイドバランスドブレースドリブタイド)可動橋(バスキュールスウィングロール)とゲシュタルト崩壊を起こしそうなほどに多岐に渡っている.その当時世界に存在した橋梁形式の99%を設計したんじゃないか,と部録”の気安さでもって書いておく.実際増田淳が日本で初めてその形式を採用したというのが多い.そういう天才の話である.

ふつうの人は「誰がこの橋を作ったのだろう」と考えることなどない.そもそも橋がそこにあることにさえ関心を持たないかも知れない.しかし橋はとても人臭い構築物で,子細を知れば知るほど面白い.橋が面白くなると「面白いもの」が身近に沢山あることに気づくことができ,退屈な日常が少しだけ楽しくなる.そうなってもらいたくて増田淳を取り上げさせてもらった.その方面に興味のない人に興味を持ってもらうには「人」を媒介にするのがいちばんだ.こんな人がこの橋を作った.同じ人が作った橋がこんなにある.橋には設計者の思いが込められている.そういうことをとりあえずは伝えたかった.

出来としては...やはり役足らずであったことは否めない.5人の原稿のうちで最後に書いたものだから,文字数を減らさなきゃという意識ばかりあって,親切丁寧な解説ができなかった.日本の橋梁史概観とか,廃読10のような橋梁形式の説明とか,なぜ橋梁形式が違うと話が変わってくるのか(その形式にどんな利点があるか)とか,構造力学的な話だとか入れたかったのだが,そこまですることができなかった(そもそもそういうのが書けるほど見識があるわけでもなし).人となりの話も少ししか入れられていない.増田の伝記は存在しないからね.この人のすごさを伝えるためには徹底的に調べ上げたうえで本一冊まるごと使わないと無理だろう.もっと適格な人にそれをやってもらいたい.

この編の存在価値は「作品リスト」に集約されていると思う.土木史研究の2論文を参考に増田淳設計橋梁の一覧を作った.元論文で漏れてる橋も入れてある.校正段階でずいぶん追加したり訂正入れたりしたから,デザイナーさんに迷惑をかけたはずだ.「道,その後」はそういう橋の見方もあるという一例になればと思ってわざと臭くした.さて,どっちに転ぶか.

補足情報には神通川橋梁の件と増田淳設計橋梁の絵葉書を入れてある.設計資料集の中にある神通川橋梁が神岡鉱山軌道のそれであるか否かを確認するため,わざわざ市立図書館へ行って『工事画報』をコピってきたうえに設計資料集を精査してスケルトンを図にしたりしたが,ページ数の関係(&あまりに瑣末な話ゆえ)から入れられなかった.結論だけ言えば「違う」.


2012-11-21 この日を編集

[未消化] ある教会にて

画像の説明とある教会を訪れた時、中でドールの撮影会らしきものが行われていて、それを見て小さな嫌悪感を抱いたのだが、どこにどう嫌悪を感じたのかうまく説明できなかった。直感的な生理的嫌悪ほど質の悪いものはなく、根拠のない嫌悪感であったのかも知れないと思ったりもするが、そうだと言い切ることもできず、もやもやしている。

大の大人が人形を弄ぶというところを是非するのではない。それがダンボーであってもコスプレ撮影会であっても同様の情を抱いただろうと思う。発端はドールではなく、公共の場で自分の趣味を全開開陳している姿に嫌悪を感じたのだろう。その場を場違いな空気で占用していると感じたから腹ただしく思うのだろう。壁に書かれた落書きを見たときの嫌悪感、駅のホームで線路にゴミを投げ捨てる東京人を見たときの嫌悪感と同質のものだろうと思う。

教会建築はさすがに歴史が古いだけに「よく仕組まれている」。薄暗く、天井の高い室内に、ステンドグラスを通して洩れてくる色々の光が射し込んで、壮麗な装飾を浮かび上がらせる。色はあれだけ賑やかしいのに、底に静謐の憂いを漂わせていて、その対比の美しいこと・非日常的なことにはキリスト教徒でなくてもハッとさせられる。「敬虔」とはこういう気分なのかと悟らされ、悪くないものだな、と思ったりもした。そんな空間の一角に見知らぬ他人の自我が持ち込まれ、人臭さ欲深さを撒き散らしているーーー彼らだってこの光景がきれいだと思うからわざわざ持ち込んで写真を撮ってるのだろうーーーことに、強烈な違和感を感じたのだろう。

場違い、という言葉はかなり危うい。その場の雰囲気というものは、そこにそういういう雰囲気を感じ取った自分だけにしか通用しない。ある人にとってはドール撮影の最適空間であるかも知れない。ある人にとっては懺悔の念に駈られる空間かも知れない。ある人には単に色彩のハイコントラストを楽しめる場かも知れない。教会はこうあるべきというコンセンサスなんて存在せず、特にここのような、観光目的で移築された、教会としての機能を果たしていない教会では静謐も何もあったものではないと言うことも不可ではなかろう。


画像の説明


2013-11-21 この日を編集

[独言] しなければなら(ry4

近代化遺産総合調査の日報を作成。量は多くないのだが「フォーマット守って!!!」という悲鳴にも似たお願いがあったので、厳密にそれに従って書かねばならないのが面倒だった。面倒とかゆうたらイカンのだろうな。実際フォーマットの凡例の通りに書くほうがスッキリと書けた(すんなりと、ではなく)。最初の頃はいち探索に沢山の発見があったのでその個々の調査時間を書いたり住所を書いたりしていると用紙が足りなくなってしまうように思われたから勝手な書き方をしていたのだ。調査対象物が少なければそんなに大変じゃないのだ。

ついでに未提出の一次票も送っておく。何をいまさらなものではあるが。行整橋は多少は面白い物件なんじゃないかと思う。一次リストの肥やしになればいい。

難しいのは「探したけれど見つからなかった」物件の扱い。曽爾村の蚕卵紙貯蔵場on風穴は、諦めて帰ってきた時に場所確定し、実質的な調査ができないまま帰ってきた。集落まで帰ってきたところで地元の方の証言が得られたのだ。自分たちが入り込んだ不思議な雰囲気の杉林をもう少し詰めていたら見つけられていただろうという場所にそれはあったらしい。行っても石組みと涼しい風が吹いている穴があるだけかも知れないが、伊那谷の専売特許だと思っていた蚕穴が奈良県にもあったという面白い事実をこの目で確認できなかったのは残念至極である。そうして探索自体もなかったことにせねばならず日報も報告書も書けない。もったいない。あんだけ人に尋ね回ったのに。

[独言] 集中訓練後

生活リズムが崩れたままになっている。この一週間は後片付け期間のため仕方ないことと諦めている。7時起き23時就寝のほうがいろいろ捗ることはわかっているのだが、周囲の状況がそれを許さない。あと少し我慢してもらおう。自分に。

せっかく料理を覚えたのだから何か作りたいよなあ。

[煉瓦] 再燃

Fさんが印南郡周辺を追いかけ続けてくださったお蔭で根源的なところから判りそうな塩梅だ。バンレンと播煉合同と三津浜の三つ巴状態を何とか解きほぐしたい。

アンモナイトが中生代の示準化石として利用されているのと同じような立ち位置に、煉瓦刻印を持っていきたい。最大の目標はそれだ。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ TUKA [蚕紙保管用の人工洞穴ならば福島県にもあります。]

_ nagajis [テキトーに書きすぎましたね。確かにその通りで、群馬県なんかにもありましたね。ここは富岡製糸工場ほかと一緒に世界遺産登録に向けて活動中だったはずです。 風穴で蚕紙保管をするってのは古くからセオリーに..]


2016-11-21 この日を編集

[奇妙なポテンシャル] 看板との対話

画像の説明

流行りネタに乗っかる軽薄さは唾棄すべきものと考えていて、基本的に無視するようにしているが、ここまで換骨奪胎されていると逆に得も言われぬポテンシャルを感じる。大幅な書き換えによって元ネタを思い出すことが難しくなっているうえ、既に風化して久しいネタである故にやはり思い出すのに支障を来す。仮にこの文字構成で背景画像が別のものであったら元ネタとの間に脈絡を見出すことはなかったんじゃないだろうか。

何故このネタを持ってきて、剰え斯様な改変を施したのか、というところに思いを馳せていると、現代の孕む闇が見えてくるような気がしてならなくなった。流行りネタに安易に乗っかる風潮がここまで先鋭化したものなのか。大のつく改変を加えることで著作権的グレー色を漂白しようと試みたものか。流行ネタは風化するものであり消費され忘れられるものであるべきと主張する看板とも取れる。風化の過程を早回しで見せつける看板とも見える。いや待てよパンツが見えていたら履いてますよネタにならないではないか、とするとこの看板は件の一発ネタとは無関係で抵触すらしていず私が勝手にそこに類似性を見出しただけなのかも知れぬ。連想力を判定する踏絵的な看板。いや看板は垂直であって踏むことはままならないか。云々。

いろいろ考えさせられるという意味においては比較的高めの奇妙なポテンシャルを有しており、記憶に残る看板となった。そう謀って作られたか否かはさておき。


2017-11-21 この日を編集

[bdb] 関西地方の煉瓦刻印

画像の説明メニューにアイコン=印影つけられたらなあ、と思っていたらまさにそういうプラグインがあった。そのへんはやはり大樹の有り難さ。しかしその発見のせいでまた無駄な凝り時間を費やしてしまった。お前はほかにするべきことがあるだろうが>nagajis

[独言] このままではいけない

煉瓦展の辺りからやることなすこと書くこと作ること全て煉瓦ではないか(ただひとつの例外としてのカブトムシ滑り台を除いて)。お前は煉瓦屋か、と独り突っ込んでみたものの、煉瓦屋ってなんだ、せめて連歌師であったら様のつけようもあるだろうが煉瓦屋はないだろう、と思い直したりなどしている。

ふとしたきっかけでORJ最初の収入であった千円札のことを思い出した。額に入れて保管しているがその額自体がアタッシュケースに入れられていてさらにそのアタッシュケースが確か部屋の隅のあのへんのごっちゃごちゃの中に埋もれている。本来なら毎日拝んでおくべきものであるだろうが、いつまでも過去の栄光に縋っているわけにもいかないだろうとも思う。在ることに思いを馳せつつ実際にそれに触れたり見たりすることはないというのは故郷と一緒である。そういう存在なのだろう。

[独言] 名刺届く

佐川を指定したのは確かだが、宅配便扱いで届くとは思っていず、再配達で煩わせることになってしまった。すみませんねえ配達員さん。出来上がった名刺は以前と寸分違わぬ仕上がりで(当たり前だ、会社も版下デーもかわっちゃいねえんだから)、ただし裏面は[禁則事項です]を追加してある。いちいち書いて示したりせんでも済むようにという全く余計な準備である。相手のことではなく自分の手数の省略のための余計書きである。えもうす既にもう約束さ計画いる。なんでそんな無駄なことをするかな>nagajis


2019-11-21 この日を編集

[独言] そうして御本人様に御報告する

橋渡し橋渡し。橋だけに。うん。上手い事言ったつもりは全くない。

ついでに孝子峠の鉄筋アーチ橋見に行こうかな……。今はもうないみたいなんだけど、すげえ気になる。しかしこの時期は日が落ちるの早いからなー。

橋の話題を待ちわびている方がおられるというのはまことに有難いことである。ネタがないうえ鮮度が落ちまくりなので申し訳ないと思うばかり。次回も領家第二橋梁だし・・・。

[独言] ねじの回転

最後の日に向けて本の運びだしと棚分解。後半はひたすら棚のネジを外していた。電動ドライバーを使やぁ一瞬で済む仕事なのだが、何故かむきになって手回しでやり続けた。右手首左手首を何回転させたかわからない。幸いネジは固くないので回転数だけがものを言う作業である。

ネジを回して外すという単純繰り返し作業のなかに何かを見出そうという努力を積み重ねた結果中々な速度まで上達した。手首が疲れてきたら錐揉み式で回すとよいことを発見してみたり、それに加えて自分自身がネジの周囲を左回りすることで若干の回転を加える法を編み出したり。後者は電球ジョークポーランド人バージョンからの発想である。ただしでかい棚の周囲なので1/2回転がせいぜいだ。

地震の時にひっくり返った棚である。死屍累々を必死になって起こして治して、割れた棚板を交換したりもした。今それを完膚無きまでに破壊し尽くしている。滅多に経験する機会のない破壊行動の充足だとか後生冥加だとかと思い込まなければ、やっていけない。

[独言] 鳥の歌なんて聞いてない

タイトルに意味はない。書くリハビリをしないといけないと思う。考えずにてけてけ書く練習。思ったことを直結神経で書く練習。脳みそで煮込んでも味噌味にはならないのだから諦めてフレッシュジュースとして召し上がるほうがいいと思うんだ。味噌にフレッシュも何もないだろうが。

味噌と書いてとっさに青森で贖ったカネサの甘味噌を思い出した。賞味期限が一週間過ぎた味噌を買おうとしてしまい、店の人に「漬物に使うのにはいんだけどねー」と言われながら賞味期限まであと3日も残っているものと交換してくれた例の味噌である。二度と口にする機会はないだろうと思いつつ時折思い出してみたりする暮らしがもう17年も経過した。しかし今のご時世じゃ通販で買えてしまうのかも知れないのだな。旅情も郷愁もあったもんじゃない。現実を知ってしまうのが怖くて検索したことはない。

鼻水の気配がまだ少し残っているのである。歩き回って担ぎ歩いて体がぽやぽやしてくると鼻腔にたまってくる。室内で吐く訳にはいかないのでずるずる啜って飲み込んでいるがこれで結構な量の塵芥を摂取しているだろうと思う。そのお陰で妙な免疫がついているという自覚があるがこれで本当にアレルギー体質なのかと訝ってみたりもする。実はそれを否定したいがための鼻啜りであり不衛生不摂生であったりする面がなきにしもあらずなのだが改善も悪化もしないあたり結局はnagajisなんだろうと思ったりもするのである。

いつのまにか効率とか安全確認とか危険より手間とかいった気配りができるようになっていて我ながら驚きである。危ないことを危ないとわかりながらして仕抉る人生を送ってきた私のはずであるのだが。周囲がそういう者ばかりだと反物質的に逆のことをしはじめるのだろうか。他人をスーパーリフレクションな反面教師と見做しているのだろうか。

自分のためだけに生きているくせにとは思うけれどもそうではない人生を貶したり嫌ったりするつもりもないのである、できれば世のため人のためになることをしてから死にたいと、これでもそう考えているのである。抱えている負債はそうでしか償還できない。借り逃げ持ち逃げしてもよからんずらんができれば精算したいものである(できるもんならやってみな)。

ヤマにトンボは何だっけ……どこかで屋号か社章を見た記憶があるようなないような。あ、これってこれなんだ、と思った記憶が微かにある。しかし余りに微かすぎて勝手に作り上げた妄想漠念のような気もする。物覚えが悪くなると過去まで歪めてしまうからきらいだ。


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