nagajisの日不定記。
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メールの返事を書くのに随分手間取った。実現不可能なこととして半ば諦めかけていた初心に戻る機会が与えられて、しかし結局は的確に言い表す言葉を探してうろついて。要するにここ十数年間進歩がなかったということである。
要するに、縁のない土地と縁を結ぶきっかけとして「道の歴史を知る」ってことが利用できる。うーん。いまいち。どこにでも道がある。見慣れている。それを糸口として縁のない土地の歴史に接近することができる。わかればなんのことはない、実は既に妙な機縁で結ばれていたりすることに気がついたりする。見慣れたもの聞き慣れたものの発祥の地であったりする。そうやって親近感が増す。親近感が増せば行きたくなる。同情もする。奈良の南半分はブラックホール、なんて口が裂けても言えなくなる。そういう親近感を全国民に持ってもらいたい。したら多分、世の中はもう少し明るくなる。無茶な注文だろうか。でも廃道を通せばそれができそうな気がしたんだ。
わずか1時間の間に資料を手繰り手繰って知りたかった事実に逢着した×2。なかなか頑張ったと思う。京都鉄道印は南桑煉瓦製でほぼ確定。松風洞は昭和26年竣工、実は戦前に手が付けられている。後者はもっと掘り下げたいが舞鶴市史にもないのであれば不可能かも知れぬ。しかし戦前のという直感が当たっていたのはすごいな。この時期日本海側の交通網を大慌てで弥縫しようとした潮流があったのかも知れぬ。