nagajisの日不定記。
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長浜市道路課からの返信があと10分早かったら撮りに行っていなかった。
側面には「びわ村大字早崎一六六六番地先」とある。これは非常に重要な情報。びわ村は昭和31年に成立し46年に町制施行してびわ町になった。その間に設置されたものだということになる。終点の標は見当たらず。
現行の県道竹生島線は昭和33年7月26日滋賀県告示第291号で認定されているのでもうちょっと狭まる。この時に貴生川停車場線も認定されているな。
昭和14年頃の工事だから産業開発道路絡みだろうかと思っていたらそのとおりだった。指定府県道大津福井線(滋賀県一号)改修が昭和7年から始まっていて(米原跨線橋とかその付近の掘割が時局匡救事業で実施)木之本米原間は『道路の改良』第21巻第12号(昭和14年12月号)の頃には姉川架橋を残して幅7.5mに仕上がっていた。この工事によって北国街道筋が整えられ速水にバイパスが建設された折に序でに作られたのだろうと思う。えらいぞ道改wiki作っておいたnagajis。
しかし仮にその頃の台帳が残っていたとしても現在のそれが当時から変わってねえという証拠にはならねえなあ。作られた経緯はわかったとしても。
あれ…これも琵琶湖渇水期じゃないと露出しないのか。3インチ4段だからあと30センチ湖面が高くなれば沈む。即ち-40cm以下にならないと天面は出ない。道理で去年の掃除の跡が泥だらけになっていたわけか。なるほどこれも暇つぶしの無駄行為ではなく必然性を伴うものであったのだな。
昨年12月19日の井筒。3インチ強しか変わらんね。昨年も-60cm切ってるじゃん。じゃあ瀬田川橋梁の足元も去年くらいの露出量か。ならば行っても収穫はほとんどなさそうだ。
渇水によって坂本城の石垣が出現したり太閤井戸まで歩いていけるようになったりしているそうだがnagajis的にはこっちのほうが嬉しくしかし特別なことだとも思ってなかったわけで大騒ぎすることもできないのがもどかしいざまあみろnagajis。