nagajisの日不定記。
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世界を渾沌に陥れたまま留守にします。その間Tシャツデザイン案に関するアンケートっぽいものを設置しておきますので遊んでください。それが先生からの宿題です(誰
【おやくそく】
・好評だったものを作るかも知れません。多数枚作ると安くなります。ただしこれが予約というわけではありません。あくまでもデザイン投票&ご要望承りますCGIとお考えください。
・デザイン修正のアイデアがあれば「ご意見たまわります」の欄に書き込んでボタンをクリック。ただしその意見がデザインに反映されるという保証はありません。ごめんなさい。
・お名前やニックネーム等は不要です。
・年齢・性別は詐称されます。
・一人一票まで、にしたいところですが面倒臭いので重複チェックはしてません。nagajisを困らせたい方はたくさん投票してください。
・デフォルトでは化繊Tシャツ+シルク印刷になる予定。印刷色は変えられませんが地の色は選べます(多分)。長袖も選べるはず。
・価格は素材代+印刷代+うちらのマージンとなりまする。印刷代は2色1面で750円くらい? まだよく調べてないのです。
・好評でなかったものも作るかも知れません(ClubT利用)。ClubTでは白インクが使えないのでデザインが変わる可能性あり。&2500円くらいがデフォルトになります。
こんなてきとーなもの置いて逃げるなと>nagajis。帰ってぐちゃぐちゃになっているか全然機能していないのを見て落胆しよう。実はほとんどチェックしてないのよね。
やっぱり書いとかないと忘れそうだ。書いておけばあとで楽できるだろうし。
昨日の電車に忘れ物をして、それが姫路駅まで行っちゃってることが、家に帰り着いてから判明した。翌日それを取りに行かねばならなくなり……。それだけの目的で往復電車代すうせんえんを支払うのは、例え自分の不注意に起因することだとしても(や、そうだからこそなおさら)癪だ。あれこれ考えた末、香呂の西播煉瓦跡へ足を伸ばすことにした。この雨の中。
開戦直後の工場は香呂200番地にあったという。その場所も特定できていた。しかしその場所には立派な屋敷があるばかりだった。煉瓦が使われているようなこともない。これじゃあなぁ……ということであちこち尋ね歩くことにした。昨日怖じけてピンポンできなかったことの反省の意味も込めて。kousenさんを見習わなきゃ。
最初は商工会に行ってみたが手がかりなし。香呂駅西には姫路市立図書館の分館があったりもするが月曜日は休館だ。仕方なく引き返して200番地の周辺で聞き込みをした。角の商店で話し込んでいる方がいたので、「すんませーん……」と割り込んで。親切な方々で良かった。
・工場はいまの市民プールの場所。現200番地とは線路を挟んだ対角線上だ。
・今から15年ほど前まで工場があった。その頃はマサ(真砂土=風化花崗岩の粉末。園芸土や紙漉きの添加物に使われる)を作っていた。いま市川でマサを作っている会社の分工場だった、というようなことを仰ってた記憶がある。
・近くに住むOさんがその工場に勤めてたから聞いてみなはれ。
という流れに。こんな感じで強制的にピンポンしなければならない状況に追い込んだほうがいいようだ。自分の場合は。
そうしてOさん宅を尋ねてみた。確かにその工場に勤めておられたそうで、それ以前は別の工場に勤めていたが、昭和25年に呼ばれて移ってきたという。戦前戦後に耐火レンガを作っていたことは知っているけれども、それ以前の赤煉瓦を作っていた頃は詳しく知らないと仰る。確かに文献では昭和13年版から東亜耐火工業所に、同24年版では片上耐火煉瓦(株)香呂工場になっている。昭和26版より後は載らなくなるのでこの頃マサ製造に移行したのだろう。
岡山や相生に大きな耐火煉瓦工場があったことを教わったり、赤煉瓦の製造史のことなどを話題にひとしきり話して辞した。大変参考になったピンポーンだった。Oさんにとってはいい迷惑だったかも知らぬが……。
その足で線路の西側の工場跡地へ行ってみる。相坂隧道の煉瓦は駅の西側にあった工場で焼かれたと言われているが、その通りの立地だったわけだ。但し現在はご覧のとおり。市民プールがあり、その南に幼稚園保育園を建設中で、周囲にも工事現場にも煉瓦が転がっているようなことはない。
市民プールの西方から東を向いて撮影。まあ、こんなところである。足元の道を西へ向かえば相坂隧道方面に出られる。そこで使う煉瓦を作るにはまあ悪くない場所だし、何より播但線のすぐ隣だから遠方への輸出にも向いていただろう(実際西播煉瓦の製品は姫路・阪神方面ばかりか鳥取島根にも送られたらしい。えっと、それはどこで読んだっけ?)。
さあて、ここからどうするか……。アテはここまでしかついてない。残りは直感で歩きまわるしかない。というわけで足が向いたのは相坂隧道方面。そこまで登るつもりはなかったが、なんとなくそっちの家々のほうが古いように思えたので。
その直感は正しかった。途中の路傍で見かけた煉瓦に「セ」の刻印があったのだ。お前はゴッドハンドか!と罵りつつ拾ってみる。裏表に「セ」が刻まれていた。セイバンのセ、と考えたいところだが、印南郡の関野煉瓦の刻印である可能性もゼロじゃない(工場跡地では煉瓦すら見つからなかったからな)。けれども西播=「セ」だとすると、以前生野で見た「セ」刻印との繋がりも見えてくる。播但線で北へ進めば生野なのだから。
作業者の識別符丁とも考えにくいな。47人分も割り振り切ることはまずないだろうし、他のイロハはこのへんでは見かけなかった。
いずれにしても、播州の煉瓦工場はカナ一文字が流行だったようだ(除く大正煉瓦)。大阪の煉瓦業者が幾何学模様の組み合わせだったのと似ている。
さらに煉瓦を求めて西へ。路傍に煉瓦を見るたびにひっくり返してみるが「セ」刻印は見つからなかった。手成形であっても無刻印だったり。確認した煉瓦の個数分の刻印数を計算すると客観的なデータになることに気づいたのだが、時既にお寿司だった。
山際の集落のところまで来た。あてもなく路地裏へ入り込んでいった。そのほうぼうで煉瓦と遭遇した。最初の出会いは写真の煉瓦壁。結構な年代物らしく手成形の歪んだ煉瓦が使われている。笠石の裏を覗き込みつつ歩いたが刻印は見つからなかった。
これだけでも充分な発見なのだが、もっと上をゆく発見が。お寺の下の路地裏ではさらに見事な煉瓦壁。こんなところにこんな近代風が吹いているとは誰も気がつくまい。
しかもこのお宅、大路地側にも煉瓦壁が築かれていて、こんなアーチ門になっていさえする。左のアーチは大路地から屋敷の庭の高さにあがる階段があり、右は倉庫か何かに使っていたものらしい。路地側の目に付く場所には上等品の煉瓦が使われていて見栄えを意識していることがよくわかる。
この2軒のお宅は、あとでピンポンした。前者はちょうど奥さんが帰宅されたところに出会えたが、もう何代も変わっているので詳しいことはわからないとのこと。立派なアーチ門のお宅は留守であった……。残念。
後者はぜひとも話を聞きたかった。なぜなら、
壁には「K8」刻印煉瓦が使われていたからだ。見える位置にある刻印すべてが「K8」。後ほど在所の別の場所でも「K8」の転石を見た。このエリアでは「K8」優勢なのだ。
共同販売用説に則ると、西播煉瓦がK8を作っていたのでは? という推測に行き着く。お宅の方が煉瓦の出処を知っていれば(例えば駅西の工場で焼いたやつだ、とか)、説の裏付け&n=8の場合を証明できる。そう思ってピンポンしたのだが、月曜昼2時なんて、フツーは誰もおらんやろね……。
在所の中の転石には、むしろ写真のごとくな刻印が多かった。これだけではただの棒線だが、
これを見ると漢数字だったことがわかる。
そうして「セ」が1つも見つからなかった。やはり「セ」=西播ではないのだろうか? それとも時期によって使用刻印が違うのか? 大正6年から昭和11年頃という比較的長期間操業していた工場だから、いろんなパターンがあってもおかしくないだろうが……。
少なくとも、西播ノットイコール○Sだとはわかった。
昨日の見野行きで○S刻印を発見していた。同じ刻印煉瓦を伊丹市で採取している。頭文字がSの会社だろうと想像していて、その候補の1つとして西播煉瓦もあったのだが、香呂では○Sに遭遇しなかった。
こんな地味な絞り込みを続けていけば、いつかは答えに辿り着けるだろう。
激怒している。この腹立ちをいかにせん。
腹立ちのほうは少し収まった。4月からそうなってたのだと知った時の疎外感が半端ないだけで、落ち着いて考えれば連絡義務も継続義務も持ちあわせていないのだ。向こうさんとしては。
せめてもの救いは報告書完成までに徹底的に攫っておいたこと。これからどんどん迷惑かけてやるからな。覚悟しろよ(と両膝ガタガタ言わせながら息巻いてみせるだけのnagajis
長浜み~なの編集部さんから御礼が届いた。本当は昨 日届いていたのだけれども留守してて受け取れんかっ たのだ(宅配でくるとは思ってなかったもん)
中身はこんな洒落たグラス×2。そうか、いま長浜っていったら黒壁スクエアのナガハマなのだなあ。まともなコップ?がないので丁度よい頂きものとなった。ありがとうございます。
表紙は観音坂隧道。こういう「使われている姿」こそサマになる。素敵なチョイスではないですか。(残念ながら今は旧道化して資材置き場になっちゃってるけどね。時代が隧道を追い越してしまったのだよ、仕方ない仕方ない)
ちうわけで編集部サイトから通販で買えます。よろしければぜひ。よろしくなければなおさらぜひ。
恥ずかしい経験は書いて晒しておくに限る。そうやって罪滅ぼしをしようという魂胆である。
今から4、5年も前に豊中市立岡町図書館で『大阪川口居留地の研究』という本を借りた。確か川口幼稚園の壁と富島天主堂の関係を調べるために借りたのだと思う。そうしてそのまま長いこと借りっぱなしになっていた。借りている間に図書館カードを無くしてしまい、図書館じたいから疎遠になってしまったというのもある。ある程度の理由はあるにせよまあそれは言い訳でしか無いだろう。
そんな私がつい最近、岡町図書館で国立国会図書館のデータ送信が利用できるようになったことを知り、また通い出すようになって、急にカードの再発行の要が出てきたのだった。んでもって、借りっぱなしの本を返さねばカードの再発行ができないことを知った(当たり前だ)。 なんとも現金なハナシである。
慌ててその本を探したのだけれども……どこへ仕舞ったものか、どうしても見つけられなかった。借りていることを忘れないようにと、手近の棚のところに置いていたのは確かなのだ。いつも見る所に置いていたはずなのだ。そう思って頑張って探したけれども、やっぱり出て来ない。
そのうちふっと「捨ててしまったような気がする」と思い至った。余りに長いこと借りていてーーーその罪悪感のあまりに突発的に隠蔽工作に走ったような記憶が湧いてきたのだ。そうしてそれが揺るぎない事実のように思われ始めて、仕方ない、買って弁償するか、ということになった。
ところがこの本、べらぼうに高い。あらゆる手練手管を駆使しても、諭吉さん2人と一葉さん1人を要するような本であったのだ。確かに川口居留地のことをまとめた本は非常に少ない。それだけの価値がある本だとは思う。そんなものを借りっぱなしにしていた罪を今更ながら思い知ったわけである。
いろいろ悩んだ末……おとなしく買って弁償することにした。悪いのは私なのである。長年借りっぱなしにしていたうえに紛失してしまった罪は、いつかどこかで償わねばならぬ。それが今だということである。
そうして代替本を入手し、去る日曜日の午前中に返却しに行った。まるで善い行ないをしたかのような気分になり、その足でカレー屋へ行ってカレーを食い、さらに神崎川橋梁を見に行ったりもした。
それで話が終わるのならこんなところに書いたりはしない。情けない続きがあるのである。
夕方に帰宅して、何気なく部屋の片付けを始めたところ、証拠隠滅したと思っていた該本が出てきた。
出てきてしまったのである。
なんだかなあ、というシチュエーションである。
漱石さんor英世さん25人分の本を購って、図書館に収めて、本来なら何も手元に残らないはずだったわけで、図書館ラッピングが施された同じ本が手に入ったと思えばまあ損ではないだろう。けれども根が貧乏であるせいか、だんだん勿体無く思うようになった。25英世さんを失って手元にあるのが図書館除籍本なのか、と。件の賠償本はついさっき渡したばっかりなのだから、まだラッピングや蔵書印押印はされてないんじゃないか。この出てきたほうの本を返却すればラッピングやラベルの貼付の手間を省いてもらえるわけで、何も自分限定の損得の話ではないのではないか。と、まったく都合の良いことを考えたわけである。
月曜日は休館日だから、火曜日朝一番に電話をした。予想通り受け入れ処理はまだだった。借りていた方の本が出てきたこと、そっちを渡して弁償したほうの本を引き取ってもいいだろうか。そんなことをいけしゃあしゃあとお願いして、無事、諾していただくことができた。
そうして今日、その交換を済ませ、25英世さん出して買った方の『大阪川口居留地の研究』が手元にある。
なんのことはない、図書館に余計な面倒をかけただけである。みみっちい自分を再認識させられただけである。世の皆さんはこんなことをしてはいけない。
これでこの本を読まずに死蔵することになったら本が可哀想である。それこそ無駄である。ちゃんと読まなければと思う。そもそもこの本を長く借りていたのはどの編も興味深く濃厚な記述なので何度も読み直さなければならねえと思ったからであった。そのくせ手元に置いておくばかりでじっくり読み直してはいない(借りっぱなしの本だという罪悪感がそうしたというのもないではない)。だからなおさら読まねばならぬとぞ思う。しかしそんな高価な本を気兼ねなくおいそれと開けないような気もしている。ううむ。
今まで買った最も高い本は銀輪’94であった。1諭吉さんした(これは新入生用の余剰分が上乗せされた価格だったが)。8英世さんだったのはシュポルスキーの原子核物理学だっけ。敏せんせの炉物理テキストもめっさ高かった気がする。しかし諭吉さん2.5人分なんて人生初だぞ。さあどうするよ。
8/2追記。御礼のメールを送る前に御礼メールを頂いてしまつた。上記を書いたところで疲れて寝たんである。頭スッキリさせてから送るべしと思ったんである。己の非道行為を隠し立てなく喧伝しておく非道のnagajis。
頂いたグラスはなかなかどうして瞠目させられる効能があった。底に青い色が入れられているので水を入れるとその青が映る。蛇口から汲んだ水道水でさえ、まるで青い飲み物のように見えてまことに涼やかだ---ここでカクテルの名前なんか出したらサマになるのだろうが野暮いnagajisの頭にはブルーハワイという単語しか浮かんでこなかった。かき氷シロップを直飲みすんなや---。
昨日ここを書いている時にキーボードのIキーの下に何かが挟まってしまって反応しなくなったので無造作に取り外して無造作にはめたら90度回転の状態で押し込んでしまってそのせいでツメを折ってしまった。キーの上下動をガイドする兼取れちゃう防止のツメである。
PC本体の性能には無頓着な私だけれども、キーボードだけはApple Pro Keyboardでなければならない。最近のアイソレートのやつじゃなくてG4 Graphiteあたりについてきていた(黒)である。これでないと困るのである。あのふしゃふしゃした柔らかいタッチでないとだめなんだよ。あれにシリコンスプレーふって一切のフリクションをなくしたやつでないとならんのだよ。
いま使っているのは何代目だろう。MacでORJを作っていた頃からずっと使ってきた最後の一台(Windowsでもレジストリいじって使っている)。年を追うごとに入手困難になっていって、ジャンク屋で見かけるたびにスペアとして購入していたけれども、その最後の一台のツメを折ってしまった。今のところ顕著な違和感は出ていないけれどもそのうちガタがきて「機械化に起因する怒り」を「っかいかにきんするかり」とか誤入力したりするようになるんだろうなと思うだけで嫌になる。困ったことである。
あと一本予備の(白)があるにはあるが、キートップの素材が異なるせいか微妙に感触が違くて埃を被っている。新たに贖おうにももうPC-NETはこの世にないのであった。萌えとゲームに席巻された日本橋の、いったいどこでApple Pro Keyboard(黒)を入手せよというのだろう。
……そうはゆーけれども多分あんまり使わない他のキーのキートップと入れ替えて使い続けるとかするんだろうな。この貧乏人め。しみったれme!
_ taka [Apple Pro Keyboard(黒) 中古(当たり前かな)じゃダメなのかな、マックパラダイスにあるが余計なお世話かな?]
_ nagajis [あるところにはあるんですけどね…やっぱり実物をみて判断したいではないですか…。 一台980えんで買えていた頃を知っていると、なおさら躊躇しまする。]
_ あきら@大阪 [失くしてしまい色々と策を弄した挙句、どれも解決に至らず仕方なく正攻法で解決した直後に紛失物が出てくるのはよくある話。 暫くぶりにニヤニヤしてしまった。←]