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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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2009-06-16 余韻の中で、つれづれに この日を編集

[独言] 放置保存という概念が知りたい、から始まる長い独り言

ふと長年の疑問を思い出す。近代化遺産・産業遺産という概念の発祥の地であるイギリスには「放置保存」あるいは「残置保存」とでも訳すべき考え方があるらしい(「土木遺産の見方しらべ方」だったと思う。うろ覚え)。修復をすることもなく、あからさまな保存もせずに遺構を残すことのようなのだが、単に放置しているのとどう違うのか? それによって何が残せるのか? 思想的拠り所としてもうちょっと詳しく解説してくれる何かがほしい。

こんなことを考えるのも、廃道遺構のあり方として「放置」がいちばんしっくり来るように思うためだ。半ば自然に任せた、手を加えない廃な姿こそ廃道の魅力。そこを切り開いて進む(というのは大袈裟かも知れないが、そういう気分を味わえる場所として楽しめるという)楽しさが魅力。モノとして価値のあるものは補修するなり遊歩道整備するなりして代々伝えていってほしいが、全部が全部そうなるとつまらないようにも思う。

鎌倉の切り通しにスプレーで落書き、というニュースを教えてもらった。割れ窓理論的ネットイナゴ的な見地からリンクはしない。屋久島は屋久島で保護地域の屋久杉にペイントされたのが見つかったという。北上山地のブナが切り刻まれた件も記憶に新しい。保存されたものでさえこうなる世の中なのだから、そしてそれは人が活きている以上ゼロにはできないことなのだから、もっと何か、嘆き悲しむ以外のことができないかと思う。ネットで騒ぐことは簡単で、時にそれが現実世界へ侵攻することもあるけれども、それで全日本人の道徳感情を惹起させるようなことは決してできない。興味のない人々に対し、我々はあまりに非力である。

案内看板は石に刻むべきだと思う。もしくは防錆を施した銅板か何か。そうして道は放置する。百年先、二百年先でも石が案内してくれるだろう。スペースがなければQRコードを彫るのでもいい。何百年かのちobsoleteになっていたとしても、仕様書がある限りは復原できるだろうし。

「記録すること」と「検索可能なこと」がワンセットで普及した今日、歴史はどのように伝わっていくのだろう。昔であれば口頭伝授でやっていたようなことが、(それ単体では)劣化しないデジタルデータで記録されるようになって、その時代の細々としたことが精密に厳格に伝わっていくのだろうか。それとも大量の情報に埋もれてかえって見い出しにくくなり、人も不感的になるだろうか。

今の個人的な感覚では後者のような気がする。誰もが歴史づくりに参加できる一方、記録された歴史の正確性は誰も保証してくれない。一部を切取って「驚愕の真実!」てな具合に見せつけてくる輩が増えるような気もする(これは自戒を込めて)。

鉄道マニアの世界のようになるのかも知れない。鉄道マニアには明確なカテゴリがあって、個々のカテゴリには詳しい者はいても、俯瞰的に詳しい人はごく少ないと聞いた。鉄道はもともと国の施策だからか綿密に記録されてきて、情報の蓄積はあるから、情報源に当たろうと思えば当たれないことはない。裏付けのしようは幾らでもある。掘り下げるなら幾らでもできる。だからかえって、全体像を把握しにくい。鍬の刃のようなイメージ。道路法という法拠はあっても実際にはテキトーに作られてきた「道」には情報源としての拠り所が少なく、あいまいなことが多い。(廃)道とはちょっと違う世界だとつねづね思う。自分の調べ方がよくないだけかも知れないが。

拠り所がないなら作ってしまえ、という考え方もできる。しかしそこまで徹底した文献渉猟をやっているわけではない。実際いつだって行き当たりばったり、歴史家にも小説家にも届かない中途半端なところでもがいている。万が一やり方を真似ようという方がいたら眉に唾してよく咀嚼してから飲み込んでほしいと思う。問わず語り。

基礎がないのが何よりつらい。科学における論文のような、困った時に拠れるものが史誌の類いしかなく、それは誰にでも参照できることで、しかもそのために要約されている。人々がどうやって石を積んだのか、その積み方は何に由来するものなのか、なぜこの路線に決まったのか、あの谷を避けた理由は、そういう書かれていない細々が知りたいのに。無茶な話だろうか。それこそ考古学的なアプローチをするしかない。そうしてそのアプローチに使う乗り物も武器も貧相だ。チャリンコチャリチャリ漕いでいってては間に合わないし、大木を切るのにナタは使えない。取ってきたものにnagajisバイアスが掛っているrという罠も潜んでいる。

廃道探索は考古学であり民俗学であるという説。「キター!」だけでは真の答えにならないという魅力も含めて。

生きる糧として割り切れないのが最大の敗因かも知れない。誰も高尚な理論や理想を求めてはいないのだ。今の刹那の充足とネタの泉があればよいのだ。ネットにはそういうものを求めるべきで、そういう作りであるべきなのかも知れない。という自虐的意見を述べる場であるべきかも知れない。

[奇妙なポテンシャル] #104

述べる場とチョベリバって似てるよね。

チョベリバとリボルバーより似てる。

チョベリバとチマチョゴリもちょっと似てる。

入れ替えるとバリベチョ。やなカンジ。

クベリバ[名・俗]・・・竃の焚き口。おくどさんの別名。へっついでも可。北陸地方ではひょっとこを埋めておく習わしがある。

2011-06-16 この日を編集

報告書にORJ記事リストを書き加えている.これも一種の身辺整理だろう.あと,旧ドメインが今度こそ切れないよう自分でclientもどきを作成してcron設定した.

[廃道本] 衝撃の展開

もしかして余計なことしちゃったかしらん・・・とほほ


2012-06-16 この日を編集

[独言] はて、どうしよう

いつものことながら書けるネタが尽きてしまった。今すぐ書ける(書かないといけない)というネタがない。中川煉瓦は今回使ったし、大和谷も本当はリベンジしてからにしたい。

今回の近遺調でつくづく勿体ないと思った。旧橋とか索道とか西熊野街道Questとか小分けにした方が長続きするのはわかっている。ネタが尽きるのが怖いのではなく結果的に個々が中途半端になってしまうのが惜しまれるのだ。次回同じような探索旅行に出たとしても同じように消費するだけだ。うーむ。

索道関係は余計にもったいなく、何とかしなければと思う。遺構が分散しているせいでいっぺんに辿ることができず、探索した結果をちまちま公開しているうちに情報が分散してしまう。全部わかった時点で一記事書くべきだろう。集約した記録として。そのためには親玉の天川村笠木峠黒木辻を攻略しなければならないが。

自転車で行けなければバスで行けばいいじゃないと悪魔が囁いている。お前はマリーか。劣化したR2D2みたいなロボットに名前呼ばせるぞ。

これという決定打がないまま使用中。

[奇妙なポテンシャル] 久しぶり過ぎて番号忘れた(#280)

ヤンヤン歌うスタジオ

の「ヤンヤン」って何のことだろう、とふと思った。何のこと、という問いは若干漠然としすぎか。「ヤンヤン」の品詞は何になるのだろう。

誰かの芸名・ユニット名だったような気もしていて、だとすると名詞ということになるのだが、例えば城みちる「イルカに乗った少年」などではバックコーラスがヤンヤン言っている。そういう場面で使われる「ヤンヤン」はたぶん名詞ではない。文字の感じからすると「かんかん」「きらきら」と同類の副詞であるようにも思われるのだが「ヤンヤン投げる」とか「ヤンヤン走る」とかは言わない。「ヤンヤン歌う」のみがしっくり来るがそれは「ヤンヤン歌うスタジオ」が存在するからであって「ヤンヤン(区切り)歌うスタジオ」であるはずだ。

ひょっとしたら擬音語擬態語なのかも知れないとも思う。しかしその擬音擬態がどういう音・状態を擬したものなのかよくわからない。数十年前なら肌で感じれただろうがナウでヤングな若者でなくなって久しい私には思い出せない。というかナウでヤングな若者になる前にそういうカテゴリが消滅してしまった。何をもってすればナウでヤングな若者になれたのかという根元的問いから始めなければならぬ。

グーグル先生に尋ねたら、尋ね方が悪かったのか、町子とかJUMPとかレゲエ歌手とかしか出てこなかった。答えは得られなかったが今でも生き残っていることに驚いたのでよしとする。そういえば松田くんのあだ名はダンダンだったな。松田くんのように足が長く格好よくなれば「ヤンヤン」の境地に近づけていたのかも知れない。

[橋梁] PC橋(Pre-stressed Concrete Bridge)

「滋賀県の近代化遺産」から入ったせいで何も疑わずに信じていたが、日本最初のPC橋は石川県七尾市の長生橋で、昭和26年竣工という。大戸川橋梁は昭和29年である。長生橋はプレテンション方式(形枠の中に引っ張ったピアノ線を渡しといてコンクリートを流し込む)、大戸川橋梁はポストテンション方式(埋め込んでおいた鞘に鋼棒を通してギリギリ締め付ける)。

ピーエス三菱のホームページによると、長生橋は2001年に解体され、公園に移設されたという。大戸川橋梁が登録文化財にされているのを考えると若干勿体ないような気もする。あと、我が国初のプレストレストコンクリート橋と言ってしまうと間違い>大戸川橋梁


2014-06-16 この日を編集

[] 吉野

この間吉野の本を手に入れたはずなんだがどこにやったんだろう。

[煉瓦刻印] 六角形

えーあれって三津浜の刻印なのか。呉鎮守府に使われてるんだったら確かに亀山のじゃないな。

[独言] ああ

休みてえ。RIPしてぇ。丸太のように眠りてえ。

こちらから連絡して連絡取れないとずいぶん心配してしまうのはまさしく自分勝手というものだなあどの口がいうのだろうなあと思った。社会通念的表向きには存在していないnagajisである。ついでに裏にもさよならを告げたらどうだ。気分がすっきりするにちがいないぜ。

フロントが歯飛びしているのかリアがそうなのか判断つきかねる。どちらも交換してからそんなに経ってないはずなんだが

[独言][納得がいかない]

「国民会議」と銘打つと,まるでそれが国民全員の創意のように思えてしまう.かといって国民が参加していないわけでもないから羊頭狗肉なわけじゃない.実にいやらしいネーミングだと思う.そういう微妙なアワイを顧みずにいけしゃあしゃあと使えるような人々が成功し生き残っていくのだろう.遠慮が先に立つ私のような人間は一生地べたを這いずりまわっておればよい.

といったようなことを考えてみた一方,「日本の廃道」とかいう大層な看板を掲げていながら福島と近畿のごく一部の話しか載ってないうえに廃道でもない煉瓦の話で一号埋まったりする同人誌だってあるわけだしなゲラゲラと思ったりもした.結局のところ自分が関係しているか否か,恩恵を受けられるか否かで判断しているだけじゃないか>nagajis.


2016-06-16 この日を編集

明治32年12月28日

http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C02030223200?IS_STYLE=default&IS_KEY_S1=F2006083118211558900&IS_KIND=MetaFolder&IS_TAG_S1=FolderId&

堡塁・砲台の構造基準の変更。確かその前のが明治29年とか書いてたようなきがする。

[料理] 略

祝いの飯がまた(略)なんはどいうことやねん。しかもニンニク生焼けだ。

[奇妙なポテンシャル] ↑

「しかもニンニク生焼けだ」ってすごく語感がいい。無闇にひとりごちて悦に浸っている。

何か似たようなフレーズがあった気がするのだが思い出せぬ。「ぼうさん火事場で丸儲け」とか何とかそういうやつだったような。しかしこれでは4−4−5だし「ごめんね税込み105円」みたいで良くないな。単なる口合いだ。3−4−5と畳み掛けるところがいいんじゃないか。「さんま蒲焼き108円」とか「トマト煮込めば型崩れ」とか「さしもしらじら柴わんこ」とか。

[] か

今回は日曜日を使って書くことが多かった気がするのだが結局いつもどおり遅くなった。合わせて4万字くらいしか書いてないのに。やはりダメ探索を取り繕うような原稿はちっとも進まないし出来もよくない。言い訳をはめこんでいくようなんはだめだ。

[奇妙なポテンシャル] ↑

四万字とジョン万次郎は似ている。

序盤にとジョバンニは相似形だ。


2017-06-16 この日を編集

[ORJ] した

あと一回休憩していたら間に合わんかったな……よくがんばりました>nagajis。発行前の臨休が有効活用できなかったのに間に合ったのはえらい。てか毎回そんなギリギリに発行すんなっちゅう話やけど、たまには自分を褒めないといけないってリルケも言ってたよ。

毎回こんなだから呟く気にもなれんのだよな。拗けたドヤ顔送りつけられる身にもなってみろってんだnagajis。そうそう、ここが本来あるべき場所。ブラウンツリーは魂の帰る場所。

おうしろくまが喉に凍みる……#nagajisのくせになまいきだ

[独言] ああそうか

システムの修正をしなければならないのだった。

・エクスパックをB2に放り込んだ時にDMラベルで出すこと。それを貼る。

・できればB2_inとp_outputを別々に取得したい。打ち出す・出さないを目作業でやるのはしんどい。しかし前・との兼ね合いが未解決。あそうか、最初に〒のだけ選んでやったら解決する話か。

・リダイレクト先でJS挿入してウィンドウ2個開けば2つダウンロードできないことはない。


2018-06-16 この日を編集

[独言] 発行

久しぶりに二部構成にしたらトップの書き方忘れてんでやんのばーかばーか。

メールのご返事が溜まっているので本日夜にがんばらなければならない。

[独言] 記憶違い

南和鉄道史を大阪中之島で見たもんだとばかり思っていたが、そんなこたあねえ、旧交通科学博物館の図書室で見たのだ(だからコピーが存在しないのだ)。ばーかばーか。京都に移ってからはどうなってるんだろう?→図書室はあるが検索してもでてこねえぞ。交通科学博物館でも現場で何か調べて見つけたのだっけか。

紀和鉄道の社史は土地収用の大変だったこととか資金繰りに苦しんだとかの話ばかりで技術的な話題がほとんど載っていない。困ったものだ。

[古レール][] 八幡・1901

●製鉄所製造の軌条 標本として農商務省へ廻送し来り製鉄所出張所内に陳列したり
(朝日新聞東京版1901年12月13日朝刊2面)

その一本?がどっかから出てきたり、しねえよなあ。

1903.6.17には日本郵便船の伏木丸が秋田土崎港にむけて製鉄所製造レール1700トンを積んで出港する、という記事。この頃磐越西線だったかを建設中だったはずでこの年の別の日の新聞にその記事があった。コピっておいたがまだ確認できてない。

1902年の11月に6回連続で八幡製鉄所の記事があった。高炉は予定の半分くらいしか出銑しない、しかし大冶鉱山とは15カ年契約で輸入を取り決めてる(手放せば列強他国に取られかねない)ので鉄鉱石はどんどん入ってくる、頑張って銑鉄を作るもののそれを製品部で処理しきれず(予算削減でラインが不完全だったため)。銑鉄塊だけがどんどん出来上がるという状態。それで高炉を停めざるを得なかった。あとコークス製造工場が(仮)のままだったことも影響している。してその熱を効率良く使うことができてなかった高炉の設計不良、というところは記事になかった。しかも6回連続の第4回、ベッセマー転炉のことを書いている日のをコピーし忘れてくるという体たらくを演じる。ばーかばーかばーか。

官営釜石の時代にすでにレールを作る気であったらしく、機械を購入するとかしたとかいう記事もあった(明治10年代)。どうなったんだろうな・・・

第一次大戦末期にカナダのバンクーバー港に係留されていたロシア宛発送の軌条をカナダ政府が譲り受けたいと連合国に働きかけているという話。どうもこの頃カナダ<>ロシア間で折り合いが悪かったらしくカナダ>ロシアあて金輸出とかが禁止されたりロシア人バンクーバー港立入禁止とかいう報が出てくる。1918年の話。あれロシアもカナダも連合国なんじゃねぇ?と世界史不取得の私にはうまく理解できない。ので帰りがけに中公新書「第一次大戦」を購入してしまって帰りに半分ほど読んでしまった。

そっか、大戦中にロシア帝国がひっくり返っちまったんだな(1917)。だからロシア宛荷物が出せずにたまってたんだ。んで戦線のカナダ軍補給用鉄道を建設するのに使いたかったんだろう。じゃあシベリアに行ったとか行かなかったとかいうやつとは違うのか。和歌山線に敷いたのはシベリア出兵のときにゲッツしたのかな。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ TAKA [南和鉄道史は京都鉄道博物館の図書室にありますよ。コピーできないかも(未確認)。蔵書検索で出ます。]

_ nagajis [わ!「南和鉄道」では出ないんだ! 「南和鐡道」だと確かに所蔵が確認できますね。ありがとうございました、今度行ってみます。。]


2019-06-16 この日を編集

[ORJ] 発行

最後の最後で調子に乗って弁解ドビュッシー聞きながらやり始めたりしたものだからドタバタした。そのせいであるという弁解。

[独言] 蝿水と黴珈琲

ドンキで売っていたどん兵衛焼うどん担担花椒仕立を食おうと思って流しに置きっぱなしにしていたポットに水を足しぐつぐつ沸かしてさあ注いでみれば、最後の最後に「ポロン」と蝿が出てきた。もちろんすっかり茹で上がった蝿である。蝿を茹でた湯をどん兵衛に注いでしまったわけである。

一瞬どうしようかと悩んだのだが、茹で蝿だけ取り除いて、何事もなかったかのように作業を続行した。どうせ湯の大半は捨てるのだ、という判断である。大いに間違っていることは承知している。

蝿を茹でた湯であったためか、それともこのどん兵衛のアクが強すぎたのか、どうも腹が落ち着かない。痛いとか滲みるとかいうのとはちょっと違う、不整合を形にして腸に詰め込んだような違和感がある。胃はどうもないのである。まことに不思議なものである。おそらく蝿入であったことに気づいていなければこの不快感もないのではないだろうか。気づいてしまったが故の不快感なのだと思う。

かと思うと、飲み差しの缶コーヒーを口に含んだら若干の黴を口内で検出したりした。誤って少し飲み込んだようにも思われる。そうしてさらに膨満感を増す下腹部。

[独言]書きにくかった

ほんとに書きにくかった今号の記事。妙なものを見つけてしまったものだ、転載的に記事にしてどういう効果を望もうというのか、と悩みながらちまちま書いたものだからすっかりアレな出来になってしまった。

失われたものを惜しむ側の「惜しい」の気持ちを書いた文章は、波長がぴったり合わない者にとってはかえって苦痛であったり忌避の素になったりするのだなと、読みながら思ったことだった。できるだけ冷静に、中立的に書こうとされているので、かえって行間に目が行ってしまう。文字になっていないところにどれだけ憤怒が隠されていることかと思わずにはいられない。それをフィルターで漉したのが今回の記事。

市政の側と市民との対立、食い違い、反発。法の遵守と市民感覚の尊重。なんでこんなにすれ違うのだろう。行政は行政で、おそらく、「こうにしからない」という諦めがあったろうと思う。いわゆる市民感覚とは相容れない形でしか依頼できないし回答もできない。担当は一人の人間であっても背後に市政があることを常に考えていなければならない、ある意味市政を代表する、窓口というか、多面体の一面であることを自覚して発言しなければならない。その発言を個人の感覚で行なうのは多分違う。内部でコンセンサスを取って根回しして交渉して譲歩しての末の結論が市民には降りてくる(べき)。とすれば八方美人か右顧左眄な言辞にしかならぬではないか。

市民の側は気楽である。自分の意見すなわち市民の意見である(市民を代表する意見ではないとしても)ので好き勝手言える。

互いに、思いやりが必要だな。あるいは最初から行政をあてにしないで市民だけでちゃっちゃか進めてしまうかだ。「街の遺産」にはならんかも知らんがモノはそのほうが残るかもしれん。

色々反省点はあるが、「賢くありたい」と言う下りはそれなりに過不足書くことができたと思う。普段ぼんやり思っていることを端的に言い表せたときは胸がすく思いがする。たとえその考え方が社会的に間違っているものだったとしても(てか大いに間違ってるはずなんだな)それで行く気になれる。自分で自分の手綱を引いているようなものかも知れない。

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ しゃちお [私が絡んでいるSLの保存修復は行政に頼らず、まず地元の人が中心になってコトを起こす(修復する)して、綺麗にして見せたら、行政が追認的にバックアップが入った事例もあります。 それ以外にも地元の人が..]


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