nagajisの日不定記。
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独逸語考査答案帰る。単語が最も大切なりと思う。何となれば単語不知にして文は表わること能わず。体操考査ありたるが、少し騰る。以後愛好作業とて岩倉山により山登り路て造る。何となれば山頂に展望所を造ると聞く。
〔nagajis:「路て」→路を?〕
今日亦陽を見ず。近日の曇天に加うるに、今日は風を増し十二月らしき寒さともなりぬ。思うに昨年はかゝる寒さは今頃見ること能わざりき。又指の環節は凍傷の為に痛く物をにぎるに困難なり。国漢乙及び幾何の考査あり。作文は我が家に付き自作。剣術は何故が意気上らずして不振なり。愛校作業にて鎌を使用し今日はじめてその操作を会得したり。何事にても初めて成る時は愉快なるものなり。
独逸語は「ゲーテ」に関する幻燈あり。健康状態は今日の寒さに負けたるか昨日より続いて全身倦怠にして物事をなすに億〔臆〕劫なり。一方に鍛錬して、一方に身体を保護せざるべからず。
リッチブラックを使うか否かでずいぶん悩んだが、賭けてみよう。少し細工もしておいた。umakuittaraonagusami。(誰の作品だったっけ...ああ、土岐善麿じゃなくて広瀬正か。)
貴重な日曜日を潰してまでしてwindowsに走ってたのも、何も個人的興味を満足させるためなだけではない、とまどろっこしい言い方で自分に言い聞かせてみる。いい加減windowsでPDFがどう見えているかを検証できる体制を作っておかないといけない。さすがに800x600のPen2ノートでは数がこなせない。
それで、改めてReader7.0による見え方を検証。あ、平成明朝ってWindowsに入ってないんだ(汗 あれは一太郎か何かで入ったのかなあ。いや違う、XPにはW7のがついてくるのか。
MacOSにはデフォルトで平成明朝と平成角ゴシックがついてくる。フォントのことに詳しくなかった頃はタダ=こだわりのないもの、と思っていたけれど、実はPCの普及にあわせて作られたもので、画面上で見た時の美しさを考慮した書体なのだとか。なるほど、そう言われて見れば懐が広くて認識しやすく、線もくっきり出てくれるので見やすい(Osakaフォントって実は平成角ゴと同じ字形なんですね。シランカッタ)。何より縦書きにしてもそう悪くない形をしている。これがWindowsにもデフォルトで入っているとばかり思っていたから、わざわざOCFの太ミンで作ってリーダー側で置き換えさせようとしてたんだけど。素の2kで見るとMS P 明朝か何かに置き換えられて、ちょっとぼやけた文字になるっぽい。
それから、「しおり」や「サムネール」などのタブの開き方をデフォルトで指定できないことを発見。表示倍率やページレイアウトはビューア側で指定できるのだけど、開いた時にサムネールを表示させるかしおりを表示させるか、あるいは何も表示させないかは、pdfを作る側でしか指定できないようだ。ううむ。何も表示させない設定でいちいちタブを開いてもらうか、描写サイズを犠牲にしてサムネールを出すか。。。また悩みが増えてしまった。Aタグの例えを引っ張るなら、それを決めるのは製作者のポリシーの現れになるのだろうけど。
前回までのあらすじ
M先生に就いて京都へ行ってきた.若干遅めだが紅葉もきれかった.
叡山電鉄のケーブル駅近くの吊り橋跡.目的はこのそばにある2つの橋なのだが(旧橋紀行用に),紅葉はこっちのほうがきれい.色調調整済み.
市街に戻って正面橋.1952竣工だが古い薫りのする桁橋.薄さと直線具合がnagajisの「いいね!」を刺激した.以前も一度行ったことのある橋だ.たもとに釣鐘屋?がある.
振り返ると虹が出ているのに気づいた.あれは何橋だっけ……五条橋か.宝物が埋まってるのかも知れない.
七条大橋.大正2年竣工という古い古いRCアーチ.やはり橋を撮る時には16:9がいいようだ.そのほうがナニを被写体にしようとしているのか明確になる.
選奨土木遺産になってるが,そのプレートが歩道に張り出して張られてることにクレームがついたらしい……わずか1cmの出っ張りなのだが.自転車でひっかけたとかすれちがいざまに膝ぶつけて煩悶したとか,そういうのがあったんかも知らんな.さすが京都さんやでえ.
明暗.若干調整.
阪急河原町駅と京阪駅を連絡する通りの四条大橋.というか京都びとなら四条大橋で一発変換するのだろうな.かつては七条大橋と同じRCアーチだった.今はただのRC桁.
こちらは一つ北の通りの三条大橋.これはRCアーチにならなかったのだっけ……,今も同じような作りの桁橋が架かっている.しかし橋脚は作りなおされたようだ.
上の絵葉書を見て,四条五条大橋のたもとに置かれてある石柱がかつての橋脚だったことを確信した.三条大橋の辺りにもあるそうだ.
わざと混乱させるわけではないが,五条大橋.三条大橋が木製の軒庇なのに対してRC桁+パネルになってる.西日を受けて輝く輝く.
五条大橋の下流側の擬宝珠.8つ?あるうちの6つが昭和26年に作り直された.残りの一つは明治10年に作ったもの(西詰めから3つ目)と,最も古い正保2年のもの(西詰め2つ目:写真)がある.一つひとつに銘が入ってる.M先生に教わって初めて知った.上流側や三条大橋もそうだろうと思う.
受付のをpdf化。しかし羨ましいぜ・・・&自分の絵葉書がしょぼいぜ。
次号もまた記事が少なくなるらしいので書かねばならぬ。月報は13日の天川行きの結果次第。行く前に片付けられるところは片付けておかないと。
石原氏が出てきた辺りからすっかり魅力がなくなってしまった感じがする・・・一時は飛ぶ鳥を落とす勢いだったのになぁ。
なんという脈絡もなしに買ってしまった一枚@100えん。七尾港開港25周年記念の絵葉書であるらしい。どういう作りになっているのか気になるけれども、確認しに行く機会もないし頼るツテもない。掲げていれば気にしてくれる人が拾ってくれるに違いない。託す。
t/o.
土日に何をしたわけでもないのに一日中目がしょぼしょぼしてて参った。メガネの度が合ってない感じで、外して作業し続けた。だから治ったわけでもないと思うが今は落ち着いている。食べ過ぎとか埃とか眼圧の関係か。日本工業要覧と遭遇したことで神経系に以上を来し脳脊髄液量が増大したのか。いずれにしても困ったことである。もげるわ。
歯医者にかかっているあいだじゅう旭の道を歩いているシーンを思い出そうとしていて、思い出せたようなそうでないようなモヤモヤを弄くり続けているうち、歯を一本削り取られてしまった。はるか昔に治療して銀歯をかぶせていたものなので内部がダメになっていたようだ。せっかく2日かけて治療してもらったのに。憤りはないのだが先生に二度手間をかけてしまったようで全く申し訳ない。
今じゃストビューで済む時代。味気ないものである。
どうも両腕の上半分が軽く痺れているような塩梅である。ビリビリして動かないわけではないが血流が滞っていてじんわりとした違和感がある。このせいで疲れているように思われる。疲れているから違和感があるのだったらいいのだがその逆なのではないかと思い当たって恐々としている。困ったことである。
せっかく龍野に行ったのだから地場の醤油を買って帰ろう、ちょうど濃口醤油が切れていた筈だし、と思って物産展に入ったところ、まず最初にこの醤油に目が行った。個人的にはブンセンは「アラ!」のメーカーとして覚えたのが最初で、そのイメージのほうが強いのだが元々は醸造業であったのだった。というか「アラ!」のことからして忘れていた。「ごはんですよ」の地方バージョンとでもいったらいいのか、要するに海苔の佃煮の一種である。小さい頃よく新聞の囲み広告で目にして名前を覚えたがしかし実際のモノを手にしたり食べたりしたことはなかったというよくあるパターンの懐古物であった。その「アラ!」のブンセンが醤油を作っていたというのはさらに存じ上げぬ事実である。そのうえ醤油のくせに「ベロ」という名前。どうも気になってしょうがない。ちなみに英語綴だと「BELLOT」。フランスの地名にそういうのがあるようだが関連はわからない。
説明によれば「うまみが強い」「やや甘口」ということだったので、食べ慣れた九州の醤油に近いものだろうかと思ったのだが、いかんせん物産展の販売物ゆえ疑問符のつく価格設定だった。これならそこらのスーパーで買ったほうがいいのではないかと思い、物産店を後にした。
帰りがけに「ベロ」を探して歩いたのだが、最初に見つけたスーパーにはヒガシマルの濃薄かカネゐの上等なやつしかなかった。ヒガシマルの醤油は自宅直近のスーパーでも売っているのでわざわざ買って帰るまでもないし味が自分の口に馴染まなかった記憶があった。とりあえずここはパスして、次に見つけたマックスバリュで無事入手。100えんちょっと安く買えた。けれども何だかすごく敗北した気分。地場のものを買おうという意気込みからすれば「だのにわざわざイオン系列で買うのは間違ってないか」と問わずにいられない。だったら個人商店かさっきの物産店で少t高いやつを買ったほうが貢献になっただろうに。
味の方は……なんとも不思議な感じ。旨味があるっちゃあある感じだし、甘いっちゃあ甘いのだけれども、しかし肝心の醤油味が不足している。どうも薄く感じてしまう。九州・四国の甘味のある醤油とも違う。小豆島の醤油に近いかも知れぬ。あれはもうちょっと塩味が尖っていたっけか。
いまさらのように大野郡志を読んで、あれこれ書かなきゃいけないことに気づく。間に合うのかしらん。今週日曜は図書館詰めだな。
Andoroid版のGoogleIMEの変換効率の悪さに辟易し、「福井みちづくりの歴史」を発掘するのに頭を沸騰させて小一時間かかって、ぐちあぐちあな部屋がさらに愚痴や愚痴やになった。本の置き場がもうない。
本格的に不要物を捨ててしまいたいものだ。
これまで資料に使ったモノ、そのうち資料にするつもりでいるモノ、読み終えた本、読みさしの新書、持ち帰っただけでほとんど読んでいない本。コピーしたまま積み上げられている各種文献。旧版地形図のコピーの山。それ以外の二度と着ないであろう服とか二度と使うことなどないだろうPC部品とか雑多なガラクタとか。全部バリバリ押しやって捨てられたらどんなにすっきりすることかと思う。片付けたいのは山々だが月の半分は現行書きに追われて残り半分は旅に出ていては片付ける時間もないではないか。まったくもって「どうしたものか」と思う。
どうせこのモノたちはあの世に持っていけないのである。生きた証として積み上げてみても死んでしまえば後かたづけする人が大変だ(いたらの話だが)。PC系のガラクタはまあ捨てられるとして、地形図系も再入手は容易なのだからいいとしても、本はなあ。このヤニまみれの本を自分以外に使ってくれる人も居るまいが、一応は過去からの継承物なのだし、これ以上残部を減らすのはちょっと忍びなくもあるなあ。
押し入れを整理して突っ込むしかないよなあ。いやだなあ。何日かかることやらわからない。
長浜市道路課からの返信があと10分早かったら撮りに行っていなかった。
側面には「びわ村大字早崎一六六六番地先」とある。これは非常に重要な情報。びわ村は昭和31年に成立し46年に町制施行してびわ町になった。その間に設置されたものだということになる。終点の標は見当たらず。
現行の県道竹生島線は昭和33年7月26日滋賀県告示第291号で認定されているのでもうちょっと狭まる。この時に貴生川停車場線も認定されているな。
昭和14年頃の工事だから産業開発道路絡みだろうかと思っていたらそのとおりだった。指定府県道大津福井線(滋賀県一号)改修が昭和7年から始まっていて(米原跨線橋とかその付近の掘割が時局匡救事業で実施)木之本米原間は『道路の改良』第21巻第12号(昭和14年12月号)の頃には姉川架橋を残して幅7.5mに仕上がっていた。この工事によって北国街道筋が整えられ速水にバイパスが建設された折に序でに作られたのだろうと思う。えらいぞ道改wiki作っておいたnagajis。
しかし仮にその頃の台帳が残っていたとしても現在のそれが当時から変わってねえという証拠にはならねえなあ。作られた経緯はわかったとしても。
あれ…これも琵琶湖渇水期じゃないと露出しないのか。3インチ4段だからあと30センチ湖面が高くなれば沈む。即ち-40cm以下にならないと天面は出ない。道理で去年の掃除の跡が泥だらけになっていたわけか。なるほどこれも暇つぶしの無駄行為ではなく必然性を伴うものであったのだな。
昨年12月19日の井筒。3インチ強しか変わらんね。昨年も-60cm切ってるじゃん。じゃあ瀬田川橋梁の足元も去年くらいの露出量か。ならば行っても収穫はほとんどなさそうだ。
渇水によって坂本城の石垣が出現したり太閤井戸まで歩いていけるようになったりしているそうだがnagajis的にはこっちのほうが嬉しくしかし特別なことだとも思ってなかったわけで大騒ぎすることもできないのがもどかしいざまあみろnagajis。
_ ocoze@三重 [クリ? タマネギ? ....スライム...♫]
_ nagajis [いま話題のスライムまんは買われましたか? 私は買えませんでした...]
_ ocoze@三重 [おぉ,にゃんとかわゆい。紀伊半島南部にはファミマはないので,ひきこもりの私は見たことがありましぇん。 「本日分のスライム達は全員,仲間になっていきました。新しく仲間にするには明日の朝以降となりす..]