nagajisの日不定記。
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剣術には行かず。今日の朝食後を以て寝室取締勤務は終了す。食堂の配置変更が行われ、一・二・三年二訓は南側二列となり混合なりき。予の食卓は藤森さん・深谷さん・早野さん・御手洗さん・志摩なりき。夕食より深谷さん取締となり、代りに栗林さんが来られたり。八時五十五分に大講堂に外出の服装にて集合、九時に紀元節拝賀式行わる。九時半に終了以後は十二時まで勉め、午後は三時より始めたり。今日は稍天からりとし、近日めずらしき日なりき。夕食後に軍歌演習あり。明日考査をひかえたる俺にとりては稍不十分な日なりき。
我が軍は本日八時シンガポール市に突入将に市街戦となれリ。
紀元節にして九時より儀式ありて 天皇皇后両陛下に対し奉り最敬礼及び万歳を三唱、後校長殿の訓示ありて式を閉ず。うららかなる此の日、建国の此の祭執り行われ、我等一同二千六百三年の昔を懐古して、広告臣民たるの喜を感ずると共に一層の奮発を決したり。それは又次の事柄により益〃心に深く刻み込まれたり。町田生徒監殿休まれ柚木崎生徒監殿の話に曰く、今や我が陸海軍はソロモン ガダルカナル島より完全に撤退したり。昨年八月以来今日まで死守したと見せかけ実は占領地を治める可く、敵を此に牽制していたり、然し我が軍は交通全く絶たれ餓死する者々多く、一万七千の軍全滅に瀕したり。いわゞ敗戦なり。彼のガダルカナルに於て食わんにも糧なく悪戦苦闘している事を考うれば我儘は言えぬものなり。幼年学校にて余りあまゆること勿れ。と。我は此の時正に興憤〔奮〕していたり。南方第一線を思えばなり。発表以上の撃戦の行わている事を思うべし。後専ら休養に努めたるも遂に午睡の時機を逸したり。十六時半運動班にて写真をとる。食前軍歌演習を行わず運動班長川野さんの話あり。何となれば川野さんは入院され卒業まで会う機会無きかも知れぬとの事なる故なり。日夕点呼後酒保に関して約三十分学年切磋会を行う。感激に満てる一日なりき。頗る良好なり。
〔nagajis:大本営発表は「転進」。本当の戦況が伝えられたのはこの時が初めてではないか〕
昨日かかってきた間違い電話にちょっとしんみりした。相手は少々お年を召された(らしき)男性である。
な:「もしもし?」
相:「もしもし? ××さんですか?」
な:「(?)いいえ、永冨、ですが」
相:「あれ、××さんのお宅ではないのかな?」
な:「(怒)永冨です」
相:「あー。違うのかい。電話番号は、6849-5790?」
な:「そうですよ・・・」
相:「違うのか。××さんではないのか」
な:「違いますってば」
相;「いや実は」
先日道端で倒れて意識を失っていたところを、××さんという方に介抱していただいたうえ、車で病院へ送り届けてもらったのだという。その方が残したメモの番号がうちの電話番号であるらしかった(走り書きか何かで数字が間違っているか判読できないかなのだろう)。
相;「住所は本町ナントカカントカ…」
な:「残念ですがうちは中桜塚でして」
相:「そうか・・・。やはり間違いか」
電話の相手の未練はよくわかる。役場に問い合わせをして空振りに終わりそうな時、何かの手蔓を捕まえようとして、似たような悪あがきを自分はよくする。
相:「失礼した」
な:「いえいえ。見つかるといいですね」
相:「では」
間違い電話を装った身元調査、でもいいかなと思う。関関同立のどれかに通っててそんな人を人助けしたあなた。探されてますよ。
いろんな人がいろんな所で働いているのだろう。お疲れさまです、以外に気の利いた労いの言葉を考えて掛けてさしあげたいが、頭がよく働かない。そういう状況にいる。
沈考了!
粗大ゴミを片付けるかのようなpdfを仕上げた。ケリをつけるって何て大変なのだろう。
隅山組を興した隅山尚徳を祖父にもつ著者の「煉瓦屋」伝。まさかこんな本がこの世にあろうとは思っていなかったので金額無視で購ってしまった。しかも私家版という。書いて下さったことに心から感謝を申し上げたい。
とはいえ、東京の煉瓦工場だから直接には役に立たないかも…と思っていたが、冒頭で隅山尚徳が豊岡藩出身だという情報が。あまりのタイムリーさにそれだけで満足してしまった。残りは 本代に比例するようなスピードで じっくりゆっくり読みたい。
世の中が嫌だと思ったら、世に居場所がないと思ったら、自分が変わるしかない。そうはわかっているつもりでいて難しいこともよくわかっているつもりで、ハそれでナから諦めていたところがあった。そんなんじゃダメだ。やってみないとそれこそ何も変わらないのだ。変わらないことが褒められるのはごく限られた場面でのみだ。
おいしいと思うもの。きれいだと思うもの。面白いと思うもの。なにかプラスの価値があると思うものは、突き詰めてくとどれも「自分にとっては」であって、慣れているかいないかの差でしかないことも多い。慣れ親しんだ味を美味しいと思い、見慣れたものを上回るものを美と思う。初めて食べるものを美味しいと思うのも、それまで食べてきたものと無意識に比べている。全く何も食べたことがない状態で何かを食べた時、どう思うだろう。絶対的なおいしい、絶対的なきれい、はあり得るだろうか。
自分の知識の範疇から出られないのは残念だ。それ以上何も広がらない。学ぶのは自分の知る範囲を広げてより高次のおいしい・きれい・面白いに出会うためなのだろう。知ったことをすっかり捨てて忘れてしまうのもありかも知れない。それが不射の 射なのかも知れない。
Before...
_ nagajis [かわりに何かいいことがありますように(-人-)]
_ オッキライ [うんうん、ドラえもんはなくても明日は昨日注文したCDが届くから。まぁやったね!だ(笑)]
_ オッキライ [ 中国語?・・・ごめん・・・読めないです・・・ちんこうりょう?・・・]