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2020-06-16 [長年日記]

[既出] 亀岡三回目

画像の説明

ようやく理一郎氏の字に慣れてきて、あらすじが掴みかけた頃、どうも大事なところが抜けているような気がしてならなくなった。何で3万/30万個の仮契約を40万/300万個に十倍増したのか。そのうちどれだけ納入を済ませたのか。煉瓦に関わる部分は前回のコピーで尽くしたつもりだったけれど、考えれば考えるほど見落としがあるような気がしてきて。それで今回。

結局穴は埋められなかったけれども、細かな見落としがいくつかあって、M31の動向などは必須のものであった。資料編で活字化されている以外のところにも重要な記述がある。総じてこの日記から南桑煉瓦の全部を復元することは困難で、3割くらいは推測を交えないといけないことが確信できた。篠村史の記述には誤りはないけれども確実確かな情報だけで構成した場合の最精最純な南桑煉瓦史があれであり、全部の3割くらいにしかなっていない。ていうかやっぱり日記以外に詳しい資料があるはずなんだ・・・総会議事録とか解散決定時の配布資料とか。日記なんて書捨てなんだから過去に遡って訂正したりしないもんな。自身忘れ難い数字とか書いたりしないもんな。

鉄道局、と出てくるのは、たぶん京都鉄道の鉄道掛くらいの意味と思われるのだが、だとするとなぜあのタイミングで変更願を出さなければならなかったのか理解に苦しむ。要求された改良のサイズより小さいものにして一個当りの土の使用量を減らすとかいう苦肉のビホウ策だった、くらしか思いつかない。ほんとに鉄道局であったら京都鉄道が仕法書に書いた以外のサイズを使わせてくれと申請したと取れなくもないが、京鉄が出した申請を南桑が訂正するのは変だろうし。

田中源がこの件の癌のように思えてならないが、明治初年代生まれの理一郎氏は日記に不満をぶちまけて腹立ちを抑えたりするようなことをしない生粋の明治人であった。真相はやはり闇の中。

帰りにトロッコ列車に乗った。最終便下りはスカスカで比較的自由がきいた。立地は福知山線の峡谷地帯そっくりだが福知山線ほど古い古レール柵はないようである。


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