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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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1941-04-01 第一冊始 この日を編集

昭和十六年四月一日起

第一学年第三学班 日記帖

[陸幼日記] (昭和十六年)四月一日 火曜日 晴

 母と共に学校に来た。空も心も晴々した入校式の朝であった。今日までの勤勉のたまものだ。母と別れて生徒舎に入る。そして軍服と着かえたが大きく亦毛で出来ているので暖くて苦かった。剣も帯びた。本当の剣を帯びたのは生まれて初めてなので重く且つ嬉しかった。午後母が帰られた時は少しくさびしかった。其の前に二回父兄との面会があった。入校式の時、朝から立ち続けた為か脚と肩がいたかった。幼年校の飯はうまかった。風侶〔呂〕にも入った。晩は注意や生活の訓 〔?〕


1942-04-01 この日を編集

[陸幼日記]四月一日 水曜日 晴

晴の第四十六期生入校日なり。十時より一時間遊戯ありたる他随意なりき。会食時に当りては新入生父兄も共に食す。十四時半より入校式あり。一ヶ年前予もかくありたるかと思うと当時が思いやられたり。新入生の姿何と愛らしきかな。今年度は一般に身長低し。何も知らざる当時より此の発達豈偉ならずや。夕は明日の奮闘を眼前に自習す。


1943-04-01 この日を編集

[陸幼日記]四月一日 木 晴

四十五期は三年に進級す。今日より日課時限改まりて五時半起床、二十一時半消灯となりぬ。朝三十五分自習あり。一段と自習時間が増したり。今日は四十七期入校式にして十一時より挙行されたり。校長訓示には幼年学校の重大なる使命、国家の悦なること、二・三年への指導等につきありたり。十三時父兄と共に会食す。十四時半より進級入学申告・体力章授与・同申告ありたり。我は甲体力章を授与されたり。訓育部命令により我は第三運動班副班長を命ぜられたり。部長殿に申告の際部長殿曰く、運動班対抗になりて不和になること勿れ。飽くまで学校の進歩の為と思いて職務を全うすべしと。第三の為なすを此に以上に固めたり。中講堂掃除をなす。終日真面目に努めたり。三年となりての自覚に依るなり。一年は躾にて我も入校当初がしのばれたり。良好にして桜花も開き天気も良好にして今日は誠に愉快なりき。


2008-04-01 春です この日を編集

[奇妙なポテンシャル] #40

記念すべき40回目なのだが大したことではない。こんなフレーズを思いついたが使えそうな場面が思いつかない。

世の中には2種類の人間がいる。nagajisとそれ以外だ。

当たり前といえば当たり前だし実はnagajisは人でなしという裏もある。輻輳倒錯的フレーズでいいと思うのだが。

[ORJ] 作業報告

エイプリールフールなので好き勝手に嘘を言える。開放感が心地よい。

昨昼からヨッキ氏特濃前半の仕上げ。表紙はちょっとwait a moment please。写真が出揃ってからでないと全体の見通しがきかないからな。主曲線入り等高線なので見栄えがだいぶん良くなった。

その後引き続き探近土のpdf。だらだらやっているうちにいつのまにか佳境に突入。ひととおり仕上げた。感動してないでちゃんと写真を撮っておくべきだった・・・5人いるのにカルテットの話しますごめんなさい。他に演奏中のいい写真がなかったんだ・・・。

そのうえ旧橋にもかかってひととおり仕上げる。短いがまあソツなくこなせたんじゃないか。いつもこれくらいだと気が楽でいい。

月初めにpdfまで進んでいる原稿があるのとないのとでは心の余裕が違う。ここで無理して進めてバテたら意味がないのだが、自分の原稿はもう充分熟成して、し過ぎて発酵し始めてそうだしな。

今夜あたり徳川道をあげてしまって、終わってから北摂。廢毒の前節+地図微調整、TRDB、行ってきました!記事の準備。そんな流れか。隧道レッドデータブックは奥山田隧道にちょっと面白い情報が加わりそうで、これはこれのために時間を取りたい。大物は2人に任せて小ネタで行こう。ということで次号に回る可能性が大。久しぶりに現地に行くか(行けるのか?)。

[ORJ] 名刺

名刺を作ろうという話になっている。今じゃwebで入稿すればフルカラーでも3ケタえんを切る。サンプルももらえる。すごい世の中になったものだ。

で、とりあえずサンプルを請求することにした。安いだけで質が悪いのは勘弁だからな。某社のサンプルは「裏に○○○○がついてる!」(○は伏字)という触れ込みで、ちょっとそそられ、それで申し込んでみようという気になったのだが、受注確認のメールにあっけなくその答えが書いてあった。なんだかガッカリだ。届くの楽しみにしてたのに。

[独言] 春

春というと筒井康隆の「春」を思い出す。虚行船団を書き上げた直後に丼一杯のご飯へ生卵4ケとキムチをぶち込んでむさぼり喰いながらなお興奮覚めやらず不眠不休でたて続けに書き上げたという4作品の一つ。赤やら黄やら紫やらのチューリップやら得体の知れない草花やらがむくむくもくもくぽこぽこと芽を出し咲き始める春の描写で始まるという心地よいリズムがいかにも春らしい作品で何度も読み返したものだったがこうして思い出しつつ文字にしてみるとどうもしっくり来ないところをみると違う書き出しだったかも知れない。久しぶりに読んでみたい気もするがさて何に収録されていたのだっけ。串刺し教授か。

[独言] ムギュ

徳川道落ちた〜(;; 


2011-04-01 この日を編集

[廃道本] 詰んできたっ

道場が・・・・・・・・・

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ ヒョウタンツギ [お元気そうですね。 この前、地元の本屋にしれっと並んでいて吃驚でしたよ。 因みに軍事都市国家・魚津市なり。]


2014-04-01 この日を編集

[ph.] 夜桜増税中

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HS-30が結構頑張っている。

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[独言] エイプリールフールネタ

隣のアパートの人が特殊清掃のお世話になったようで、家の前の通路にそれらしいトラックが停まっていた。運び出されるゴミ袋の山を見て自分もいつかああなるのだろうなと思った。

時折出会うことがあって、会えば会釈をする程度の縁はあった。白髪混じりに髭茫々、クタクタのクタになった服をいつも着ていて、初めて見かけた時には軒下自由人かと思ったほどだった(今考えてみれはひどく失礼なことだな)。オランジーナが出初めた頃、アパート前の自販機でよくそれを買って飲んではった。そうしてとぼとぼと自分の部屋に帰っていくのを何度も見た。最近見かけないのはその人に会うような時間帯に自分が留守するようになったからだと思っていたのだが、どうもそうではなかったようだ。

かの人が何を思いつつ事切れはったのか、想像するための必要最低限の情報も持ち合わせていない私だが、自分の行く末を重ねてみることがよくあったので−−− そうならないように注意したいというのではなく、ああなるまでに何ができるだろうかと考えることがあったから、人事のようには思われない。さて、どうしようか。

それにしても、人の命の軽いこと、軽いこと。タモリが笑っていいとも修了とかAKBのなんとかがどうだとかいうニュースの陰で、というよりそのニュースの陰になることもなくひっそりと孤独死があった。そのことやその人の存在そのものに気づいていたのはごく一部の人間だけだ。そして世間は何事もなく新年度に突入した。あの人は消費税増税も今年の桜の満開も知らずに逝ってしまったのだなと思ってみたりもした。


2016-04-01 この日を編集

[独言] エイプリルフール過ぎた

毛が生えたとか包茎だったとか書いて胡散を晴らそうと思っていたのに一日過ぎてしまった。残念だ。

[ふむ] 阪急のバッヂ

画像の説明適当なカテゴリがなかったので適当なカテゴリに分類しておく。過日四天王寺さんのガラクタの中で見つけたピンバッヂ。どっかで見たことがあるマークだなあ、真ん中のは澪標だよなあ、でも宝塚線ってナンダと思いながら回収しておいたのだが、何の事はない、阪急電鉄の旧社章じゃないか。大阪市と神戸市と京都市を結ぶから3つの市章を組み合わせてあるのだった。

しかし文化部ってなんだろ。OASISっていったら今は阪急オアシスしか思い浮かばない。


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