nagajisの日不定記。
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隅山組を興した隅山尚徳を祖父にもつ著者の「煉瓦屋」伝。まさかこんな本がこの世にあろうとは思っていなかったので金額無視で購ってしまった。しかも私家版という。書いて下さったことに心から感謝を申し上げたい。
とはいえ、東京の煉瓦工場だから直接には役に立たないかも…と思っていたが、冒頭で隅山尚徳が豊岡藩出身だという情報が。あまりのタイムリーさにそれだけで満足してしまった。残りは 本代に比例するようなスピードで じっくりゆっくり読みたい。
世の中が嫌だと思ったら、世に居場所がないと思ったら、自分が変わるしかない。そうはわかっているつもりでいて難しいこともよくわかっているつもりで、ハそれでナから諦めていたところがあった。そんなんじゃダメだ。やってみないとそれこそ何も変わらないのだ。変わらないことが褒められるのはごく限られた場面でのみだ。
おいしいと思うもの。きれいだと思うもの。面白いと思うもの。なにかプラスの価値があると思うものは、突き詰めてくとどれも「自分にとっては」であって、慣れているかいないかの差でしかないことも多い。慣れ親しんだ味を美味しいと思い、見慣れたものを上回るものを美と思う。初めて食べるものを美味しいと思うのも、それまで食べてきたものと無意識に比べている。全く何も食べたことがない状態で何かを食べた時、どう思うだろう。絶対的なおいしい、絶対的なきれい、はあり得るだろうか。
自分の知識の範疇から出られないのは残念だ。それ以上何も広がらない。学ぶのは自分の知る範囲を広げてより高次のおいしい・きれい・面白いに出会うためなのだろう。知ったことをすっかり捨てて忘れてしまうのもありかも知れない。それが不射の 射なのかも知れない。